5.好きな人

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5.好きな人

 月曜日。  律は約束どおり、顧問の先生から料理部の入部届をもらってきて、早速とばかりに紘太の机の上へと置いて示していた。 「はい! どうぞ!」 (どうぞって…)  幾度となくこの律から料理部への勧誘を受けてきたが、紘太は高校二年の今に至るまで断り続けてきていた。なにも家で家族の料理を作っているのに、学校でわざわざ作る気になどなれなかったからだ。  けれど、先週の出来事によって事態は覆ってしまっていた。ここを逃さないとばかりに、律は入部届の上にペンまでちゃっかりと用意している。さすがに、逃れようがなかった。 「……わかったよ」  仕方なく紘太は、ペンを取ると名前を入れて律へと手渡した。 「やったぁ!」  律はルンルンとした表情で入部届を鞄へとしまい込む。 「そもそも、何でお前は料理部に入ったんだ?」  律は高校に入るなり、真っ先に料理部へと入っていた。律の母親は料理好きだ。家に帰ればいつも夕飯は用意されていて、一般の高校生男子がこれといって趣味にするほどのことではないように思える。紘太と違って、必要に迫られて料理をする必要は全くないのだ。 「だって、紘太みたいな美味しい料理、食べたいし?」 「俺が作れるんだから、別にいいだろ」  作り過ぎた時には、律の家にだってお裾分けをしたりもしている。逆にいただく事の方が多いのが現状ではあったが。 「……僕だって、美味しい料理を作れるようになりたいよ」  律は少しむくれるようにしてそう呟いた。 (そんなもんか…?) 「だから、紘太がちゃんと教えてよね!」  そう言って笑い、語尾に律は紘太の腕をパシンと叩いた。 「おう…」  本当に頼られているのかちょっと微妙な気もしたが、律から笑顔が覗くようになってきていることに紘太も自然と安堵していた。  こうして、紘太は初めての料理部へと参加することとなった。 「じゃーん! 今日のレシピはぁ?」  律は、部員の皆が集まる前で教壇に立って、何やら勿体つけた物言いで本日のレシピを発表する。 「弘野紘太特製の、カレーレシピです!」  会場にどよめきが上がった。…といっても、生徒数は合わせて12人ほどである。  殆どが女子部員だ。ちなみに“あの先輩”は来ていなかった。 「…なんで、俺のレシピなんだ?」 「だって、知りたいもん。ね~?」  律は料理部の他の部員らへと可愛らしく同意を求める。女子といえばキャーキャー言いながらも律を支持していた。 「紘太が作るカレーって、本当に美味しいんだよ」  律はカレーごときを熱く語り始める。 「といっても紘太の場合はとくに拘った食材は使わないんだ」  律は自分が考えたわけでもないのに、得意気に解説を入れていた。 (…俺の作り方じゃなくてもよくないか?)  とりあえず心で呟いて、紘太は黙って事の成り行きを見守っていた。 「ではさっそく、ご本人に作ってもらいましょうー!」 「なっ、なんでそうなるんだ!」  律に教壇へと引っ張られた紘太は、用意された食材を前に、半ばヤケくそになりながらも渋々と料理を始めた。カレーなど高校生ならば誰だって作れるものだろうに…と内心で愚痴る。  テキパキとした手元が、頭上に設置された大判の鏡へと映される。料理部の顧問の口からも、「ほぅ…」と感嘆の声が漏れた。  黙々と作業する横で、律が解説を入れながら手伝いをした。  途中、律からは、 「あー、ちょっと待って! 目分量で入れないで!」 と止められたりもしながら、計量スプーンまで使ってカレーを作っていった。  とはいっても、紘太のカレーはただ単に市販のカレールーを減らして、代わりにコンソメ、牛乳、ソースを加えているだけだったのだが、顧問までもが「なるほどね〜」と感心していたりした。  試食の際も、皆からこぞって美味しいと褒めちぎられて、紘太もこっ恥ずかしくなってしまった。 「すっごく好評だね。じゃあ次のレシピは、『激うま!紘太が作る餃子レシピ』にしようー」 「「「「「「「さんせぇーい!」」」」」」」  今度は顧問までもが手を挙げていた。 「先生まで…やめてください…」  紘太はげんなりしながらも、止めさせるよりはもう自分が退部した方が早いんじゃないかとさえ思えてしまう。 「まぁいいじゃないの。弘野君は普段から料理してるせいか、時短技としてもみんな、すごく勉強になると思うし。弘野君も基礎を改めて知るのも良いと思うわよ」  そこまで言われ、紘太はとうとう敗北することとなった。  いっそ、この時間に夕飯の一品でも作ってしまおうと心に決める。  なんやかんやで、その場はいったんお開きとなった。      学校の廊下を歩いていても、今まではたまに知った顔に会えば挨拶するくらいだったが、料理部に入ってからというもの、同じ部員とすれ違う機会が増えたのか声をかけられる頻度も日増しに上がっていった。 「弘野先輩〜! おはようございまーす!」 「あー。オハヨ」  軽くそう返すのもすでに日課となっていた。  そんなある日。料理部へと顔を出すと、女子達が何やらキャーキャーと騒ぎ立てていた。  こぞって小さな本を読んでいる。 「?」  不思議に思ったものの、その女子の輪に入るのは躊躇われて、少し離れた先に腰掛けて律がやってくるのを待っていた。  遅れて律が到着する。そんな彼へと、女子達は待っていたとばかりに駆け寄った。 「冴島せんぱーい! 出ましたよ、新・刊!」 「うん。僕も昨日買ったよ」 「もう読みましたか? 弘野サエ」  突然、母の名前が女子の口から飛び出して、紘太は椅子からずり落ちそうになった。 (な…っ?!) 「うん読んだよー。今回もドキドキしちゃった」  そう爽やかに官能小説の感想を語る律の顔が、ニッコリと女子部員へと笑いかける。 (えっと、…何の話だっけ?)  紘太は自分の脳のほうを疑いたくなってしまった。 (そうだ、母さんの官能小説。女子に人気なのか? でもまだ高校生で、そもそも18禁だろ?)  本来ならば律だって高校二年生だからまだ早い。かと言って、高校生男子がみんな18禁を見ていないわけではないからと、紘太の脳は混乱を極めていた。 (わっかんねー! なんでBLがそんなにいいんだ?!)  その日の活動中、紘太は自分なりの知識をもってあれこれと考えてはみたが、悶々とするだけでなんの解決にも至らなかった。  帰りがけのバスでは、紘太は堪らずその話題へと触れた。  律はやはり、あっけらかんと話をし始める。 「あぁ、うちの部員の子たちはほとんど読んでると思うよ。あ、でも作者が紘太のお母さんってことは話してないから安心して」  そんな事はむしろどうでもいい。  紘太はここで初めて“先輩”の事の成り行きに行き当たった。 「お前なぁ…そんな本ばっか読んでて、周りにゲイだとでも思われてるんじゃないのか?」 「…うーん。どうかな? 聞かれたことはないけど?」 (本人に聞くわけがないだろうが)  律はしっかりしている方だが、こういう所は天然なのかもしれない。こんな律へと盛大に勘違いしてしまった“あの先輩”さえも、紘太は少しだけ哀れに思えてきてしまった。 「でも、まぁいいんじゃない? あの子たちもTPOは弁えてるっていうか、外部には言わないように皆ひた隠しにしてるみたいだし」 (それって、完全に女子部員のみんなからゲイ認証されてるんじゃないのか?)  とも、紘太は心の中だけに留めておいた。 (それにしても…)  紘太は前々から疑問に思っていたことを再び思い出す。 (律は、本当はゲイなのだろうか)  実際に母親の小説を読んでみても、紘太にはどこに共感をおぼえるのかあまりよく分からなかった。それを皆は『萌え』というらしいが、それは律が女子と同じく共感できる何かを内に秘めているように思えてならなかった。 (でも俺だって、律のことが好きなんだし)  律がゲイならどれだけ良いか。  紘太はつい自分に都合の良い解釈をしてしまいそうになる。 (そうならば…)  夢で見た、あんな展開があるのだろうか。  家に帰ると、母親が何やら書棚を探し回っていた。 「ねえ、紘太。私の本、知らない? 書棚にないんだけど…」 「あっ…、今、律が読んでる…」  目を泳がせながらも、紘太はそう取り繕って律のせいにしてしまった。とにかくこの母には知られたくはない事だった。 「…そうなの? まぁ、読んでる最中なら他あたるからいいわ」  いつもなら食いついてくるところだったが、話はするっと終わった。紘太が嘘をついたことに、どうやらこの母親は気がついたようだった。母親というのはやっぱり子供の嘘がわかってしまうものなのかもしれない。黙って見過ごした母に、恥ずかしながらも紘太は安堵するしかなかった。その場から逃げるようにして、自室へと階段を駆け上がっていった。  風呂に入ってさっぱりはしたものの、結局のところ紘太は律のことが気になって仕方がなかった。とても眠る気になどなれない。もうこれは、電話で聞いてしまおうと思い浮かんだ。 (そうだ、電話なら顔だって見えないんだから聞きやすいかも)  スマホを取り出し、すぐさま通話ボタンを押した。数コール後に律から応答があった。 『どうしたの、紘太?』  律は紘太からの電話に驚いたような声を返してきた。普段から毎日会っているせいか、律と電話で話すのは確かに珍しいことでしかない。 「あ、いや。部活でのこと、聞きたてくて」 『…部活? どんなこと?』 「いや…みんな読んでた母さんの本だけどさ。何で面白いのか、俺にはツボが分からないっていうか…」  紘太は母親の書籍を読んでみたが、いまいち皆がどこに共感するのかよくわからなかったことを伝えた。  すると律は、少し黙っていたが、 『うーん…。道ならぬ恋…ってところかな? あと、誰だってラブラブなのって、憧れるじゃん?』 (うん。確かに…俺も律とラブラブな…) 「ゴホッ」  むせてしまった。 『ちょっと、大丈夫なの?!』  すぐさま通話口から律の心配そうな声がかかる。 「いや…平気。それより、お前もそこに共感するの…か?」  言ってしまってから、流石に直球すぎたかと不安になった。律からの返答もなく、しばらく会話に不自然な間が空いてしまう。 『……………。』 (やばい、気づかれたか…?)  心臓がドキドキと耳元で騒ぎ立てた。 「り…律…?」 『…もしかして、僕のこと、ゲイかどうか聞きたいの?』 (しまった) 「…あ、そういう訳じゃない、が…」 『…ふーん。じゃあ言わない』 「えっ!」 『ぷっ! なんだ、やっぱり聞きたいんじゃん』  紘太を揶揄うような声音だった。律は仕方がないとばかりに、ひとつため息をこぼすと話を続けた。 『自分がゲイとか、バイとか、そういうのは僕だってよく分かんないよ。けど、好きな人が男だから、もしかしたら…そうなのかもしれない…』 「律………」  律の、とんでもない告白を聞いてしまった。  紘太は同時に、何やら胸にモヤがかかったような気分になってしまう。 (律に好きな…男?)  考えたこともない視点だった。 「だ…誰……」  紘太は知らず口に出てしまっていた。しかし、その呟きを打ち消すかのような罵声がスマホから漏れ出る。 『言うわけないだろ……バカ!!』  プツッ―――。  そこで通話は途切れた。というか通話を切られてしまった紘太は、ベッドの上で頭を抱えるしかなかった。顔が見えないと、つい言いすぎてしまうものだ。 (あぁ…。明日、謝るしかないか…)  あとはひたすら律に誠意をみせて、彼の好きな高級フルーツパフェをご馳走するしかなさそうだった。  結局、夜通し紘太は、“律が好きな男”の心当たりを考えてしまい、結局寝付けずに朝を迎えた。 「うわ、なにその顔…」  バス停で紘太を待っていた律は、顔を見た早々に驚いた顔を覗かせた。 「ちょっと、眠れなくてさ」  目をシパシパさせている紘太に、律は昨日の電話の件を思い出して、じっと紘太の様子を窺ったようだった。 「で、解決したの?」 「え?」 「だから、その眠れなかった原因は解決したの?」 (律は気がついている、のか?)  勘のいい律のことだから…と紘太は思いもしたが、まさか律の好きな相手の心当たりを探していたなんてさすがに思うはずはないだろうと結論づける。 「いや…?」 「そう…」  律はふいっとソッポを向くと、やってきたバスへと乗り込んでいった。バスで二十分ほどの距離を、またラノベを片手に読み浸っている。  今日の読書タイムは、『異世界の扉を開けたらそこは現世だった』のようだ。  紘太はその本がBLではなさそうだったことに、とりあえずホッとした。 「ふふっ」  律が下を向いたまま笑っていた。 「…そんなに面白いのか?」 「あ、うん。紘太も読む?」 「……そのうち」 「それ、読まないやつだね」  また律が笑った。やっぱり律には笑顔が似合う。 「あ、そうだ。今日は委員会があるから、紘太は先に帰ってて」  忘れないうちにと、律は紘太に伝えた。 (そうだ、委員会があった…!)  昨夜は散々考えても思い浮かばなかったが、今になって紘太はある関係性に行き着いた。  律はクラスの委員長を務めているから、一年から三年の同委員長たちと交流があるはずだ。 「律っ、お前が委員会に行ってる間、その本貸してくれないか? 終わったら返すから」 「…? いいけど…。そんなに読みたくなったの?」 「…笑うほど、面白いんだろ?」 「まぁ…」  普段は読みもしないラノベを読みたいなどと言い出せば、紘太のそんな行動に律も不審に思ったことだろう。  けれど紘太は、知らぬ振りをして窓から流れゆく外の景色へと視線を泳がせていった。  委員会は総勢で五十名ほどだろうか。 委員会の終わりがけに、教室の後ろ側からチラリと覗いた紘太は、この半数が男であると知ってガクリと肩を落とした。対象が多すぎて掴めそうもない。  やがて教室がガヤガヤと騒がしくなる。会が終わったようだった。  律のことを目で探していた紘太は、律が三年の司会を務めていた先輩へと近寄っていき、話し始めた姿を見つけた。律は楽しそうにして、その委員会の先輩へと笑顔を惜しみなく浮かべていた。  急激に、紘太は胸の辺りが騒がしくなる。 (アイツ…他の男にも、あんな顔して…)  そもそも律は、自分から『ゲイかもしれない』とも話したのだから、好きな男の前なら律だって嬉しくて笑顔を振りまいても仕方のないことなのかもしれない。 (律は俺の幼馴染で、親友で、好きなヤツで…)  紘太は自分の気持ちが、どんどんと沈んでいくのを感じ入る。やがて、紘太はその三年の先輩に対して、嫉妬しているのだと気がついた。  他の集まった委員長たちは、一斉に教室から流れるようにして出て行ってしまった。 (あれが律の、好きなヤツ…?)  律は相変わらず口元に手をあてて、可笑しそうに笑っている。  もしかしたら紘太が委員会が終わるまで待っていたのは、ただのお邪魔虫だったのかもしれない。二人はこれから一緒に下校する、そんなシチュエーションさえ容易に浮かんでしまった。  紘太はそっとその教室から離れると、先に正門を潜っていく。  スマホでメッセージだけ送信しておいた。 【悪い。やっぱ先に帰る】  送ってから、紘太は律から本を借りたままだったことを思い出したが、そのまま急ぐようにして家路へとひとり向かっていった。  
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