8.敵意

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8.敵意

 背中で寝息をたて始めた律を確認すると、紘太はそっと布団から抜け出した。  階下へ降りていき、ひとりトイレに篭ると、紘太は改めて自身のモノを確認した。未だ紘太のそれは、元気よくそこに屹立していた。 「はぁ…」  情けなさを感じながらも、紘太はそれを片手で握り込むと、もう片方の手もそれへと添えた。目を閉じても思い浮かぶのは、相変わらず律の色めいた顔だった。 「……ふ、ぅ…」  律の気持ちがどんな形であろうと、紘太自身が律へと向けるその感情は、紛れもなく親友だけでは終わらない。 「りつ…、……っ」  罪悪感にも似た気持ちが込み上げる。  しかしそれも、自身の指が器用に刺激するそこへと意識を集中すれば、熱いほどの欲望へと変貌していく。  けれど、吐き出された白濁にまみれた手を見つめているうちに、そんな熱もやがて再び罪悪感へと変わり果てた。 (律は俺の大切な幼馴染だ。律の気持ちがはっきりわからないならば、今の関係は何も変えてはいけない)  紘太の胸には、そう答えがはっきりと浮かんでいた。  翌朝。先に起きた紘太はいつものように簡単な朝食を作って、律が起きてくるのを一階のリビングで待っていた。  やがて、階段をトントンと同じテンポで降りてくる音がすると、紘太はポットの電源をオンにした。 「おはよー…」  まだ起きたばかりで頭は覚醒していないのか、律はぼぅっとした顔のまま紘太にいつもと変わらない挨拶をかけた。 「あぁ、オハヨ。朝飯は食えそうか?」  寝起きはあまり食欲のない律に、紘太はそう声をかける。律は「うん」と頭をこくりと下げて、食べると頷いた。  それは、本当にいつもと変わらない二人の朝だった。 (うん……。益々、解釈が一致しそうだ…)  紘太は自身の考えが半ば確信に近いことを予感してしまう。  それからも二人は、普段と変わらない調子で朝ごはんを済ませた。今日の計画を立てれば、またいつもと同じルートが組み上がった。  今日もまた、律と二人で馴染みの店を回って夕方になれば自宅へと帰るのだろう。明日は学校だから律は家に帰るかもしれない。それとも今日も泊まっていき、翌朝の早朝に家を出るのかもしれない。昔から、律との関係は幼馴染を超えた、まるで兄弟のような仲だ。  そんなことを考えていたら、自宅のカーポートへと車を停める音が窓の外から響いてきた。 「あ、おばさんたち、帰ってきたんじゃない?」  窓から外を見れば、カーポートに停めた車からは、手荷物を下げた紘太の両親が降りる姿が窺えた。やがて、玄関の扉がガチャリと開く。 「たっだいまぁ〜!」  玄関からは母親独特の明るいトーンの声が、リビングにいる二人の耳にまで届いた。 「あら、りっちゃんも来てたのー?」  玄関の靴で確認しただろうその声に、紘太はドキリとしながら廊下へと顔を出した。 「おかえり…」  変に後ろめたく思えてしまうのは、昨夜の出来事があるからだ。ドギマギしてしまう紘太に代わって、律は先に廊下へと、紘太の両親を出迎えに出た。 「お帰りなさい! おじさん、おばさん、お邪魔してまーす」  律も、いつもの調子だった。 「あ、母さん。律のおばさんから昨日サンドイッチもらってる」  リビングへと入ってきた母へと、紘太はそう伝えた。 「まぁ、いつもありがとう。りっちゃん、帰りにお土産持ってってね」  そう言いながら、母親は持って帰ってきた紙袋から土産を一つ取り出して、律へと手渡していた。礼を言いながらも律は、寝巻きのままだったことを思い出して、先に着替えてくると言って受け取った土産を持って紘太の部屋へと戻っていった。  紘太と律は遅めの朝食を済ませると、二人で街中へと出掛けることにしたのだった。  昨日とルートは違うものの、お馴染みのコースだった。昼もまた、遅めの昼食とばかりにファーストフード店へと入った。いつもは学生たちでごった返す店内も、時間帯がずれたお陰で今は閑散としている。  買い込んだ洋服店の紙袋を隣の椅子へと押し込むと、紘太は店内をぐるりと見渡した。 「この時間帯は、空いてて良いな」  いつもは席を確保するのも大変なほどに混雑する店だった。席が確保できない時はカウンターで立ち食いで済ませることもある。 「うん。足もけっこう疲れたし、座れてよかった」  律も席に深く座り込んで一息ついた。けれど律は、ガラス張りのウインドウから窺えた大通りの先に、誰かを見つけた様子でその背中をふわりと座席から浮き上がらせた。 「…先輩だ」  向かいに座った紘太は、ポソリと呟いた律の視線の先を振り返る。すると、通りの先からやってきたその男は、律の姿を見つけて手を振り上げていた。 (うげ…)  紘太の心の呟きをよそに、その先輩はそのまま店内へと入ってきた。 「やぁ、偶然だね。この時間に昼飯?」  委員会で律と一緒に活動している先輩である真野は、親し気に律へと声を掛けた。 「先輩は、今日は買い物ですか?」 「あぁ。気晴らしにちょっとね。えぇと、彼は…」  ようやく律の向かいに座る存在に気がついた様子で、紘太へと話題を持ってきた。 (いや、そもそも見つけた時点で気がついている筈だろ…)  紘太はどこかこの真野という男が、紘太のことを逆に意識しているように思えてならなかった。 (律はこの先輩のことは何とも思ってはいないって言ってたけど…) 「あ、こっちは僕の幼馴染で、弘野紘太」  律は普段と変わらない調子で、紘太のことをそう紹介した。 「どうも…」  と、紘太は一応とばかりに頭を下げた。 「いつも、冴島と一緒にいる子だね」  真野はフフっと笑みを見せてまた律と話を始めた。連れがいるのだから少しは遠慮すればいいものを…という思いが湧き上がりもしたが、紘太はふと気づいてしまう。 (そういえば、俺のことを“いつも一緒にいる子”って言ったよな…。俺が律と一緒に居てこの先輩と会ったのは、今回が初めてじゃなかったか?)  ということは、この真野は普段から律を見ているということになる。 (想いを寄せているのは、律じゃなくて先輩のほうだったりして…)  律の容姿が容姿なだけに、女子だけでなくこれは男子にも相当にモテる質なのかもしれない。紘太は内心、ヒヤリと肝を冷やした。  律がゲイなのかバイなのかは正直まだよくわからないが、律をとりまく紘太のライバルは思いのほか多いのかもしれない。 「それじゃ、またね」  話は一区切りついたのか、真野は紘太へも頭を軽く下げてその場を去って行く。律へは爽やかな笑顔を向けたものの、真野は去り際に意味深ともとれるまでの眼差しを紘太に送ったのだった。その眼差しの奥には、どこか相手を見定めるような一瞥が込められていた。  それは、あからさまとも言える対抗意識だった。 (うわ…)  紘太はテーブルに肘をついたまま、反対側を向いて受け流す。 (…あの先輩、本気だ…)  目だけで『お前は邪魔だ』とでも言われたような気分だった。  たとえ、真野がこの先に律へと告白したのだとしても、今の律が了承するはずがない。  けれど、紘太との関係が元の幼馴染の関係だけに戻ってしまうようなことになれば、この二人の関係がどうなるかは想像できなくもなかった。  紘太の胸に、チリッと鈍い痛みが走る。それは小さな火種のような怒りともいえた。 (律は絶対に、渡すものか…!)  決意にも似た感情さえ湧き上がる。  いっそ律の意志を無視して、律の身体など簡単に抱けてしまえる自分もいた。 (でも…。やっぱり、コイツをそんなふうには扱いたくはないんだよな…)  紘太は奥歯を噛み締めながら、その口元を手のひらで隠した。気を落ち着かせようと、店から窺える大通りの先を眺める。  そんな紘太を見つめる律のことにすら気付かないまま、スマホに設定したままだったアラームが鳴り響いて紘太は我に返った。 「もうこんな時間…。そろそろ映画館に行かないと」  律は紘太のスマホに映った時間を見て、慌てるようにして食べ終わったトレイを片付け始めた。紘太も急かされながら店を後にする。  この律との関係は、変わらないようでいて、何かが変わり始めているのは確かだった。
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