221人が本棚に入れています
本棚に追加
9.欲望
律とともに自宅に帰宅すると、今日は紘太の母親が夕飯を作ってくれていた。
「ふたりともお帰り〜。先にお風呂に入ってらっしゃい」
締切から明けた母親は、張り切って作ったのだろう料理を卓上へと並べながら紘太たちへと風呂に入るよう促した。
「港の方で美味しそうな海老を見つけてね。それでエビフライにしたのよ。ふたりの分も今から揚げるからねぇ」
と、紘太の母親は菜箸を振りまわしながら早く入ってきてと急き立てた。
「ほらほら〜! 二人いっぺんに入っておいで!」
(っえ?!)
とりあえず二人して風呂場まで追い立てられたが、紘太は律から先に入るようにと勧めた。言われた律はため息をこぼすと、
「もう…。紘太もさっさと入るよ!」
『おばさんがご飯用意して待っていてくれてるんだから、早くして!』と、律は紘太の腕を引いて、隣接する洗面所へと半ば無理矢理引き入れたのだった。
「うわ! わかったから…そんな引っ張んなって」
どうも紘太は押しに弱い面がある。そんな自分が情けなくも思えてしまいそうだった。
律と一緒に風呂など入ろうものなら、当然あそこが反応してしまいそうでならないというのにと、紘太はどうしたものかと躊躇してしまう。
(やっぱり、律は平気だから…?)
相手の身体を見るだけで欲情してしまうのは紘太だけで、律がとりたて普段通りならば紘太に向けるそれは恋愛感情などではないはずだ。それは、ただの独占欲のようなものでしかないのかもしれない。
律は先に、洗い場へと入ってしまった。
露わになった律の身体は、全てが白くてほんのりとピンクがかっている。細い腕や脚はもとより知っていたが、紘太と違って痩せすぎるまでのその腰は、女性のグラビアモデルほど細くなくもしなやかで、紘太はその腰を引き寄せたくてたまらなくなる。
もう既に紘太のそれは、隠しようもないほどに反応していた。
「あぁ、もう…」
前をタオルで隠しながらも、紘太はさっさと入って出てしまおうとドアを開けた。
洗い場では、入り口から背を向けるようにして律が身体を洗っていた。チャンスとばかりに紘太はすぐさま湯船へと浸かった。
「ふうー…」
鼓動がうるさく打ちつけていたが、深く浸かってしまえば自然と安堵の息も漏れた。
「紘太。洗ったげるから、出て」
「えっ!」
頭からシャワーを掛けたままの律が、髪で視界を遮りながらも紘太へと言った。
(いやいやいや、今はムリだから…!)
「洗い場、狭いからいいって」
「……じゃあ、僕を洗ってよ」
(………!)
とんでもない律の発言に、紘太は思わず律を湯船の中か見返した。律は小さな吐息をつきながら、自身のそれを屹立させていた。
「お前…、洗ってたんじゃ…」
律が髪をかき揚げると、欲に上気させた目元を赤くさせて紘太を見つめた。
「僕だって、こんな状況…どうかしちゃうよ」
律のことを聖人君子などと思ったことはないが、紘太はどこかで律ならば自分にはそんな欲情はしないのではないかと思ってしまっていた。
律の身体は煽情的で、紘太はすぐにでも押し倒してしまいたい衝動に駆られる。
「律…、こっち来て」
紘太は律へと腕を伸ばした。
「うん…」
止めようとしたシャワーはあえてそのままにすると、風呂場の中はシャワー音でいっぱいになった。
まだ泡だらけの律がそのまま湯船に入ると、湯船の水面を泡が覆うようにして塞いでしまった。湯船に満たされた湯が泡とともに溢れて、一気に流れ出る。
キスをし合えば二人は、お互いのものを湯の中で握り合った。唇で触れ合いながら、下肢のそれを掻き合せる。
「…っん! ふ…」
どうしても漏れ出る小さな吐息は、出し続けるシャワー音でかき消されていく。
「う…っん!」
律が息を飲む。喉元がヒクリと引き攣るようにして伸ばされた。
「お願…紘太も、イッて…っ」
律はびくりと胸を揺らせながらも、紘太のソレから手を離さなかった。
「言われなくたって、…っ!」
そんな姿の律を前にすれば、紘太も我慢の限界を越えてしまう。
二人は湯船の中へと吐精させていった。
証拠隠滅とばかりに湯船の栓を抜いて流してしまうと、二人は慌てて身体を洗って風呂を出た。
「…大丈夫…かな?」
「ん…。まぁ、風呂上がりだし」
熱りきった頬を鏡で気にしながらも、律は鏡の前で頬をパンと手のひらで叩いた。
「浴槽洗っとくから、律は先に行けるか?」
「うん」
律はわりと自分の感情を表に出さない方だから、この後も何事もなく両親と顔を合わせられるだろう。
リビングへと行った律へと、母親が話しかける声が聞こえて、そんな母へと律はいつもの調子で元気にお礼を言う声も響いてきた。
紘太はホッとしながらも浴槽を軽く洗ってリセットする。最後に鏡を洗い流せば、そこには自分でも驚くほどに緩み切った自身の顔が映り込んでいた。
(つーか…。俺の顔の方が、ヤバいな…)
先ほど律がしていたように、紘太も自身へと喝を入れるが如く鏡の前で両頬をパンッと挟み込んだ。
その晩もまた、律は紘太の背中にピッタリとくっついて眠りに就いたようだった。
紘太が向かい合って眠れないのは、ただ紘太自身の衝動を抑制するためでしかなかった。風呂で触り合ったからといって、このまま先に進めてしまうなんてことは紘太にはまだできはしなかった。
律の寝息を背中で感じながら、紘太はつい先ほどの風呂での出来事を思い起こした。
さすがに律にばかり先導されて、すっかり頼ってしまっている有様だ。男としてダメな気がしてきて、紘太はひとり情けなくもなってしまう。
(でも、これで律の気持ちがはっきりした)
ここで手を出さなければ、逆に他の男に律を盗られても仕方がないと言えるだろう。真野じゃなくても、律を好きな奴らはこの先もひっきりなしに現れてきそうでならない。
誰にも渡すものかと、やはりそんな心の声が紘太の胸にまた湧き上がっていた。
とはいえ、これまでの関係が急にガラリと変わるものでもなく、次の月曜日からも通常運転のような毎日が過ぎていった。
律が委員会の用事だと席を空けた昼時の休みのことだった。
「お前、なんか最近さ…、冴島の番犬みたいになってね?」
「今までは、孤高の狼ならぬ犬って感じだったのにな」
紘太たちとよく連んでいる二人のクラスメイトからは、そんなことまで言われるようになっていた。
「どこが…」
内心ぎくりとしながらも、紘太は別に普通だろと友人らへと言い返した。
「さっきだって、冴島が委員会の用事って言うなり目を光らせてただろ」
(う…。確かに…)
「まぁ、最近の冴島はちょっとアレだよな。色気って言うのか…」
友人のひとりがちょっと言いにくそうにしながらも口火を切った。
「うん…俺もそれ思った。好きな奴でもできたのかもな」
友人という立場からも、一緒に居るとわかるものなのだろうか。紘太は二人の発言に驚きながらも、律の色気は少なからず自分だけが感じているものでもないのだと改めて気がつく。
危うさを感じてならなくなった。
「ちょっと、律の様子みてくるよ」
ガタンと椅子をならせて立ち上がり席を外した紘太を見送った二人は、顔を合わせるなり「忠犬だな…」とぼやき合っていた。
委員会に使われる視聴覚室を覗くと、そこには二人だけしかいなかった。
(律と、…真野先輩か)
二人とも手ぶらだった。
(委員会の用事なのに、なんで二人きり…?)
そこで紘太はやっと事態に気がついたのだった。
(まさかアイツ、律を呼び出したのか?!)
苛立ちながらも、紘太は彼らに見えない位置で足を止めて中を窺い見た。律の顔は見えなかったが、真野の顔は紘太からよく窺えた。
背が高い真野は、律の少し上から見下ろしながらも和やかな表情で話し込んでいる。しかし、何を話しているかまでは聞き取れなかった。
幸いにも、前回の料理部の先輩のような状況ではなさそうだった。
(律は、大丈夫なのか…?)
つい心配なあまり身を乗り出してしまう。
真野は相変わらず爽やかな笑顔をみせていた。その笑顔が先日のそれと重なり、紘太はあの敵意ともとれる自分に向けられた眼差しをも思い出した。
(あの目は、本気だった)
これはもしや、律への告白の現場となるのかもしれない。真野の人柄は評判からは良さそうだが、紘太へと向けられた敵意が危機感を募らせていく。
紘太はいっそ、律を探してる体を装って踏み込もうかと考えた。
その時、教室内から一際大きな声が響いた。
「一度…! 考えてみてくれないか?」
(な…、何をだ…?)
真野は律の肩に手を掛けて距離を縮めた。律はそれより一歩、後ずさる。
(なん…で、律に触れてんだ?)
「先輩…僕は、先輩のことをそんな風には…」
律の気持ちは尊重してやりたかったが、紘太は無意識にも足を踏み出していた。
律だって男なんだから対抗する力くらいはある。でも、男に言い寄られれば誰だって怖いものだ。紘太くらいの年になればそれがただの告白ではなく、性的な意味での感情さえ伴ったものだと知れる。
律の肩にかかったその手は、何よりもそれを物語っていた。
いつかの律が震えていた背中を思い出して、紘太はぐっと両手を握りしめた。
「律…! 次は移動時間だろ。遅れるぞ」
「…紘太」
律が驚いて後ろを振り返った。
紘太は真野をちらりと窺う。その目は前回と同様にして、威圧的な眼差しを向けていた。
爽やかな外見には似つかわしくなくも舌打ちさえしていた。
真野は苛立ちを隠すこともなく紘太を睨みつける。
「時間ならまだあるだろ? お前、人が話をしている時に割り込むなんて、無粋にもほどがあるんじゃないのか?」
この真野は本来、随分と口が立つタイプのようだ。紘太とは真逆のそんな相手へと、紘太は向き合った。
「それは、前に先輩とお会いした時と、全く同じ状況なんじゃないですか?」
ファーストフード店で、律との時間に割り込んできたのは真野のほうが先だ。それも、真野はすでに紘太たちの関係にさえも勘づいているようだった。
紘太は律の手を取ると、
「行こう」
と言って、律を引っ張るようにして教室を出た。手を引きながら、律もまた思い詰めたような顔をして俯いていた。
人目も憚らずに、紘太はしばらく律の腕を掴んで歩いていた。別棟へと移る頃になって、その手はようやく離された。
「告白されてたんだろ?」
人通りのない廊下の端で、紘太は足を止めてそう律へと聞いた。
律は青い顔をさせながらも小さく頷き返した。
「うん…。まさか、真野先輩があんな風に思ってたなんて」
さぞ心外だったのだろう。律は信頼していた先輩が自分へと欲を向けていることに顔色さえ悪くさせていた。
けれどあの真野ならば、紘太が踏み込まなくても前回のような事態にはならなかったことだろう。あんな場所で襲おうものなら、退学問題にだってなりかねない。
それに紘太は、律の立場も考えないで己の私情に任せて割り入ってしまった自分に気が引けた。
「つい、踏み込んじまった…」
悪かったと頭を掻く紘太へと、律は首を振った。
「ううん。来てくれて良かった。やっぱり先輩も、何だか怖かったし…」
やはり律は、男に恐怖を感じている様子だった。
「…そっか」
そう応えて紘太は律の頭を軽くかき回すと、律からもやっと笑顔が溢れた。
「うん。やっぱり、紘太がいい」
律はやっと安心できたのか、己の額を紘太の肩へとトンとあてる。
「…律、あんまくっ付くと…」
紘太は下半身が疼き始めそうな気配を察して、弱ったとばかりに律の頭へと手を添えた。
「ごめん、紘太。学校では控えないとね」
そういって頭をあげた律は、離れがたく感じるほどに満たされた顔をしていた。
最初のコメントを投稿しよう!