春死なむ

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 見なくとも分かる。戦場に現れた()()を中心として動揺が広がり、瞬く間に混乱が広がっている。  この時を待っていた。  ざわめきに耳を澄ませながら、幻乃は堪えきれない笑みをこぼして、哀れな男に教えてやった。 「――生死をかけた場でも、ふざけた狐の面を被っている怖ぁいお方だから、そう呼ばれているのさ……!」  幻乃が囁いた瞬間、周りに立っていた者の首が、ごとりと落ちた。 「なに――」  目を見開いた隣の男の首も、同様に落ちていく。振り向く者は袈裟斬りに、刀を構えた者は胴体から。悲鳴を上げる間もなく、一太刀で、次々と命が葬り去られていく。  人間業とは思えないほど、その男の強さは圧倒的だった。向かう者すべてが、刀を振るより前に将棋倒しのように崩れ落ちていく。異様な光景に、敵味方関係なく、皆が口を閉ざして身を強張らせた。  その中で幻乃だけが、歓喜に目を輝かせて刀を握りしめる。 「行ってください、冬馬殿」 「狐? だが……」 「俺はここであの方を止めましょう。余計な雑念を入れたくない。あなたは屋敷を落としてください。――っ!」  話している途中で、冬馬を狙って刀が振り下ろされる。庇うように身を滑り込ませて、幻乃は面を被った男の一撃を真っ向から受け止めた。 「行け! 早く!」    怒鳴りつければ、尻に火がついたように冬馬は走り出す。  味方の一部が場を離れる間にも、幻乃から刀を引いた狐面の男は、一切の容赦なく周囲の命を刈り取っていった。  瞬く間に敵陣営を一掃した男は、積み重なる死体の中央で、やがて気だるげに動きを止める。長く息をつく音が、いやに大きく辺りに響いた。下ろされた刀から、温度さえ感じそうなほどの新鮮な血が、ぽたりと滴り落ちていく。  こきり、と首を鳴らす音がした。月を隠していた雲が、ゆっくりと晴れていく。  月明かりを受けて、男が顔を上げた。威風堂々とした佇まいは、まったく何度見ても惚れ惚れするような迫力だ。折り重なる死体と、おびただしい量の血溜まりを踏みしめて立つ男の顔は、しかし、奇妙なことに真っ白な狐の面で覆われていた。  その左目には、細く長い亀裂がひとつ。 「は……、あはは! まったく、何度見てもふざけた格好だ。戦場で面を被る阿呆など、あなたくらいでしょうね」  炎と死体に囲まれて、幻乃は狐面の男と真正面から相対する。その瞬間、幻乃の目には、目の前の男ただひとりだけが映っていた。  ああ、と恍惚と目を細める。  来てくれた。  会いたかった。  自分だけを見てくれている。ずっと、こうしたかった。 「お会いしとうございました。『人斬り狐』殿」  愛を囁くように、幻乃は狂おしくその名を呼んだ。
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