春死なむ

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 なんでもないことのように、直澄は続ける。 「半年前、お前が昏睡している間に、榊藩から三条藩への討ち入りを偽装した。報復という名目で、榊藩を落とすためだ。先のことを考えると、被害は最小限に留める必要があった。争いは一昼夜続いた。榊俊一殿の首を斬ったのは、俺だった」  それは、今まで聞いてこなかった俊一の最期の話だった。興味はないと言ったのに、なぜ今さら語って聞かせるのか。幻乃が口を挟む間もなく、直澄は語り続ける。 「榊俊一殿は、焼ける屋敷の中央で、堂々と座しておられた。これも時代の流れかと語り、最期まで微笑みを崩さぬ態度は、敵ながら立派なお姿だった。家族のことも藩のことも後に任せてあると言っておられたが、命を落とす寸前、思い出したように彼は笑った」  淡々と語られる俊一の様子は、幻乃の記憶の中にある主人の姿そのものだった。端的な言葉だけで、どんな風に主人が最期を迎えたのか、ありありと想像できる。 「『あなたとの斬り合いに焦がれる狐を一匹、飼っておりましたよ』……」  俊一の最期の言葉を語る直澄の声に、俊一の声が重なって聞こえるような気がした。    ――散歩に出たきり、まだ帰ってきておりませんが、もしも生きているのなら、いずれ相見える機会もありましょう。その時は、どうか刀を合わせてやってはくださいませんか。見かけの割に狂暴なもので、野に放って人里を荒らさないかと、どうにも気掛かりなのです。  死の間際だというのに、きっと普段通りの柔らかな笑顔を浮かべていたのだろう。風がそよぐような、低く優しい声を覚えている。『狐』と苦笑いする主人の声の響きを思い出し、幻乃は静かに目を伏せた。 「……人を獣扱いしないでくださいと、何度も申しましたのに」 「実際、獣だろう。お前の主人は、お前のことをよく知っている。妬けるくらいにな。……もっとも、刀を合わせたところで、狐は人里を荒らしたが」  力なく笑いながら、直澄は幻乃の上から体を退かす。何をする気かと見ていれば、壁に立て掛けてあった刀を鞘から抜き、刃の先端を手で持つと、くるりと刃を回して、無造作に柄を幻乃の眼前へと突きつけてきた。  幻乃のものでも直澄のものでもない、見覚えのない刀だ。何人斬ったのか、刃こぼれは酷いし、血と油も刃にこびりついている。それでも、人ひとりの命を奪うには十分だろう。  そっと跪いた直澄は、恭しくさえある動作で幻乃にそれを握らせて、凪いだ瞳で幻乃を見つめてきた。 「決着はついた。命が欲しくば、取っていけ。俺はお前の主人の仇で、お前のすべてを奪い、生き恥を晒すことを強いた敵だ。恨みを晴らしたければ、好きにしろ」 「は……?」  あまりのことに、怒りさえ湧いてこなかった。斬り合いの決着というなら敗けたのは幻乃だし、無抵抗に首を差し出す直澄をなぜ斬らねばならないのか。たっぷり数秒もの間絶句して、幻乃はようやく口を開いた。 「あなたは、藩主でしょう。戦はどうなったんですか。同盟軍は。新政府は。俺が言うことではありませんが、直澄さんはこんなところで命を落としていい方ではないでしょうに。何を馬鹿げたことを言っているんですか?」 「三条直澄は死んだ。もう、藩主ではない」 「……はあ?」  ならばお前は誰のつもりだとよっぽど詰ってやろうかと思ったけれど、直澄の顔には、こちらを揶揄っている気配もなければ、退く気配も窺えなかった。  そこでようやく、幻乃は直澄が意味していることを察して、唇を戦慄かせる。   「まさか、三条家を捨てると言うんですか?」 「人斬りが藩主でいられるものか」 「どうとでもごまかせたでしょう、そんなもの。夜の暗がりでの見間違いなり、混乱させるために敵方がでっち上げた言い掛かりなり……藩主が白と言えば白になる。そんなこと、分からないあなたではないでしょう……!」 「罪もない民を手に掛けた。同盟軍も切り捨てた。潮時だ。……俺は、周囲の心も命も、どうでもいい。藩主の立場が俺にとって有益だから利用していた。重荷になるから、捨てる。それだけだ。元々、廃藩に合わせて消えようと思っていた。平和な世には、護久のような者こそ相応しい。過去の主人など、いたところで邪魔になるだけだ。多少消える時期が早まったところで問題はない。命も――」  どうでもよさそうに言いながら、ぐ、と直澄は刃を己の首に押し当てた。 「もう、願いは叶った。執着はない。お前が俺を斬ることを、妨げるものは何もない。やれ、幻乃」 「な……っ」  刃が直澄の首の皮を割く。赤い血がじわりと滲む。慌てて刀を引こうとしたけれど、刃は動かなかった。 「離せ……!」 「なぜ?」 「離せと言っているんです!」  柄だけを幻乃に握らせて、刃は自分の手で進めるなど、こんなもの、ほとんど自刃と変わりやしない。わけも分からないまま焦る幻乃とは裏腹に、何かを確かめるようにこちらを見てくる直澄の視線は、痛いくらいに真っ直ぐだった。 「お前を斬れないなら、せめてお前に斬られたい。幻乃」  ゆるりと瞳を細めるその表情を目にしてしまえば、もう耐えられなかった。乱暴に舌打ちした幻乃は、肩を蹴り飛ばすようにして直澄を押し倒し、直澄の手から刀を払い落とす。 「ふざけるな……!」    からん、と甲高い音を立てながら、刀が床に落ちていく。直澄の上に馬乗りになった幻乃は、肩で息をしながら、くしゃりと顔を歪めた。 「俺は……! 俺は斬れない! 斬りたくない!」    気付いた時には、悲鳴のような怒鳴り声を上げていた。
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