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狂犬は甘やかに鳴くか。
その日、ヴァレリーとイヴォンの姿はニースの市街地にあった。イタリアとの一件以来、ファミリー同士関係が近くなったフレデリックから仕事を依頼されてのことである。
『Nice Palais de la Masséna Hotel & Spa』。二人の滞在先としてフレデリックが用意したホテルは、ニースでも指折りのリゾートホテルだ。
上階へと昇るエレベーターの中で、イヴォンはヴァレリーの腕へとそっと寄り添った。百九十センチを超える長身のヴァレリーと、百六十センチにも満たないイヴォンが並ぶ姿は、確かに親子に見えなくもない。
「何だ?」
「別に?」
何かがなくてはくっ付いてはいけないのかと、ヴァレリーを見上げるイヴォンの目が訴えていた。
「まあ好きにしろ」
身長もさることながら、年齢も親子ほど離れたヴァレリーとイヴォンが恋人という関係になったのはつい最近の事だ。手の早いヴァレリーにしては珍しく、未だイヴォンと躰の関係を持ってはいない。否、どう接すべきかを模索している最中である。
イヴォンからのスキンシップは、以前と然程変わった気がしない。誘うようなそぶりもなければ、ペットの域を出ない触れ合いに、正直なところヴァレリーは悩んでいた。
――こいつ、本当に分かってるのか?
手を出すべきか、出さざるべきか。触れるだけの距離で腕にくっ付いているイヴォンを見下ろして、ヴァレリーは内心で溜息を吐いた。
やがて僅かな重力とともに停止した箱を降りて、部屋へと入ればニースの街並みと海が目の前に広がる。絶好のロケーションにテンションを上げたイヴォンが大きな窓へと張り付いた。
「ニースも結構いいよな」
窓に両手をついて呟くイヴォンへと、ヴァレリーは何も言わずに近付いた。
反応のないヴァレリーを訝しみ、イヴォンが振り返る。
「ヴァル?」
振り向いたイヴォンは、一瞬にしてヴァレリーの腕に囲われていた。窓についたイヴォンの手へと、大きな手が重なる。
「ッ……」
「なあイヴ、お前は俺を何だと思ってるんだ?」
「何って……」
「飼い主か? 親か。それとも恋人か?」
「っ、こ、恋人……」
「なら、もう少しそれらしく振る舞えよ」
ヴァレリーの言葉は簡潔だった。
「そっ、それらしくって……」
俯くイヴォンの頸が熱を帯びて朱く染まる。手の中でピクリと動く指先は、逃げたいとでも思っているからだろうか。
「離してほしいか?」
「…………嫌だ」
大きな手の下で握り締められたイヴォンの拳が微かに震えていた。
「お前は、俺にどうして欲しいんだ?」
「どうって……そんなの分かんねーよ…。あんた誰にでもすぐ手ぇ出すくせに、俺には出して来ねーし……」
「出されたいのか」
「ばっ、普通聞くかよ!?」
イヴォンの言い分は尤もだと思う。だがしかし、ヴァレリーにはヴァレリーなりの悩みがあるのだ。
「だいたいお前、男に抱かれるって意味を分かってるんだろうな」
「そっ、れは……」
一瞬にして口籠もるイヴォンの姿が、答えなのだろう。付き合うだ何だと言いながら、色恋ごとには滅法疎い。
「言っておくが、一度手を出したらお前が泣こうが喚こうが逃すつもりはないからな」
「…………いいよ」
小さな呟きは、あっという間にヴァレリーの唇に攫われた。強引に奪われる吐息にイヴォンの息が上がる。
「んっ、……ぅ、ん――……」
きつく閉じられた目蓋の端に浮かぶ透明な雫を指先ですくい取る。それでもなお口づけを続けていれば、小さな躰からゆるりと力が抜けていった。
「ぁ、……ぅ」
ずるずると窓辺にくずおれるイヴォンをヴァレリーは抱き上げた。
「逃げたくなったら素直に言えよ?」
寝台に降ろされて視線を彷徨わせるイヴォンの顎を長い指が捉える。ついと上向かされてもなお、イヴォンは視線を合わせようとはしなかった。
「顔を見るのも嫌なのか?」
「ちが……っ」
「なら、こっちを見ろよ」
「うー……だって俺、今絶対変な顔してる」
「そうだな」
否定しないヴァレリーを思わず睨んだイヴォンはだが、絡まる視線にすぐさま目を背けた。僅かに動いた唇から、小さな声が零れ落ちる。
「それに……」
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