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お互いお世辞にも早足とは言えない速度で歩みを進めているとようやく、不本意ながら日常の風景になってしまったボロい階段が近づいてくる。その先に続く自分たちの住処に視線を向けると、フラットの柵に肘を乗せているルームメイトが「おかえり」と軽く手を振った。
「ギル!」
珍しくドアの外で出迎えてくれたルームメイトに手を振り返すと「大家さんも一緒?」とわずかに目を丸くしてギルが問う。
「そー、途中で拾ったんだよ。もうべろっべろでさあ」
「酔ってない」
「ほら、わかるだろ? もうずっとこんな調子。よし、じゃあなクソ資本家。ちゃんと水飲んでから寝ろよ」
「カオルも、ちゃんと潮洗い流してからベッド入れ」
「潮じゃないっつってんだろ」
それだけはきちんと否定しておくと、大家はわかっているのかいないのかよくわからない曖昧な頷きを返してくるりと背を向けて、一階の角部屋に戻っていった。その姿を見届けて「なあ、あとでコーヒー淹れて」と階段の手すりに体を預けながらギルを見上げる。
「もちろん。とびきりのを用意するよ」
「そんで、おととい録画しておいた歌番組一緒に観たい。ほら、ゲストがさあ……」
銀河一と名高いミュージシャンの名前を挙げて段差を上がろうとすると、左足が思い切りなにかを踏み抜いてメリメリと嫌な音を立てる。いや、なにかというか、なにを踏み抜いたのかはわかっているのだ。ただ、対象の認識を脳が拒んでいるだけで。
「カオル……!」
恐るべき察知能力とでもいうべきか、今しがた戻ったばかりの角部屋からゆらりと大家が姿を現した。手には部屋に大量に転がっているのであろう酒瓶がしっかりと握られている。あれで頭をかち割られたら、と想像する。確かに一発だな、プリンス。同僚の忠告を思い出し思わず苦笑する。かくも地球人は脆いのだ。
「またやったらぶち殺すと言ったのを忘れたか……」
殺意を一ミリも隠さずにおぼつかない足取りで自分に近づいてくる大家から逃れるべく、まだ5段しか昇っていなかった階段の手すりを乗り越え地面に飛び降りる。
「やってみろよ。いっとくけど、財布にも銀行にももうアンタの欲しいもんはない。給料日前なもんでな」
「ご大層なその衣装があるだろう。潮まみれなのは惜しいが、洗えばどうにかなる」
「だから潮じゃ……」
言い切らないうちに大家が飛び掛かってきたので「こいつ追いはぎする気だな!」と身を翻しながら叫ぶと「そうみたいだね」と2階から呑気な声が返ってくる。
「ギルめ……他人事だと思って……!」
「あ、右方向気をつけてね」
「うわっ、危なっ……このクソ大家、殺す気か!」
「間違いなく殺す気でやってるが」
「コーヒー、今淹れると冷めてしまうかな。カオルくん、終わりそうになったら合図してよ」
「おい!!!」
振り上げられる酒瓶を押さえながら空いているほうの手で大家の頬を思い切り抓ると、ルームメイトがあまりに薄情なセリフだけを残してドアの向こうに消えていく。
「まあいい……地球人ってのは全てに見捨てられたのち真の強さを発揮する……。来いよ」
「哀れだなカオル。だが失うものはまだある。奪われるんだ、徹底的に」
不敵に微笑みあうと、朝を告げる三つ目の鳥の鳴き声によって闘いの火蓋が切られたのだった――。
<第三話おわり>
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