第三話 死なないでね

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第三話 死なないでね

 いかにも嘘くさい鮮やかなライトに照らされて公転と自転を繰り返すダンサーたちが惑星ならば、とふと思う。客はさながら天体観測に夢中の少年といったところだろうか。それにしてはあまりに年老いて汚れ切った目をしていると鼻を鳴らすと、胸ポケットがふいにがさごさとうごめいてこのクラブの『王子』が顔を出す。 「すごい汗ですね。溺れるかと思いました」 「それはおまえだろ。どうりでやたらぴちゃぴちゃ音がするわけだ」  襟元を親指と人差し指でつまんでリル・プリンスをポケットから出すと「だって本当に暑すぎます!」と全身がぐっしょりと濡れている彼が手足を脱力させて音を上げる。 「しかたないだろ。冷房をぶっ壊したどっかのバカに文句言って来いよ」 「トイレに続いて冷房、ときたら次はなんでしょうね。ここのダンサーたちのやんちゃっぷりには痺れます。ふふ、いよいよ死人が出るのでは?」 「うわ、興奮すんなって。おまえってずっとマジでヤバいやつだよな……」  暑さに参って虚ろだった目に一瞬で光が宿る様に思わず肝が冷える。つまんだプリンスを顔から遠ざけるようにすると、反対の手で今にも目に入りそうだった汗を拭った。 「ああ、楽しくなると余計に暑さが身に応えますね。なにか萎えること話してくださいよ、ハウイーさん」 「クソ客みたいな絡み方すんなよ。休憩の間でもおしゃべりが我慢できないのか?」 「だって、ナンバーワンのご機嫌取りから解放されてる貴重な時間ですよ。それは気も緩むでしょう」  そういってプリンスが、深紅のカーテンの隙間からステージを指さして肩をすくめる。マグラーシャンの影が刻々と色を変えながら舞い踊っているのが見えて「ご機嫌取りなんかしたことないくせに」と顔をしかめると「ハウイーさんに言われたくないな」とプリンスが言った。 「今日は逆さ吊りにされていたとか。新人の尻拭いは結構なことですけど、こうまで身を削る必要はないのでは? あの程度の雑魚、わざわざ守ってやる価値もないでしょうに」 「ハッ、俺を買いかぶりすぎだ。そんな非効率的なこと誰が進んでやってやるかよ」 「なら、ただの不注意でキングの逆鱗に触れたんですか? あなたがそんな人ではないことぐらいわかります」 「もちろん、うっかりじゃない」 「では、わざとだと? それは……ふむ、あり得ますね。あなたの気の強さはよく理解しているつもりです」 「俺は気に食わないんだよ。あいつと、あいつを取り巻くなにもかもが。見てみろよ、あのクソ野郎を。あいつはただの駄々っ子だ。好き勝手暴れて周りを困らせれば、そのうち欲しいものが手に入ると思ってる。そんなクソお坊ちゃんには、俺みたいな喧嘩友達が必要だろ?」  プリンスを近くのテーブルのふちに座らせて、自分たちと同じように汗をかいているボトルを手に取る。ぐびぐびと喉を鳴らすようにして飲み干すとプリンスが「ボクにもください」と自分を見上げた。隣のボトルを手に取ってキャップ部分に中身を注ぐ。手渡すと、「でもボクは」とプリンスがキャップを抱えるようにして呟いた。 「クソお坊ちゃんが、素敵な喧嘩友達のことをそのままうっかり粉々にしないか心配なんです。ボクが言うのもなんですが、地球人って脆いじゃないですか。手足なんて簡単にもげるし、頭を割れば一発です」 「やったことあるみたいな口ぶりだな……」 「ボクは儚い命を慈しむタイプですよ。ねえハウイーさん、お願いです。無茶はしないでくださいね」  あなたが粉々になったらちょっと悲しいです、と冗談なのか本気なのかよくわからない口ぶりでプリンスがうそぶくのに軽く手を振って、頭上の時計に目をやる。 「オーケー、時間だ。それ飲んだら行くぞ」 「おっと、おしゃべりに夢中になってしまいました」  豪快にキャップを傾けて口元を拭ったプリンスが「行きましょう」とうなずくのに合わせて、肩とテーブルが同じ高さになるようにかがむ。両の踵が右肩に食い込んだのを確認して立ち上がると、灼熱の銀河と化したホールに続く深紅のカーテンを開けた。
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