エンゲルガルテン—光の庭—

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「……ル、フィル……!」  冷たい教会の中で、か細い声が何度も絵描きの名を呼んでいる。 「お願いよ、目を開いて。お願い……」  ぽたぽたと落ちる涙がフィルの頬を温かく湿らせる。  懸命な呼びかけは体温を失いかけていた男の耳に届き、死の淵を彷徨っていた意識に僅かに響いた。土色の瞼がそっと開く。 「……マーガレット、さま」 「フィル!ごめんなさい……まさかこんなことになっていただなんて。お願いフィル、いかないで。私を、私たちをおいていかないで」  マーガレットは男の手を取り、自身の腹に当てた。そこには確かなふくらみと、中からぽこんと動くものがある。虚ろだったフィルの目が驚きに見開いた。 「そう、赤ちゃんがいるの。貴方の子どもよ」  誕生日の前日、マーガレットはフィルに全てを打ち明けるつもりだった。だが絵を破り捨てられたショックは大きく、その後大量に出血までしてしまった。  預かり知らぬところで娘が妊娠したと知れば、父は容赦ない仕打ちをするだろう。子は強制的に堕ろされ、フィルは何も知らぬうちに八つ裂きにされるに違いない。  マーガレットはカリンに泣きつき、カリンは苦渋の末、親子の命を守ることを優先したのだった。  全てを知ったフィルは枯れ果てたはずの涙を一筋流し、マーガレットの手を握り返した。最後にこの温かさに触れることができたのは、きっと奇跡だ。 「フィル……?フィル!」  再び意識を失っていく男にマーガレットが縋りつく。そこへ従者を引き連れたヴァンドム伯爵が鬼の形相で乗り込んできた。 「マーガレット!!そこにいるのか!!」 「マーガレット!」 「お嬢様!」  カリンと伯爵夫人も後に続く。薄暗かった教会は従者たちの松明に照らされ、真昼のように明るくなった。 「マーガレット!!私は許さんぞ!!今すぐこっちに……」  怒りのままに拳を振り上げていた伯爵の動きがぴたりと止まった。  いや、伯爵だけではない。その場に足を踏み入れた者は一人残らず息を飲み、横たわる男を抱きしめるマーガレットの背後に目を奪われた。
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