甘いものが嫌いと言われましても

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「……で?」  緑風堂のカウンターテーブルの上には、山盛りのスイーツの試食が並んでいた。その前には不機嫌な顔をした貴志狼が座っている。その顔を、カウンターの内側から葉は小さくなって見ていた。  2月14日。今日は日本で一番チョコレートが乱れ飛ぶ日。一袋×××円のキャンディー型チョコから、一粒〇〇〇〇〇円の超高級チョコレートまで、ありとあらゆるチョコレートがトレードされ消費される日。  所謂、バレンタインデーである。 「……だって。さ」  ここ、緑風堂も先ほどまでバレンタインメニューを掲げて営業していた。と、言っても、元々緑風堂は葉の気まぐれで営業している店だ。ただ、いつもの日替わりスイーツを葉も好きな抹茶やほうじ茶とチョコレートのコラボスイーツにしただけで、特に変わったことをしていたわけではない。いつもより少しだけお客さんは多かったけれど、用意していた日替わりが終わった時点で店を閉めた。それが、30分ほど前。6時を少し回った頃だった。 「……その。食べてほしくて」  日替わりスイーツは殆ど完売した。残った三切は店で鈴と待ち合わせしていた菫に持たせた。おばあちゃんが喜ぶと、菫はいつも通り善意の塊のような笑顔を向けてくれた。きっと、鈴には菫からチョコレートと、チョコレートよりも甘いプレゼントがあるのだろうから、菫の祖母と兄によろこんでもらえれば僥倖だろう。  とにかく、店のスイーツは完売したのだ。 「お前は、俺を殺す気か?」  完売したのにも関わらず、カウンター席には山盛りのスイーツが並んでいたのだ。もちろん、全てチョコレートベースのスイーツだ。 「……だって」  貴志狼がスイーツに興味がないのはわかっていた。  それでも、やっぱり、恋人になって初めてのバレンタインくらいはどうしてもチョコを渡したかったし、少しでも美味しいと思って食べてほしかったのだ。  だから、考えて考えて、考えすぎて、作りすぎてしまった。 「よろこんで。ほしくて」  葉の声は小さくなって消えた。  ため息の音が聞こえる。呆れているんだろう。 「……どれがお前のおススメなんだ?」  くしゃり。と、頭を撫でる大きな手の感触。頭を撫でられて、葉は顔を上げた。  仕方ないやつだ。と言う顔で、貴志狼は笑っていた。 「えと」  葉は甘いものが好きだった。けれど、自分で作ろうと思ったのは貴志狼のためだ。貴志狼の笑顔が見たくて、お菓子を作ることを覚えようとした。不自由な足では大変だったけれど、そうやって覚えた技術は葉を生かしてくれている。だからこそ、余計に、貴志狼に喜んでもらえるものが作りたかった。 「これ。ホットケーキ。ココアの。ふわっふわにできたよ? あと、これ。チョコと抹茶のソースかけるんだ」  他のスイーツの皿を脇に押しのけて、葉は貴志狼の前にそれを置いた。 「ふわふわにすんの難しくて。他はいいからさ。これだけは食べてみて? きっと、気に入るよ」  変な形に焼けてしまったあの頃のホットケーキに比べると随分うまくできていると思う。隣の市にある有名店に通って研究した。  じっと見ている先で、貴志狼がそれにフォークを入れる。それから、ふわり。と、軽く切り取って口に入れる。 「ん」  しばらくそれを味わってから、肯定とも否定とも分からない声で呟く。  そして、貴志狼は微笑んだ。  どう?  とは、聞かなかった。あの変に欠けたホットケーキを食べたときと同じ笑顔。ただ、その笑顔だけで葉には十分だったのだ。  嬉しくなって笑顔を返す。 「俺のために作ったのか?」  テーブルに並んだスイーツを見て、貴志狼が言った。 「うん。笑って。ほしくて。だから、それだけ食べてくれれば十分」  元々全部食べられるはずがない量だし、一つでも貴志狼が気に入ってくれればよかった。貴志狼が笑ってくれたから、葉にとっては最高のバレンタインだった。 「残ったのは、明日常連さんにサービスで配る」  貴志狼は少しだけ難しい顔をしてから、頭の後ろを掻く。それから、す。と、葉の頬を撫でた。 「これ。冷凍きくか?」 「……? うん。果物使ってないし」  何故そんなことを聞かれたのかわからず、葉は答える。 「じゃあ、とっとけ。俺のために作ったもん、ほかのヤツに食わすな」  照れているのかもしれない。  葉は思う。  少しそっぽを向いて、貴志狼が言う。 「……うん!」  意味を考えて、嬉しくなって、葉は答えた。
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