キミバナレ

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 *  荘厳なステンドグラスから漏れる陽の光が、隅々まで磨き抜かれたチャペルを照らしていた。壁面では無数のキャンドルの灯がそれをアシストするように、あたたかな色でゆらゆら揺れている。この空間にはそれ以外に、角で殴られたら血が吹き出そうな分厚い聖書。パイプオルガンを弾く後ろ姿。特に今はやることがないからと、だまって直立不動になっている聖歌隊の面々。黒子のように物陰で息を潜めている担当のウエディングプランナー。後ろの参列者席に座りながら、この後の披露宴で出てくる料理のことだけ考えているであろう友人知人その他大勢。すぐ隣でまっすぐ前を見据える新郎たる彼。言葉遣いが難しすぎて何を言っているのかよくわからない神父。  いつの間にか、欠片ほども夢見たことのなかった新婦になっている、今の私。  彼はもともと、職場によく顔を見せる取引先の社員だった。私はせいぜいお茶出しをするくらいでしか彼との接点がなかったのに、ある日の帰りがけ「あの、いつもありがとうございます。お茶うまかったです」と話しかけてきたのは彼の方からだった。アスクルでまとめ買いしているパックのお茶にうまいもまずいもない気がしたが、曖昧に笑顔をつくって会釈をした。それからあれよあれよと仲を深めていったのは彼の話術であり、尚且つ「一人でもいいが独りは嫌だ」という私の我儘の成せる業だったのだろう。  結婚なんてしたくなくても、ひとりぼっちで毎夜、空に浮かぶ月をぼんやりと見上げる日々は退屈で虚しかった。誰かが傍にいてほしいと願う日もあった。それでも私は誰かと一緒に人生を過ごす覚悟ができない。自分だけ頭の上にヘイローを浮かべながら、この世界で他の誰かと仲睦まじく暮らす相手の姿など考えたくもない。だから沈みゆく船で二人取り残されたとすれば、私は相手をひっぱたいてでも、たった一着の救命胴衣を奪い取る自信があった。  彼に告白されたとき、私は正直に「結婚願望が全くない」ということを打ち明けた。あなたに魅力がないという意味ではない、とも付け加えて。そんなふうに杓子定規な役所の職員みたいなことを言ってしまったのに、彼は「仕事でもプライベートでも、俺は追い上げがすごいから」と笑っていた。財布の紐が団子結びになっていると思えるほどにはケチな私の上司から受注をもぎ取る彼だし、私を落とすことなど、荷物を右から左にずらすのと同じくらい容易いことだ……と思っていたに違いない。  それ以外、彼は飛び抜けた人格者でもイケメンでもなく、ごくごく普通の人だった。くだらないことで笑いもすれば、たいしたことのないことで怒りもする。けれど涙は一度も見せたことがなかった。彼が涙する姿を唯一目にしたのは、私が彼のプロポーズに対して、相当にねちねちと最終確認をして、最後にようやくゆっくりと首を縦に振ったときだった。自分の行動で誰かを泣かせたことは初めてで、少し驚いた。
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