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教室へ向かう廊下。眼の前を小柄な女の子が歩いていた。あれは、香美村さんだ。
なんと珍しい。彼女はいつも僕より早く登校している。だから、こうして朝バッタリ会う事はほとんど無い。
せっかくだ。周りに他の生徒もいないので、駆け寄り声を掛けてみるとしようか。
「おはよう、香美村さん。」
「あら。二人の時は下の名前で呼び合う約束でしょ?」彼女は振り向く事無く怒った様に言った。
初耳だ。そんな約束を結んだ記憶は毛頭ない。
振り向いていないので、未だ表情は見えないがどうせ、ほくそ笑んでいるに違い無い。とんだ茶番だ。
ただ、これで引き下がってはどうも負けた気がする。僕は意外と負けず嫌いなんだ。香美村さんに対しては、特に。
一度深く溜息をついて改める。
「おはよう。か、佳蓮………さん。」
ああ。やっぱり止めておけば良かった。恥ずかしくて死にそうだ。
彼女は振り向いて笑顔で言った。
「ふふっ。 おはよう。中城くん。」
本当に悪ふざけだ。
「香美村さんが、この時間にまだ廊下に居るなんて珍しいね。寝坊でもしたのかい?」
今度は、香美村さんが一つ深く溜息つく。
「職員室に呼ばれただけよ。」
へぇ。言われて見れば鞄らしい物は持っていない。代わりにA4サイズの一枚の用紙を大切そうに持っていた。
あれは何だろう。
彼女の持つ用紙が気になり始めたその時、「新しいクラス名簿よ。」と無表情で先手を打たれた。
僕はまだ何も言っていないのに。
香美村さんのこういうところは、少し気味が悪い。
それにしてもクラス名簿?
別にクラス変えが行われた記憶は無いのになぜ?
「先月、有村 志保さんが転校して行ったでしょ。」
ああ。
それの改訂版と言うことか。
でも、何故その用紙を香美村さんが持っているんだろうか。
「私、今日日直なのよ。中城君が学校へ来る前に放送で呼ばれたの。」
「………へぇ。」
まただ。
これじゃまるで察しを超えて、もはや予知じゃないか。
結局僕は、最初に投げた質問と「へぇ。」と応えただけで、後は香美村さんが僕の意図を読んで、話を進めて完結させてしまった。これはだいぶ気味が悪い。
教室に着くなり香美村さんは、黒板横のコルクボードに貼り付けられている古いクラス名簿を取り外す。
つられて僕も、「手伝うよ。」と言って片側の画鋲を外しにかかった。
その時の香美村さんは、「あら、ありがとう。でも、指を刺さない様に気を付けてね。中城君。」とまるで子供扱いする様だった。
あれはむしろ、『押すな、押すな』のフリだったのではなかったのかと、彼女の発言の意図が気になり出す。
ふと視線を香美村さんに戻すと、彼女はクラス名簿の一部をジッと見つめて、ある一人の名前を指で軽くなぞった。
ああ。
出席番号4番『遠藤 春奈』
去年の暮から、学校へ来なくなってしまった級友だ。級友と言っても、個人的に付き合いがあったわけでは無い。正直、クラスの一員だったというだけで、あまり印象が無い。
「私、遠藤さんと仲が良かったの。」
香美村さんの仲が良いは、一般のソレとは違う時があるので話半分に聞いておこう。
「そうなんだ。」
「そうよ。毎朝、花瓶の水を一緒に変えていたの。」そう言って香美村さんは教室の対角線上、窓側に置かれている花瓶を指差した。
「ああ、あれね。じぁ今は香美村さん一人でやってるの?」
「そうなるわね。 あら、中城君が代わりにやってくれるの?」
「え、いや。遠慮しておきます……。」
香美村さんは、植物には優しいらしい。
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