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「デイヴさんも、一緒に入ってくれますよね?」
「コノミが望むのならそうしよう」
かくして許斐はデイヴィッドとともに仮装したクルーたちとの記念撮影を楽しんだ。デジカメでの撮影のほかにも、SNSや待受用にスマホでも写真を撮った許斐が、この上なく贅沢な時間を満喫した事は言うまでもない。
夢のようなひと時を過ごし、美味い食事までをも堪能した許斐はデイヴィッドとともに部屋へと戻った。ふと途中で散歩を楽しみたいと一度甲板に出たものの、さすがに十月終わりの海風は冷たく、すぐに船内へと戻った許斐である。
「少し冷えてしまったな。風呂に入ってあたたまるといい」
「はい」
一瞬、一緒に入ると言われたらどうしようなどと思った許斐の心配は、杞憂に終わった。あくまでもデイヴィッドは紳士的で、嫌がる事はしないと言ったその言葉の通り、許斐を困らせるような事は何ひとつとして言わなかった。
湯気でうっすらとけぶった天井をひとり見上げる。まるで夢のような時間だと、そう思った。普段の生活とは何もかもがかけ離れた世界。まるで異世界に飛び込むような、そんな気持ちでやってきたのはいいものの、デイヴィッドとの出会いは予想以上の衝撃を許斐にもたらした。
「本当に…このまま甘えちゃってていいのかなぁ…」
かといって、何か礼が出来るのかといえば許斐には何もないのだが。
ばしゃりと派手な水音をたてながら、許斐は勢いよく顔を洗った。ぽたりと、前髪から落ちた雫が水面に波紋を作る。
「けど、これって現実なんだよな……」
現実の、いつもの自分の居場所に戻った時、果たして自分はどんな気持ちになるのだろうと、そう考えて許斐は大きな溜息を吐いた。デイヴィッドのことを、忘れられる気がしない。
「背伸びなんてするんじゃなかった…かも…」
後悔は、淡い痛みとなって許斐の胸にじわりと広がった。
◇ ◇ ◇
翌日。許斐が目を覚ますと部屋にデイヴィッドの姿はなかった。
まもなく横浜港に入港するというアナウンスに部屋を出る。昨日とは一変、擦れ違うクルーはみな正規の制服に身を包んでいた。
――本当に、魔法が解けたみたいっていうか、夢から覚めたっていうか…。
夢だと言われたら信じてしまいそうなほどだが、夢だったなら今許斐はこの船に乗ってはいないだろう。
グランドロビーは、静かだった。飾り付けられていたハロウィーンの装飾さえも姿を消している。
――あっという間だったなぁ。
ロビーのソファに座り、辺りを見回す。憧れの船は、昨夜とは違った雰囲気を漂わせていた。
――これが本当のクイーン・オブ・ザ・シーズの姿か…。
外見の優美さを裏切らない、見る者を魅了する美しい装飾の数々。流れる空気でさえも、どこか違うような気がしてしまう。
――世界中のVIPが絶賛する豪華客船…か。間違いないな。
自嘲にも似た思いが込み上げるのを止めることが出来なかった。許斐のような一般人が乗る船ではないのだと。
不意に時計が鳴って、許斐は顔を上げた。美しい曲線を描いた階段の先、大きな柱時計のすぐ横に佇む人影に視線が釘付けになる。
見間違うはずもない黒髪と、均整のとれた長身。男がこちらを振り返るのが、まるでスローモーションのように許斐には見えた。
「やあ、コノミ」
「デイヴ…さん…」
デイヴィッドは、落ち着いた足取りで階段を降りてきた。ただそれだけの動きでさえも、目を奪われそうになる。
「ここに居れば、お前に会える気がした」
昨夜とは違い、幾分かラフな出で立ちでさえデイヴィッドの男らしさを際立たせているようだった。ゆっくりと、一歩一歩近づいてくるデイヴィッドに、許斐は無意識に首を振っていた。
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