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「駄目だよ…デイヴさん…。俺はこれから船を降りなきゃいけないのに…。またあなたに会いたいって…そう思っても…会えないのに…」
「それが、コノミの本音か?」
もはや逃げようもないほど近づいたデイヴィッドの腕が、許斐を引き寄せる。あたたかな腕の中で、許斐はこくりと頷いた。
「ごめんなさい…。俺がもっと大人だったら、あなたの隣にいられたかもしれないのに…」
「せっかく嬉しいことを言ってくれたのに、またすぐそれか。どうしてお前は、俺に頼ろうとしない? 会いたいから会いに来いと、そう言えばいい」
「迷惑じゃないですか?」
どう足掻いても対等な付き合いなど出来はしない。
「俺、あなたに返せるものが何もないです。生活だって余裕がある訳じゃないんです。本当に、何年も節約してやっと一晩だけ、この船に乗ることが出来るくらいの人間です。きっと…あなたに負担しかかけない…」
言っているうちに自分でも悲しくなって、目頭がじんわりと熱を帯びるのが分かる。二十一にもなってと思う反面、それほどまでにデイヴィッドの存在が大きくなってしまっている事を許斐は自覚した。
「そうやって俯くのは、お前の悪い癖だと言わなかったか?」
「…っはい。……けど…今は、あなたに顔を見られたくない…です」
「それは、聞いてやれない望みだな」
「っ…!」
優し気な声とは裏腹にそう言って、デイヴィッドは許斐の顔をぐいと上げさせた。
不思議な色の瞳が、涙でぼやける。
「どうせ泣くのなら、素直になって泣いたらどうだ。俺と離れたくないと、我儘を言ってみろ」
「っ…離れたくない……、忘れたくない…!」
間近にあるデイヴィッドの胸へと許斐がしがみつけば、あたたかな腕に背中を抱かれる。
「魔法が解けた俺でも…っいい?」
「魔法なんて最初からかかっていない。最初から、可愛いと言ったろう?」
「子供っぽいって…言われてるんだと思ってた…」
「では、お前が自信を持てるまで、俺が毎日可愛いと言い続けてやろうか」
「それはちょっと…恥ずかしいです…」
熱くなった頬を隠そうと俯こうとした瞬間、背後から聞こえてきた声に許斐はビクリと肩を震わせた。
「おやおや。こんなに目立つところで子犬を泣かせるなんて、キミも隅に置けないねデイヴ?」
「どうやらこの船のキャプテンというのは、随分と暇らしいな」
「失礼なことを言うのはやめてくれないかな。下船するゲストの見送りも、僕の大事な仕事のひとつだよ」
言語が日本語になっても、デイヴィッドとフレデリックの遣り取りは仲が良いのか悪いのか、許斐には判断がつきかねた。
恐る恐る許斐が振り返れば、袖に四本のラインの入った真っ白な制服をその身にまとったフレデリックの姿がある。昨夜の黒づくめとは打って変わったその姿は、神々しいまでに凛々しかった。
「フレデリックさん…」
「やあ、倉科許斐クン。ご機嫌如何かな?」
「あのっ、悪い訳じゃないんです…っ。ただ…ちょっとその…」
「ああ、事情はわかっているから何も言わなくていい。ただ、キミに昨日渡しそびれたお菓子を持ってきただけ」
「お菓子…ですか?」
ハロウィーンは終わってしまったけれどと、そういってフレデリックに手渡されたのは、透かし模様の入った白い封筒だった。
「中を見てもいいですか?」
「もちろん。けれど、どうせならデイヴの部屋で開けた方がいいんじゃないかな? ここは、目立ちすぎる」
「えっ? けどもう下船の時間じゃ…」
部屋で聞いたアナウンスを思い出しながら許斐は腕時計へと視線を落とした。けれど、フレデリックは事もなげに言ってのけたのである。
「当客船は先ほど横浜港を出港し、現在はシンガポールへ向かっております」
「はっ? えっ!?」
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