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許斐がニューヨークに来るのは初めてのことだが、デイヴィッドの住まいがこの辺だと聞いてからこちら、ネットで色々と調べた事は言うまでもない。パソコンの画面に映し出される景色はどれもが日本とは違っていて、いつか行ってみたいと思うようになっていた。その思いがこんなにも早く実現してしまうとは思ってもみなかったが。
とはいえど、デイヴィッドの住む街というだけでネットの情報を眺めていた許斐は、観光スポットなど全く調べていなかった。いざ出掛けるとなると、どこを見て回ればいいのやらと困り果てる。
デイヴィッドにおすすめのスポットを聞けば、賑わっているだろうクリスマスマーケットの場所などを教えてくれた。
「分かっているとは思うが、日本ほど治安が良い土地ではない。昼間だからといって、あまり人の少ない場所には行かないように気を付けるんだぞ?」
「はい。気を付けますね」
「もし場所が分からなくなったらホテルに電話しろ、迎えの車を出せるよう伝えておく」
「えっ、タクシーだってありますし…」
「中には違法タクシーもあるからな。できるだけ、トラブルの芽は潰しておきたい」
確かにデイヴィッドの言わんとしている事は分からなくはない。ニューヨークはおろか都内にさえも足を運ぶ機会の少ない許斐ではある。が、許斐とて二十を超えた成人なのだ。そこまで心配しなくても…と、些か不満を感じなくもない。
しかしデイヴィッドの善意を無碍にするわけにもいかず、許斐は半ば聞き流すようにして返事を返したのである。
◇ ◆ ◇
十二月二十四日。許斐は通りから僅かばかり路地を入った場所で大柄な男に詰め寄られていた。すぐ目の前でまくし立てられる早口の英語に圧倒される。
どうしてこんな事になったのかと言えば、理由は男の持つ紙袋の中身にあった。
デイヴィッドに教えてもらったクリスマスマーケットを散歩がてらに眺め、ホテルへと戻ろうとした帰り道で、許斐はふらふらと近づいてくる大きな男を避けきれずにぶつかってしまったのだ。その際に、どうやら男の持っていた荷物が壊れてしまったらしい。
観光者狙いの明らかな詐欺の手口ではあるが、気が強い方ではない許斐に対しては、確かに有効かもしれなかった。当然、男の方もそう思っているのに違いはないのだが。
『ですから、ぶつかってきたのはあなたの方で…』
『ふざけるな! お前がぶつかったから俺の大事な荷物が壊れたんだ!!』
もはや何を言っても同じ言葉を繰り返す男に、許斐は動揺を隠せなかった。
どうしようと、困り果てて取り出したスマートフォンまで奪われて許斐はたじろいだ。さすがに、そんな事までされるとは思ってもみなかったのだ。
『返してください…!』
『弁償する金がないならコレでもいいんだぜ』
金目のものを奪い取った事で気分を良くした男が嫌な笑みを浮かべる。自分より身長も高く、体格も良い男から力尽くでスマホを取り返すだけの力は、許斐にはない。
『……返してください』
『お前が壊した荷物を弁償するって言うなら返してやるよ』
『ですからそれは…』
『弁償できないっていうなら、代わりのものを差し出せって言ってんだよ! 当然だろう!』
再び語気を強める男に、許斐は思わずふらりとよろめいた。これ以上は、何を言っても無駄なのだと諦めるしかない。警察を呼ぼうにもスマホは男に奪われたままで、どうする事も出来なかった。
――どうしよう…、デイヴがあんなに心配してくれてたのに…。
子供扱いされていると、拗ねていた自分が恥ずかしくなる。僅かに俯いていれば、勝ち誇ったように大柄な男は踵を返そうとした。
『待っ…』
『つまらない手口で捕まりたくないのなら、今すぐに彼のスマホを置いて立ち去れ。でなければ、力づくで奪い取るぞ』
『ああ!? 何だお前…!』
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