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「あぁあの、本当にごめんなさい! 俺っ、馴れ馴れしかったですよね…っ」
「まさか。僕にこんなに熱烈な日本人のファンがいるなんて、嬉しくないはずがない。さあ、キミの部屋に案内しよう」
促すように右手をグランドロビーの方へと向けたフレデリックに、許斐はこくりと頷いた。
ほんの少し通路を進むと、それまでどこからともなく聞こえていた音楽が大きくなって、それが生の演奏である事に許斐は気付いた。俯いていた顔をあげると、グランドロビーの中央で幾人かの奏者が楽器を演奏している。
「ここが我が家のグランドロビー。毎日、午後六時になると演奏が始まる」
「確か、ドレスコードも切り替わるんですよね?」
「その通り。今日は特別なスケジュールで動いているから、キミのように今晩だけのゲストには乗船から正装をお願いしているけどね」
フレデリックの言葉に、改めて許斐は自分の着ている服を見下ろした。次いでグランドロビーで音楽を楽しむ人々を見回す。
「あの…」
「大丈夫。心配しなくても、キミは素敵な紳士だよ」
心配を先読みしたかのような台詞に唖然としていれば、フレデリックはくすりと笑った。
「周りと自分が違っていないか心配だと、キミの顔に書いてあった」
「うっ、その通り…です…」
「日本人は、とても繊細だね。そして優しい。けど、自信を持って? キミは、胸を張って歩けばいい」
とんっと背中を大きな手で軽く叩かれて、許斐は一歩踏み出した。微かなどよめきに慌てて振り返れば、フレデリックが他の乗客たちに笑みを向けているのが分かる。
――そりゃそうだよね…。フレデリックさんはああ言ってくれたけど、こんなに素敵な人と俺が並んでて、つり合うはずがない。
明らかに自分とは違うオーラを放つフレデリックの姿が眩しかった。同時に、やはり場違いだという気持ちが腹の底からせり上がる。最初から、人種が違うのだと、そうはっきりと自覚する。
「クラシナ様?」
「あの…、あとは自分で行けますから…!」
俯いたまま言い放ち、許斐は踵を返した。とてもではないけれど、フレデリックの顔を直視できない。が、足を踏み出した瞬間、許斐はすぐ目の前の誰かにぶつかることとなった。
ドンッと、思いのほか強い衝撃によろめく。
「っ…ぁ」
「クラシナ様…!」
『おっと。大丈夫かい?』
フレデリックが呼ぶ声と、どうにか聞き取れる英語が同時に聞こえる。
俯いていたせいでぶつかってしまった相手の顔も見ずに、許斐は深く頭を下げた。
『ごめんなさい!』
「ああ、日本人か。俺は大丈夫だから、顔を上げてくれないか」
ふわりと、かけられた大きな手が許斐の肩を引きあげる。つられて顔をあげた先には、艶やかな黒髪と不思議な色をした瞳があった。
「大丈夫か?」
「あ、はい…っ」
「なら良かった。急に走り出すから驚いた」
黒髪の男は、些か大袈裟に見える仕草で肩を竦めながらそう言って笑った。驚くほど整った彫りの深い顔立ちに一瞬見惚れそうになった許斐だったが、後ろから聞こえてきた英語にはっと我に返った。
『デイヴ、大丈夫かい?』
『ああ、フレッド。今夜は可愛らしいゲストがいるようだ』
『僕の船はキミの狩場じゃないんだよデイヴ』
『紹介くらいしてくれてもいいだろう?』
黒髪の男は、どうやらフレデリックとは親しい間柄のようだった。
逃げるタイミングを完全に失った許斐がぼんやりと二人の会話を聞いていれば、とんと肩を叩かれる。
「クラシナ様、お怪我はありませんか?」
「あっ、はいっ。大丈夫です」
「それは良かった。彼はデイヴ。僕の友人で、我が家の常連客です」
フレデリックに紹介された黒髪の男はアメリカ人で、デイヴィッド・マリア・グレイと名乗った。
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