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けれども、デイヴィッドが自分のことをこうして考えてくれる事が、何よりも許斐には嬉しい。正直なところ、留学に関してはもとより興味があった許斐である。デイヴィッドの元に世話になるかは、また別の話ではあるが。
「日本に帰ったら…教授に相談してみようと思います…」
「大学を卒業したら、したいことはあるのか?」
「一応…英語は得意な方なので…活かせればいいなと、漠然と考えてはいたんですけど…」
仕事に出来るかどうかと言われれば自信がないと、そう言って許斐は笑った。
「そうだなぁ、通訳などどうだ? 許斐は少しそそっかしいところはあるが、いざという時に物怖じするタイプでもないし、案外向いていると思うが」
発音も丁寧だとデイヴィッドに言われ、僅かに顔が熱くなるのを自覚する。どうしてこう、この男は何でも見透かしてしまうのだろうか。
「実は…」
「うん?」
「俺、船が好きじゃないですか…」
「そうだな」
「だから、客船のクルーになろうかとも考えていたんですけど、やっぱりクイーン・オブ・ザ・シーズ以外は考えられなくて…。けど、さすがにクラシック・ラインはハードルが高いのもあって…。それなら通訳が現実的かなって…考えてて…」
言っているうちに恥ずかしくなって、だんだんと声がしぼんでいく。が、不意にぽんと大きな手が頭に乗った。
「なら、先ずお前は自分に自信を持つところからだな」
「ぅ…」
「アメリカ人を相手にするなら自意識過剰なくらいでちょうど良い」
「もう少し経験を積んだら、自然と身に着くかなって…」
もごもごと言い訳をしていれば、くしゃりと髪を掻きまわされる。
「なんなら練習がてら俺を誘惑してみるか?」
「え…、ええ!?」
そういう経験値ではないのだと、否定する間もなくソファにゆったりと背を預けたデイヴィッドに見つめられ、許斐は視線を泳がせた。あまりにも男前なその姿を直視できない。
「あの…ですね…デイヴ…」
「なんだ?」
「そういうのじゃなくて…、初めはもっとこう…初心者向けの方法を…お願いします…」
言いながらもあっという間に顔が火照るのが分かる。誘惑しろと言われて意識することほどハードルの高いものはない。まして相手がデイヴィッドとなればなおのことだ。
「本気…ですか…?」
「冗談にしてしまうには、些かならずもったいない提案をしたと思ってるよ」
回りくどい言い方をするデイヴィッドに、許斐は困ったように眉根を寄せた。嬉しいけれど、恥ずかしい。
「だがまぁ、今はまだ冗談という事にしておこうか」
ぐいと引かれた腕に躰を寄せれば、耳元にデイヴィッドは低く囁いた。
「お前が俺を誘惑してくれる日を楽しみに待つとしよう」
「…っ」
言うが早いか耳朶を噛まれ、許斐は息をつめた。すぐ間近に響く水音が頭の中をいっぱいにしていく。
夕暮れに染まりつつあるセントラルパークを見下ろす部屋で、許斐はこれまでで一番甘いクリスマスの夜を過ごすこととなった。
END
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