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混乱を避けるため、クルーとの個人的な撮影は禁止されている。ただし、パレードを撮る分には自由という事で、許斐はデジカメを片手にやってきたのだが…。
「うわー…人が多くて見えない…」
まして外国人の乗客の多い船で、日本人としては平均的な身長の許斐は小柄な方だった。
――撮影は諦めるか…。
どうにかパレードを一目見られたら、それでいいかと考え直し、許斐は比較的人の少ない場所を求めて船内を彷徨う。事前に送付されてきた案内図でパレードの経路を確認しながら歩いていた許斐は、メイングリルの手前でドンと頭に衝撃を受けた。
「あっ、すみませーー…」
「真面目なわりに、案外そそっかしいな」
頭上から聞こえてきたのは、紛れもなくデイヴィッドの声だった。
「デイヴさん…!」
「やあコノミ。歩くときは前を向かないと危ないだろう?」
「うぅ…ごめんなさい」
二度もぶつかってしまっては申し開きのしようもない。項垂れる許斐を見下ろして、デイヴィッドは朗らかに笑った。
「パレードを見に来たのか?」
「はい。けど、どこも人が多くて…」
「それはそうだろうな」
何気なく周囲の人々を見回すデイヴィッドには、そこはかとなく漂う大人の余裕がある。
「デイヴさんは、見学しないんですか?」
「する気がなかったら、こんな所にはいないだろうな」
「ははっ、そうですよね」
常連だというデイヴィッドなら、もしかしたら穴場的なスポットを知っているかもしれないと許斐が口を開きかけたその時だった。デイヴィッドが許斐の顔を間近に覗き込んでくる。
「そうだコノミ、俺と取引をしないか?」
「取引…?」
「今夜一晩、俺と一緒に居てくれるなら、特等席でパレードを見学させてやる」
「は? えっ?」
「ついでにフレッドたちを部屋に呼んでやるってオマケ付きだが、どうする?」
ニッと悪戯な笑みを浮かべるデイヴィッドの提案は、許斐にとってこのうえなく魅力的だった。けれど…。
――一晩一緒にって…、やっぱりそういう事…だよね…?
おいそれと乗れる話でない事だけは確かだった。
――けど、フレデリックさんたちを部屋に呼んでくれるって…、そんなの絶対普通じゃ有り得ない…!
ぐらぐらと誘惑に揺れる気持ちをどうしても抑えられない。
「あの…デイヴさん…」
「なんだ」
「それって…その、一緒に寝るとか…そういう…?」
上目遣いに様子を窺う許斐を見下ろしたデイヴィッドは、僅かな間のあとで豪快な笑い声を響かせた。つられて、周囲の視線が一斉に集まる。
「ちょ…! デイヴさん人が…!」
「ははっ、いやすまない。お前があまりにも必死なもので可笑しくてな」
「だって、あんな言い方されたら誰だって…!」
「まあそうなんだが、そこまであからさまに悩まれると少々複雑な気分になる」
豪快な笑いとは一変、耳元に寄せた唇で低く囁くデイヴィッドの吐息がうなじに当たって、許斐はこそばゆさに首を竦めた。相変わらずの視線の中で、急接近されるのは余計に恥ずかしい。それでなくとも、デイヴィッドほどの男はこの船でも目立つ。
「ちょっと、近いですって…っ」
「コノミの嫌がることはしない。一晩、お前の時間を俺にくれないか?」
「っ…」
真摯に響くデイヴィッドの声に、許斐は小さく頷いていた。
デイヴィッドに連れられて向かった先は、メイングリルの少し先にあるカフェだった。デイヴィッドが声をかければ、スタッフは通路に面した席へと二人を案内した。
普段は目隠し代わりに観葉植物が置かれているものを、今夜だけはパレードを見学できるようにと移動させているらしい。
「うわぁ、本当に特等席だ…!」
「喜んでもらえて何よりだ」
広く間隔のとられたテーブルは全部で三つ。そのどれもが当然のように埋まっていた。
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