Halloween Night. ―another side.―

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Halloween Night. ―another side.―

d299b786-e70c-41b0-b0dd-d6b51d8f7f6e  十月三十一日。その日、許斐は悲願である『Queen of the Seas』への乗船を果たした。  倉科許斐(くらしなこのみ)。二十一歳、独身、男。恋人いない歴二十一年。身長百七十センチの平凡な日本人だ。ついでに言えば彼女よりも彼氏が欲しいタイプである。  世界一の豪華客船と名高い『Queen of the Seas』。しかも初の横浜開催となる限定イベント【Halloween Night.】。そのプラチナチケットを手に入れるため、許斐は節約生活を送ってきたといっても過言ではない。そして今日、その苦労がようやく報われるのである。  タラップを渡り、グランドロビーへと続く通路のど真ん中で立ち止まり、許斐はぐるりと周囲を見回した。 「あー…凄い…。本当に俺…クイーン・オブ・ザ・シーズに乗ってる…!」  船の中とは思えぬほどの高い天井。華美すぎず品のある装飾の数々。どこからか聞こえてくる優美な音楽。そのどれもが夢にまで見た光景だった。  ふと、一張羅である唯一のブランド物のスーツでさえ場違いな気がして許斐は自身を見下ろした。  ――大丈夫…だよな?  気を取り直していま一度…と、許斐が振り返ったその時だった。見紛うはずもない金髪碧眼。日本ではそうそうお目にかかれない均整のとれた長身を発見して許斐は唇を震わせた。 「あ、…あ、キャ、キャプテン・フレデリック…!」  気の利いた挨拶どころか裏返る声に許斐は顔に熱が集中するのを感じる。まさか、こんなに早く目当ての人に会えるとは思ってもみなかった。  吸血鬼ドラキュラの仮装だろうか。漆黒のタキシードに襟の高い黒いマントを羽織った長身の男がゆっくりと振り返る。僅かに尖った牙を覗かせて微笑む男の口から流れ出たのは、流暢な日本語だった。 「おや、僕のことをご存知とは嬉しい限りですね」 「も、もちろん! その仮装、すっごく似合ってます! あっ、あの、俺…!」 「クラシナ様ですね。ありがとうございます。ようこそハロウィーン・ナイトへ。今宵は日常の喧騒を離れ、どうぞ寛ぎの時間をお過ごしください」 「はい! え? あのっ、どうして俺の名前…!?」  乗船したばかりで突然名前を呼ばれ、許斐は驚きを隠せなかった。常連ならともかく、許斐がこの船に乗船するのは初めてだ。 「大切なゲストのお名前は、当然存じ上げておりますよ」 「えっ、乗客全員の名前を…ですか…?」 「もちろんです。どなたも大切なお客様ですから」  フレデリックは当然のように言ってのけるが、この船の乗客数を考えれば人間離れした記憶力としか言いようがない。けれど、その言葉が嘘でない事は実際に許斐の件で実証されていた。 「俺っ、この船に乗るのが昔からの夢で! あなたに会いたくて金を貯めてきたんです!」 「それは光栄ですね」  柔らかく微笑むフレデリックの顔を見れば、はしゃぎすぎてしまったかと許斐は少々恥ずかしくなった。 「あの、ごめんなさい。お仕事の邪魔…ですよね」 「邪魔だなんてとんでもない。クラシナ様をおもてなしするのも、僕の重要な仕事のひとつですよ。宜しければお部屋までご案内いたしましょう」 「いいんですか!?」  はしゃぎすぎたと反省したのもつかの間、許斐は勢い余ってフレデリックの手を握っていた。 「あ…っ、すみません…つい…」  慌てて引こうとした許斐の手は、だがフレデリックの大きな手に捉え返される。  ――え?  だがしかし、次の瞬間には許斐の手はそっと降ろされた。一度だけきゅっと力強く握り込んで大きな手が離れていく。 「そんなに喜んでもらえると、僕も嬉しいよ。ありがとう」  幾分かくだけた口調で耳元に囁いて、フレデリックは片目を瞑って見せた。その顔があまりにも綺麗すぎて、カッと顔が熱くなる。
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