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しまった。今は勤務中だ。常連でもない客と長話するのはよくないだろう。俺は店長がこちらに向かって歩いてくるのを見た瞬間、形さんの手をさりげなく振り払おうとした。
「あ、そうだ。僕、欲しいものがあるんです」
「欲しいもの、ですか」
買い物をする気はあったのか。それにしてもこんなイケメンが欲しがるものって、一体何だろう。
「はい。あそこの棚から、あっちの棚にある商品、全部ください」
聞き間違いかと思ったが、形さんはカウンターの前にある棚を端から端まで指差している。この店はレジカウンターから見て縦に棚が並んでいる。衣類、雑貨類、文房具類、化粧品、家電、などカテゴリーごとにわかれている。
形さんが指差したのは、ショーケースが設置されている棚だった。中にはハイブランドの時計や靴、鞄が並んでいる。中古品とはいえブランドものは高い。中には十五万の時計や二十万を超える鞄がある。総額を頭の中で大雑把に計算してみても、俺の年収は軽く超える。
「全部って……」
「あ、お金なら心配しないでください。ちゃんとカード持ってきてますから」
形さんはジャケットの内ポケットからカードケースを取り出し、中に入っていた黒いカードを見せた。それってもしかしてあれか? あの金持ちしか持ってないカードか?
「お客様、本日はご来店いただき誠にありがとうございます。すぐに商品をご用意いたしますので、少々お待ちください」
さきほどまでの怒りはあっという間に消えたらしく、店長は見たこともないほどの満面の笑みで綺麗に四十五度のお辞儀をした。
「ありがとうございます。でも僕の接客は冬野さんだけにしてもらえますか?」
「はっ!?」
「ええ、もちろんでございます。冬野も喜ぶと思いますので」
勝手なこと言ってんじゃねえよ! と内心キレるも、形さんの手の力とこちらを見る店長の笑顔の圧が強すぎて、俺に逆らう権利などないことがわかった。
「ありがとうございます。冬野さん、よろしくお願いしますね」
悪びれた様子など一切なく、形さんは俺の手を握ったまま自分の頬にそれを擦り寄せた。鳥肌が立ったことは言うまでもない。助けを求めて店長をチラリと見るが、満面の笑みを浮かべたまま石像化してしまったのか、微動だにしない。
ほかのスタッフも見てみぬフリをする。どうやらこの店に俺の味方はいないらしい。
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