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泰兄さまの言い分はこうでした。
こんな奇妙な写真をよその人に見られたらどうするのか。そもそもお手伝いに来てくれている佳さんを通じてすでにご近所の噂になっているのではないか。外聞が悪い。母よ、少しは控えると云う事を知るべきではないか。
つづめて云えば兄の言い分はこういうものでした。まだ幼かったとはいえ、私は兄の言葉に父への敬愛や慎みの思いが欠片もないことには気が付いていました。そのときは、兄は進路を巡って父と口論が絶えなかったために、父への怒りがまだおさまらないのだと解釈しておりました。
泰兄さまは殊の外芸術を愛でて、東京美術学校への進学を望んでおりました。けれども実業家の父は、泰兄さまに自分の跡目を継がせるべく、東京帝国大学への進学を求め、頑として譲らなかったのです。兄さまは幾度か友人を頼って出奔さえしましたが、それでも数日で折れて父に言われるまま家に戻るということを繰り返していたそうです。もちろんこれは、後から聞いた話で、当時幼かった私には知る由もありませんでした。
母に詰め寄る兄さまの背後に、あなたの顔が削られた家族写真がぼんやりと鼠色に浮かび上がり、気が付くとそこだけ明り採りの窓からの陽が当たっていて、何か不穏な気味の悪さを覚えたことだけは、私は今でもはっきりと思い出せます。
けっきょく、兄さまは写真をおさめた額縁を取ってしまいましたが、兄が寮に戻った後は、また母がそれを持ち出してきて、同じ場所に飾りました。
あのとき兄さまが言っていた「おんな」という言葉が、単なる性別を指して云っているわけではないことに関しても、子どもの私は気づいていました。でも、その意味するものまではまだその時点では明瞭ではなかったのです。
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