顔のない父

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 母はおっとりとした風の色白の美人でした。私は父よりもこの母に似たらよかったとその頃は思っていました。髪もつややかで、三面鏡に正座して髪を梳く後ろ姿などはうっとりとするほどなのです。  その母がなぜ、父の顔を削り落とした写真を掲げるのか、本当に奇妙でした。ある日、午後のお茶をいただいているとき、学校の様子など他愛もないことをお話しているときに、何気ないふうに母に訊ねてみました。  実を言うと、少し覚悟していたのです。母はご機嫌を損ねるかもしれない、と。兄さまと母とのやりとりはかなり険悪でしたから、幼い私でも不穏さは十分に感じていたのです。  でも、母はそれはそれは優しく微笑まれ、こう言いました。 「死者の顔を現世に残すのは忍びないからよ」と。  いくら何でも私にも釈然とする答えではありませんでした。それならそもそもこの写真を掲げる意味はないのではないか。兄さまがそうしたように外してしまえばいいだけではないか。でも母は、私の顔にそう書いてあることを確かに見てとったうえで、少し口をすぼめてまた微笑んだのです。  私はそれ以上聞くのがためらわれて、いえ正確にいうと恐ろしくて、もう黙り込んでしまいました。幼いながらも自分の失言に、顔から火の出そうな思いを抱きながら。  そしてふと、自分は父に似ているということにも思い当たったのでした。  そう言えば、幼い頃から母は「みな江さんはお父さまに似ている、よかったわね」と言っていました。
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