顔のない父

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 私は高等女学校に通う年齢になっていました。  私は容姿だけでなく、頭のつくりも父に似たようです。その後、実業家として、父の跡目はつがなかったもののうまくやることができました。才気も知能も、容姿も父に似ているのです。  さあ、お気づきでしょう?  父に容姿の似ている私が、父の顔の削られた家族写真をどう見ていたか。  泰兄さまが何度外してもまた掲げなおす母に、いかなる情を抱いていたか。  美しくたおやかな母。もし仮にでも、この母に似ていたら、と思っていたのはごく幼少の時。成長とともに私には別に《生母》がいるのだということを知ったのでした。おしゃべりな方が身近にいましたからねぇ。  それはともかく、まだ兄は自殺せずにいた頃の話です。  私は美しくない容姿を十分に自覚していましたから、当時の女学生のはかま姿も、まわりのお友だちとは違って極めて地味なものを身につけていました。母は気を使ってくださって、花模様の赤や桃色の入ったような年頃にふさわしい生地を用意してくれたのですが、お手伝いの佳(よし)さんが、奇妙に笑いながら、「お嬢さまにはお似合いになりませんよ」と、こともあろうに面と向かって言ったのです。  そう言われたら、私ももうすっかり気力を失ってしまって、代わりに佳さんの選んだ質素にさえ見えるような生地で仕立てました。黒髪を結うリボンも黒色。お友だちと一緒だと、まるで私は男役になってしまったかのように感じましたが、さほど気に病みはしませんでした。だって私にはよく似合っているのですもの。さすがは私が生まれた時からともにある佳さんだと感心したものです。  わざわざ母の決めた生地を変更するほどの、こういったずうずうしさを、どこか佳さんは持っていました。いつもは控えめな方なのに、ときどきこうなるのです。  生前のあなたはいいましたね。 「佳さんは強情なところのある人だから、あまり気にしないように」と。  あなたにもそのように見えるほどだったということなんですよね。  でも、佳さんの話は止しましょう。大したことではないんですもの。  それより、奇妙な家族写真がずっと掲げられつづけていた家族の話の方が、きっとずっと面白いでしょう。  泰兄さまです。  兄さまは芸術家肌であったと述べましたね。  ですので、そのためか心の細やかなところのある人だったのです。もちろん、私にはずっと優しくしてくれました。  後から思うに、「おんな」というあの言葉からすると、少し意外かもしれません。  でも、兄さまは、人は生まれる境遇を選べないということを身をもって知っていたのでしょう。  芸術家肌は、隔世遺伝とも言えるでしょうか、祖父の血です。そして実業家の父とはあまりそりが合わなかったことはもうお話しましたね。  それでも兄は、父に似たところのある私を大事にしてくれました。  とはいえ、当時のこと、所詮女だと高を括っていただけなのかもしれませんが。  いえ、亡くなった人を悪く言うのは、心が痛みます。  どういう死に方にしろ、大事な大事な命を兄は自ら断ち切ってしまったのですから。ふふ、本当に、命ほど大切なものはないというのに。
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