素直になれる魔法の日

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バレンタインデー当日。 何かの手違いで佐倉が出社しているかもしれない、と淡い期待を胸に、用意したマカロンを通勤鞄の奥底に入れて出社するも、やはり佐倉はいなかった。 何度も佐倉のデスクを眺めては、ため息を吐く。今日くらいは、佐倉に会いたかったと嘆いたっていいだろう。 1人で食べる昼食はつまらなくて、社員食堂で簡単に済まし、本当だったら今頃…なんて想像しては今日何度目かのため息を吐く。 そんな不貞腐れたような俺に気を遣ってか、職場の女性陣や営業先から「糖分取って元気出して」と今年もまた義理チョコならぬお情けチョコを貰ったのだった。 底につきそうなほど低いモチベーションのままなんとか仕事を終え、明日の出張に備えて定時で帰る。 電車に揺られながら、今日のことを思い出す。今年も佐倉のデスクにを持った女性達が訪れていた。佐倉は休みだと伝えると、明らかにガッカリした表情で皆戻っていった。俺にとって彼女達はライバルだけど、その気持ちだけは痛いほど分かり胸が苦しくなって目を閉じた。 酷い脱力感を感じながら最寄駅の改札を出ると、見慣れたシルエットがそこにはあった。 願望が作り出した幻覚だろうか。 会いたくて会いたくてしかたなかった人が目の前にいる。 「あ、宮浦」 俺に気付き、手を振ってくるのは私服姿の佐倉。 「…え?本人?どうして?なんで?休みじゃん?」 動揺しながらも佐倉のもとに駆け寄る。 「宮浦、質問しすぎ」 「いやだって、ここ俺の最寄りだよ」 「知ってる、宮浦のアパート何度も行ったことあるし。明日から出張でしょ?資料を渡し忘れてたことに気付いて届けにきた」 そう言って差し出された茶色の紙袋。 なんかあったっけ、と思いながら受け取る。 「わざわざありがとう。休みなのにごめんな」 「いや別に。会社行くよりこっちの方が近いし。出張前だから定時で帰ってくるだろうと思って」 気にすんな、と言いながらも少し顔が赤い佐倉を見るかぎり、寒空の下それなりに長い時間待たせていたのだろうと申し訳なくなる。 けれど申し訳ない気持ち以上に、佐倉に会えた嬉しさで俺はだらしない笑みが抑えられなかった。 「じゃ、またな、出張気をつけて」 用が済んだ佐倉は足早に俺の横を通り過ぎていく。 「あ、佐倉待って!」 「ん?」 振り向いた佐倉が首を傾げてこちらを見つめる。 手に持っていた鞄を開け、真っ白の箱を取り出す。 そして、数日前から何度も何度も練習していた言葉をなぞる。 「そうそう、俺の姉ちゃんがパティシエでさ、このマカロン美味いからやるよ」 「え?」 大きい目をさらに大きくして、差し出した小箱と俺の顔を交互に見る佐倉。 今すぐ抱きしめたいほど可愛らしいが、そこはグッと我慢する。 「佐倉甘いもの好きだし?姉ちゃんが作りすぎたってくれたからお裾分け。今日佐倉休みなの忘れてて持ってきちゃったんだよね」 聞かれてもいないのに、言い訳がましく話してしまう。 「いいの?貰っても?」 「もちろん、そのために持ってたんだから」 「これ…会社でも配ったりしたの?」 「佐倉だけだけど、どうかした?」 「ううん、そっか。嬉しい、ありがとう」 そう言って微笑む佐倉は今まで見たことがないほどに綺麗で愛おしいと感じた。
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