素直になれる魔法の日

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俺には好きな人がいる。 同期で同じ部署の宮浦亮介。 180cmを越える高身長に、細身なのにスーツを着ていても分かる引き締まった身体。まるでモデルのようなスタイルの彼は、大型犬のような親しみやすさのあるルックスで、同性の俺ですら憧れてしまうほど。 宮浦がいる場所は、いつも花が咲くように笑顔と笑い声で溢れており、天性のコミュニケーション力を感じる。 そんな彼に好意を寄せる人は大勢いる。 俺も例外なくその1人だ。 2年半前の内定式の日。 内定式会場近くの歩道橋の下で、ベビーカーを持ち上げて階段を登ろうとしている女性がいた。その日は運悪くエレベーターが故障していたようで、道路を渡るには来た道を引き返すかこの歩道橋を階段で登るしかなかった。 手伝おうか。 そう思ったものの、見知らぬ男に声をかけられて不審がられるかもしれない。そもそもベビーカーなんて使ったことがないから重さも取り扱いも分からない。貧弱な俺で頼りになるだろうか。内定式の時間までまだ若干の余裕があるものの、手伝ったらギリギリかもしれない。 そんなふうに一人ぐだぐだと悩んでいると、俺の横を颯爽と通り過ぎ、女性のもとに駆け寄るスーツ姿の男性がいた。 俺よりも体格が良く、見るからに人当たりのいい彼は、赤ちゃんを女性に抱っこさせ、ベビーカーを受け取り、軽い足取りで階段を登っていく。 俺ができなかったことを容易くやってみせた。 結局何もすることができなかった俺は、とぼとぼと内定式の会場へと足を進める。 悩むばかりで行動に移せない自分が嫌いだ。 人と話すのが苦手な自分が嫌いだ。 自分のことしか考えられないそんな自分が大嫌いだ。 会場に着き、控え室に通される。 もうすぐ集合時間だというのに、1人遅れるかもしれないと連絡が入った。 内定式早々に遅刻なんて、と周りがざわつく。 暫くして、集合時間ギリギリに部屋に駆け込んでくる男。 「宮浦です!!遅くなって申し訳ありません!!」 お、間に合ったと思って、顔を見れば、先ほど歩道橋で女性に駆け寄っていた男だった。 全員が揃ったことで取り仕切っていた従業員が一旦部屋を出ると、静かだった部屋にみんなの笑い声が響いた。 「どうしてそんなに汗だくなの?」 「スーツ汚れてるよ」 今日初めて会ったというのに、あまりの彼の姿にみんなが彼に釘付けで、あっという間に話題の中心になった。 「ここのエレベーター激混みで、階段駆け上がってきたんだ」と言えば、ここ10階だよ?と言う誰かの声に、すげーと声が上がる。 「どこでスーツ汚したんだろ?」とちょっと天然な発言をすれば、女性達の黄色い声があがる。 そっか、彼は俺と同じ内定者だったんだ。 彼が遅刻しそうになった本当の理由とスーツを何で汚したのか、俺にはすぐ分かった。 でも、本人は人助けをしていたとは言うつもりがないらしい。 あくまでも「時間が読めなかった」と自分の失敗として恥ずかしそうに笑っていた。 あんなふうにかっこいい人であれたら。 困ってる人に手を差し伸べられる人であれたら。 この日から、彼は俺の憧れになった。
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