雪女のなつやすみ

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 ただの純粋な疑問である。雪女は夏はどこにいるのか。  子供の頃、好きだった絵本で『さむがりのサンタ』というイギリスの書籍があった。サンタのクリスマスの出発準備を淡々と描いた作品だ。  そのスピンオフに『サンタのなつやすみ』という水着でビーチにいるサンタが表紙の絵本があるが、読んだか読んでいないか不明である。とにかく私にそちらの作品の内容の記憶はない。  そんなことを考えながら、私は温かいきりたんぽ鍋をハフハフしながら頬張った。私に鍋をよそってくれた囲炉裏の向かいに座る着物の美女の富貴子さんは、さながら雪女といった風貌で、はかなげで幽玄な面持ちである。  なお、「幽玄」などと気取った物言いをしてみたが、最近知った言葉を使ってみたかっただけだ。  とにかく、富貴子さんのきりたんぽ鍋は美味だった。雪女が得意そうな料理、第一位が「きりたんぽ鍋」だと勝手に思っている私は、器から少しだけ顔をあげて彼女を観察する。  彼女は私の不躾な視線に気がついていないようで、鍋をお玉でかき混ぜながら、前に垂れてきた横髪を耳にかけた。 「吹雪、やみませんね~。この中を街まで帰られるのは危ないですし、お泊りくださいな。客間に布団用意しますね。まぁ、客間って言ってもただ普通の和室ですけどねぇ」  窓から外の様子を見た富貴子さんはそう言って、囲炉裏から立ち上がる。カナダのメーカーが作った極寒地方向けのダウンコートを着て、ヒートがテックして発熱しているのが売りの衣服で全身を覆っている私とは正反対に、彼女は薄着で素足だった。  ますます私の中で「富貴子さん=雪女」説が真実味を帯びる。ただの暑がりなのかもしれないが、そんな真実は面白くないので、すぐに頭から打ち消した。  さて、この古民家に彼女は一人暮らしのようだ。先ほど、トイレを借りてみたところ、水洗のウォシュレットだった。しかもフタが勝手に開くやつである。雪女もやはり女性。トイレにはこだわりがあるのだろう。  どうでもいいが、女性ってトイレットペーパーの消費激しい。前に同棲していた女性に、それを指摘して不機嫌になられたことがある。私には女性は難しい。ただ単に事実を指摘しただけなのに。  閑話休題。  とにかくだ、富貴子さんこと雪女(仮)はこのように科学技術も柔軟に取り入れている。ということは、夏も超ガンガンにエアコンを入れて凌いでいるのかもしれない。  だが、この古民家にエアコンは取り付けられてはいなかった。  もしかしたら、夏場は冬眠? しかしながら、冬眠とは「冬」に「眠る」と書いて「冬眠」である。これでは「夏眠」だ。読み方は「げみん」だろうか? 呪術が廻戦している漫画に出てきそうな読み方である。  呪術が廻戦しているで思いついたが、雪女とは妖怪の類なれば、領域を展開させたり、固有な結界を作り出せたりするのかもしれない。つまるところ、季節に関係なく、「冬」に自己の周りの世界を変容することが可能なのではないだろうか。  富貴子さんが布団を敷きに行ってしまったので、私は自分できりたんぽ鍋のおかわりをお椀によそる。  仮に、このきりたんぽ鍋に睡眠薬でも混入されており、私が起きた時に、某キューブリック作品のジャック・ニコルソンの如き非業の最期を遂げることに例えなったとしても諦めがつくほどには、このきりたんぽ鍋は美味であった。  このように私が意地汚く、きりたんぽ鍋をガッツいているところに、布団をしき終わった富貴子さんは客間の襖を開けて、雪女とは到底思えない善人そうな顔をのぞかせる。 「あ、お風呂さっき湧いた音しましたから、冷めないうちにお先にどうぞ。バスタオルは脱衣場の棚にあるの使って下さいな」  私は空になった器を置いて、お礼を言って立ち上がった。きりたんぽ鍋でいくぶんか持ち直してはいたが、私の身体は芯から冷え切っていたのだ。「お風呂」という甘美な響きのするものには、フラフラと蝶のように寄って行ってしまっても無理はない。  脱衣場でコートと、ヒートでテックしている衣類を脱ぎ捨てた。風呂は大変良い湯加減であった。もしかしたら「氷風呂かも?」といった雪女的なアトラクションへの期待は少々裏切られはしたが、きりたんぽ鍋で温められた臓腑を今度は湯船で外側から温められた私は「極楽、極楽」と自然と声に出していた。  湯船につかる間、私が如何にして、現在のような状況に陥ったのか振り返ってみよう。  事の発端は、前述のトイレットペーパー激おこ女性と二年の同棲ののち、もっと良い男を捕まえた彼女に捨てられた私が傷心の秋田旅行に出かけたことである。  ちょっと値の張る温泉宿に泊まった私はチェックアウト後に、帰りの新幹線まで観光をしようと思いついた。そこで、スマートフォンで検索し、初心者向けのハイキングコースを楽しむことにしたのだ。  そこまでは良かったのだが、ハイキングの中盤に何故か私の中の冒険野郎が突如覚醒し、グーでグルなマップを頼りにハイキングコースを外れ脇道へと入ってしまった。  そこからは、行けども行けども元の道に戻れない。  グーでグルなマップは正規の道は「すぐそこだ」と指し示すが、小松左京のホラー短編『すぐそこ』に出てくる山の民たちと同様に、ちっとも私を元のハイキングコースへとは導いてはくれなかった。ついにはグーでグルなマップもスマートフォンの電池と共に暗転し、私のGPS座標は画面から消えた。  そうこうしているうちに、陽が落ちて雪まで降ってきた。  地元民からすれば「山」と言ったら笑われそうではあるが、生まれてこのかた千葉埼玉東京神奈川から出たことがない私からすれば十分に「山」である。もはや、これは「遭難」と称しても無理なからざる状況であった。  そうして、若干「死」についても意識し始めた時、ホワイトアウトしそうな視界の先に、この古民家を発見したのだ。  ほうほうのていで辿り着きチャイムを鳴らすと、富貴子さんは「まぁまぁまぁ」と驚いて、家に快くあげてくれた。そして、ちょうどご飯時だったようで、冒頭のきりたんぽ鍋へと繋がるのである。  そして、生命の危機を脱した私は、家の中に富貴子さん以外の人がいないことに気がついたのだ。この一人暮らしの女性が男性を家にあげるという危機感の薄い行為こそが、私の中の「富貴子さん=雪女仮説」を強力に後押ししていた。  助けてもらっておいて、この失礼な思考。我ながら呆れはするが、口に出さなければ、思想良心の自由である。日本国憲法に保障された権利である。 「想像してごらん、富貴子さんが雪女だったらって」  脳内ジョン・レノンが『イマジン』を歌う。私の脳内ジョン・レノンはオノ・ヨーコに仕込まれたのか、流ちょうな日本語を話した。適当すぎる私の鼻歌『イマジン』は同じところをリピートするしかないので、やがて飽きて私は湯船からあがった。  バスタオルで身体を拭き、ヒートでテックな衣類を再び身にまとって、あることに気がついた。いやはや、そもそも風呂に入る前に気がつくべきだったのだ。  脱衣場、とってもあったかい。  足の裏から温もりが伝わってくる。  床、とってもあったかい。  私はしゃがみこむと、手のひらを床にベタリとつけた。  これは……床暖房?  いささか失意を抱え脱衣場から廊下にでると、ちょうどきりたんぽ鍋を片付けている富貴子さんと遭遇した。 「お湯加減どうでした?」  私は「とても良かったです」と御礼とともに頭を下げる。 「お風呂場作る時に断熱加工したから、こんな吹雪の時でも保温効果高いんですよ、うちの風呂釜」  ニコニコしながら、そう話す彼女を見て気がついた。この家、古民家なだけだと。考えてみれば、すきま風ひとつない。この家、密封性が高く、とても暖かい。富貴子さんが裸足なのも、さもありなん。  ガラガラと「富貴子さん=雪女仮説」が自分の中で崩れていく気配を感じたが、私は見てみぬふりをした。  まだ挽回チャンスはある。雪女とは、男性のスケベ心を利用し男性の精を吸い取ることもある妖怪である。つまり、夜這い。私は深夜のイベントに備えることにした。  ……。  気がつくと、朝だった。なんてことはない。慣れないハイキング&遭難で普通に疲れ切っていた私は、布団に入った途端に爆睡したのだった。  そして、家の外で某キューブリック作品のジャック・ニコルソンの如き非業の最期を遂げることもなく、寝た時と同じ布団の中で目覚めたのだ。  眠い目をこすりながら、洗面所に向かう。顔を洗い、身支度を整える。それから囲炉裏のある居間へ行くと、昨日とうって変わり洋装の富貴子さんが朝食の準備をしてくれていた。 「私も今日ちょうど東京帰る予定だったんですよ。駅まで一緒に行きましょう」  当たり前ながら富貴子さんは、雪女ではなかった。資産家の娘さんで、時々別荘の管理に訪れているだけだった。  彼女のレンタカーに乗せてもらい、私の雪山の大冒険は少々不完全燃焼のまま幕を閉じた。 *** 「あのきりたんぽ鍋、美味しかったなぁ」  台所で料理しながら、私は食卓に座る彼女に話しかけた。 「あれねぇ、祖父が贔屓にしてるお料理屋さんのなのよ。今度、お取り寄せできるか聞いてみるわ」  あの鍋は富貴子さんの手作りではなかった。というか、彼女が料理が苦手なのは、交際し始めてから薄っすら気がついていた。  だが、資産家のお嬢様であり、家の土地建物を管理する不動産会社の社長である彼女が、あの日頑張って鍋をよそってくれたり布団を敷いたりと、慣れない世話を焼いてくれたと思うと、まんざらでもない気持ちになる。  出会った冬が去り、春が来て、もうすぐ夏だ。夏休みの予定を立てたいと思って、私は彼女に質問を投げかける。   「富貴子さん、夏っていつもどうしてるの?」  雪女は夏はどこにいるのか。 「夏は、那須にある別荘に管理しがてら泊まりにいくよ」  雪女も避暑地にいるのかもしれない。 (おしまい)
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