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話を終えた沙紀が、辺りに人気がないことを確かめ、顔を閻魔像に向けた。
「閻魔様、こんな話どすが、今の新選組に逆らうことなんぞ出来しまへん。おとうを返して欲しいのは山々なんどすが、せめて地獄送りにせんようにお願い致します」
沙紀のこんな話と閻魔像への祈念を聞いたタカムラは、胸に染みる思いを抱いていた。
「ところで新選組の勢いは、それほど強いのか」
「へー、昨年どしたが、三条大橋近くの旅籠で大勢の不逞浪士をやっつけて町中への放火を食い止めはったと、噂を聞いとります。それからは、誰もが一目おいたはるそうどす」
「それは池田屋のことか」
「そうどす。確か池田屋はんとゆうとりました」
現世の成り行きが冥界へ伝わるのは、幾分遅れることになり、タカムラは最近になって、この事件のことを耳にしていた。
「そういうことなら私が屯所を訪ね、寺田新兵衛の様子を探ってみよう」
「そんなことしやはったら、大事おませんか」
「私のことなら、大事はない。それより寝たきりの母御を抱え、そちの暮らしは如何にするのか」
「そんなこと、気を遣ってもらわんかてよろしおす」
沙紀が、お参りの人の気配を感じたのか、急いで立ち去った。そんな沙紀を見送りながら、タカムラは突然の出来事にけりを付けられず、苦しい暮らしを受け入れざるを得ない沙紀の心境を覚っていた。これは急がねばなるまいと、体を揺らぎにして閻魔堂を出た。新選組の屯所は千本通りを南に下り、四条通り辺りにある壬生寺の一角と聞いている。ところが、そこには屯所は無く、人形(ひとがた)に成って人に尋ねると、西本願寺の境内に移ったと聞いた。ならば、ここからはその姿で、四条通りを西に向かうが堀川の辺りまで来ると、一面に焼失した家並みの中に小屋掛けが並ぶ景色が広がっていた。通行人に聞くと、昨年の池田屋事件の後に、御所の蛤御門で戦があり、その後の放火も重なって燃え広がったと言う。現世の有様は、それなりに冥界で聞いていたが、世の移り変わりの早さに驚きを隠せなかった。ただ西本願寺は火災を免れたが、東本願寺は焼失を避けられなかった。この世が動き始めているとタカムラは実感しながらも、西本願寺の境内に入った。新たな屯所となっている集会所は境内の北側にあり、建屋の前には二人の立ち番がいて、その一人に腰を折って尋ねた。
「こちらに寺田様と仰るお方はおられましょうか」
「何、お前は何処の者じゃ」
「二ケ月ほど前、千本閻魔堂近くで浪士の取締があった時に、不慮の事故で亡くなったお方に縁の者です」
タカムラは、見下ろした言い方をする相手に対し、具体的な表現でなく不慮と言う言葉ではぐらかした。
「おー、あの一件で亡くなった者の縁者か。寺田殿が気の毒をしたと申しておった。しばし、待て」
立ち番が、聞き耳を立てていたもう一人の立ち番に目で合図を送ると、建屋の中に入って行った。暫くすると、伏し目がちに現れた男が顔を上げると、心なしかやつれて見えた。
「寺田新兵衛と申すが、あの一件で亡くなったお方の縁者と聞いたが」
タカムラは、気負い盛んな新選組にあって、こんな腰の低い男が居るのかと思いながら答えた。
「はい、亡くなったお方の娘で、沙紀に頼られた者でタカムラと申します」
「あの娘の名は、沙紀と言うのか。それでは、こちらの方でお話を伺います」
寺田が建屋を離れ、境内の片隅にある置き石の庭に誘った。
「話と言うのは、あの時以来、母親が寝込んでしまい、娘は看病で働きにも行けず、食うにも困っています。あの一件のけりが付かず、見舞金の一両にも手を付けてないようです。そこで、難しいこととは思いますが、寺田殿に父親の供養の一つもお願い出来ないかと思っております」
「左様か」
遠く東山の彼方を見つめた寺田が、か細い声で語り始めた。
「私は遺体を運び込んだ時の母と娘の慟哭に、今も心を痛めております。あの浪士と対した時、友人がふかでを負わされていたこともあって、気が高ぶっていました。それで一気に刃と共に踏み込み、両人を死に至らしめることになりました。過去に人を斬ったことはあるが、死なすことは初めてで、あれから度々夢寐の中にあのお方の死に顔と母娘の慟哭の声が出て参ります。そこで弔いのため新選組を脱退し、出家を考えておった所です」
「そうでしたか」
「されど新選組の法度に脱退は死に値し、弔いもままになりません」
「脱退の決意は、堅くお持ちですか」
「あの山の遙か向こうに妻子を残しておりますが、人の暮らしを潰したままで我意を通す訳には参りません」
「ならば私が叶うように取り計らいます」
「あの局長に話を付けなければならず、それは蟷螂の斧が如く砂上の楼閣に終わります」
「強大な相手に向かう喩えですが、窮鼠猫を噛むとも申します。私を誰とお思いですか」
タカムラは、一旦揺らぎに戻り、再び人形(ひとがた)に成った。そこには冠を被り束帯を纏った姿に変わり、手には笏を持っている。
これを見た寺田が、地に平伏した。
「私は、かつて参議を務め、冥界にて閻魔大王に仕える小野篁ぞ。直ちに、局長とやらの所に案内いたせ」
「ははー」
寺田が先に立って行くが、続くタカムラの姿は揺らぎ、誰の目にも映っていない。建屋の奥に局長の居室があり、局長の近藤の前に平伏した寺田が脱退の経緯を述べた。烈火の如く怒りを顕わにした近藤の脇に姿を現したタカムラは、精霊な気配の中に声音を高めた。
「そなた平生は士分の心得を説いておると聞くが、出家とは古来、武士の死を意味すると聞いておる。それは、ここの法度における切腹と同じではないのか」
「だれだ、そなたは」
公家の束帯姿を見て畏怖の表情を見せながら、近藤が叫んだ。
「私は、閻魔大王に仕える小野篁と申す。故あって、現世に立ち返り人の罪業を正しておる」
こう言うと頭上に右腕を伸ばし、閻魔大王の真言を唱えている。
「のうまく さんまんだ ぼだなん えんまや そわか。・・・・・」
実の姿に成ったタカムラの手には閻王の剣があり、近藤と寺田の頭上に向け一閃した。すると寺田の髪が削がれたように切り落とされ、近藤の後ろに置かれた刀架からは愛刀の虎徹が飛び跳ねて落下していた。
「おわかりか。これは人の罪業を正す剣である。私は冥界で死者の六道への差配を閻魔大王から委ねられておる。そなたの死後を勘考すると、ここは寺田殿の意を汲んで脱退を認めてもらえないか」
近藤が寺田の頭を繁々と見つめ、次に虎徹の落ち様を見ると、直ちに硯箱から硯と筆を取りだし、脱退認可の証書を書き終えた。それに手箱から二十五両を紙に包んだ切り餅を合わせて差し出していた。
「これは布施として、お納め下さい」
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