踏みとどまり、そして

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踏みとどまり、そして

 県立病院の精神科で、二ヶ月間の入院生活を終えて半月になる。紹介された病院に通院することになったものの、あたしはどうにか日常に戻れた。日常といっても社会人をやれているわけではなく、以前と同じように只の無職。小説投稿サイトで読んだり書いたりしているだけ。三十前の女が、一日中、ジャージを着てスマホを握りしめている。  精神疾患はあるが病名はつかない。それがあたしの扱いだった。聴こえてくる声があったのだが、大事になる前に消えてしまったのでソフトに落ち着いた。ただ、実を言うと薬が効いたわけではない。入院中に親しくなった男性、菊地(きくち)由人(よしと)さんに、人物像のハッキリした幻聴を消すコツを教えてもらい実践したのだ。いつまでも聴こえたままでうろたえたりしていたら、薬の量を増やされていったであろう。恐ろしい。  由人さんとあたしが親しかった事実を、病院側は充分には把握できていなかった筈だ。本棚の本を読むグループの人同士ぐらいの認識だったと思う。言い方は悪いが、入院生活は担当看護師に監視されていた。あたしと由人さんは、本棚で並んで本を選んだり試し読みをする合間なんかを利用して交流した。 「薬に頼った生き方は選ばない方がいい。可能なら、強い意思を持って、ね」  由人さんに言われ、あたしは権藤(ごんどう)さんを消した。権藤さんというのが、聴こえていた声の主だ。彼女は人物像のハッキリした幻聴で、あたしの為と言って口出ししてくる存在。頼んでない、要らない。  親身になってくれた由人さんは同時期に退院し、退院後に通院する病院も同じだった。待合所で一緒になって、そこで初めて連絡先を交換した。そして、近くの公園でなんとあたしから交際を申し込んだのだが。 「私はエレクトロニック・ハラスメントの被害者だから。そういうのは止しておこう」  と、よく解らない理由で断られてしまった。  家に帰ってググってみた。どう解釈すればいいんだよ、と思った。                (おわり)
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