母娘の攻防。

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母娘の攻防。

 五分考えてみたものの、一つも思い付かなかった。しかし時代は進んでいる。検索すればなんでも出てくるもんね。スマホで、家族、夏、と検索する。目に留まったのは、手軽にアウトドア、という言葉だった。記事を読む。なるほど、こいつを提案してみるか。その時、母さんが昼ご飯だと階下から告げた。丁度良い。一段飛ばしで階段を降りる。途中で踏み外し壁にぶつかった。  おでこを赤くした私を一瞥して、アホ、と母さんは端的に罵倒した。失礼な。ちょっと転んだだけなので、知能は関係無い。それに貴女の娘なのですが。しかしぐっと堪える。これから頼みごとをするのだ。噛み付くわけにはいかない。対照的に弟は、お姉ちゃん大丈夫、と顔を覗き込んでくれた。可愛い可愛い私の徹。大丈夫だよ、と頭を撫でる。髪が細っこくて絹みたい。早く食べなさい、と母さんが私を急かした。姉弟の時間を邪魔しないで欲しい。 「ねえ母さん。折角の夏休みなんだし、たまには家族でバーベキューでもやろうよ」  素麺を啜りながら提案する。しかしすぐに気付いた。食事をしながら物を食べる話をするのは間抜けだ。おまけに素麺とバーベキューでは対極に位置している。今、口に出したのはタイミングが悪かったかな、と早くも後悔する。案の定、バーベキュー? と母さんは首を傾げた。どう見ても乗り気ではなさそうだ。 「この暑いのに火なんて起こしてどうするの」  正論のナイフが投げつけられる。同感だ。しかし私の青春がかかっている。易々とは諦めないぞ。 「ほら、肉を食べてスタミナ満点、みたいな」 「直射日光の下で肉を食べてもスタミナを削られる一方よ。こっちが焼けちゃう。こんがり小麦色のお肌にね」  我が母ながら見事な反論だ。だがまだ戦うぞ。いいや、戦わなければならない。青春の一ページがかかっているのだ。そのために、やや姑息だが味方を増やさせてもらう。 「徹もバーベキュー、やってみたいよね。串にでっかい肉をぶっ刺して、炭火でごうごう焼くの。焼けたお肉を削ぎ落として、パンで挟んで食べるんだよ。美味しいんだぞぉ」 「何で途中からケバブが混じっているのよ。あと口が悪い。徹に悪影響を与えないで」  母さんのツッコミは無視して徹の肩を抱く。ね、行きたいよね、と揺すってみた。徹は母さんと私を見比べた。齢六歳にして気遣いの塊である弟は、しばらく黙っていた。悪いね、巻き込んで。だけどお姉ちゃんだけではそこに座っている正論大魔神を説き伏せられなさそうなんだ。お願い、協力して。目で必死に訴える。やがて徹の小さな口が開いた。 「やってみたい」  ぽつりと呟くや否や、そうだよね、と全力で同意する。そして母さんを振り向く。 「徹もやってみたいって。姉弟からのお願いだよ、親として無碍にしていいわけないよね。今年の夏はバーベキューをやろう。ね、決まり」  一気呵成に畳み掛ける。力技でもなんでも勝ちを拾えればそれでいい。だが予想に反して母さんは落ち着き払っていた。いいわよ、と静かに返事をする。その余裕に冷たい汗が背筋を伝った。 「家族でバーベキュー。いいじゃない。その代わり、言いだしっぺの真帆が全部準備をするのよ」  しまった、そう来たか。まあいい、準備くらいならやってやろうじゃないか。しかし母さんの言葉はまだ続いた。 「バーベキュー場に行くのなら、予約をして、食材を買って、段取りも立てて、父さんに運転を頼みなさい。もしトチ狂って家の庭でやりたいなんて言い始めるなら、ご近所に挨拶回りをして、自宅用のバーベキューセットを買って、やっぱり食材を準備して、そうして当日を迎えなさい。勿論、肉や野菜の下拵えも真帆がやるのよ。私は手伝わないから。きっとそこまでやりたいって言うからにはさぞ家族を満足させてくれるんでしょうね。期待しているわ。あと、まさか忘れてはいないと思うけど、十日から十九日まではあんた以外の皆でグアムに行くからその前後の日程は外して予定を組んでね」  矢継ぎ早に条件を突きつけてくる。ちなみに三人が海外旅行へ行くことはすっかり忘れていた。どうして私が行かないのかと言えば、旅行の予約をする時に丁度母さんと喧嘩をしていてとても一緒に行く気にはなれなかったから断った。ちなみに喧嘩の原因は、家族一人につき一個ずつ割り当てられたプリンを私が母さんの分まで食べたか食べていないかで揉めたから。徹は二つも食べられない。父さんは血糖値を気にしているから二つも食べない。自分は食べていないから残る犯人は真帆だけ。母さんはそう主張した。人の物を食べるほど意地汚くはない、と私は真っ向から反発した。結果、第三十七次(多分)山科家母娘戦争は開戦の火蓋を切った。ちなみにプリンは私が食べていた。夜中にお腹が減ったからたいらげてしまったのだが、指摘された時には綺麗さっぱり忘れており先の主張へ繋がった。ある日同じように夜中冷蔵庫を開けた際、そういやプリンを食べたなと思い出した。思い出さなきゃ良かったと後悔しつつ、翌日しれっと一個買ってきて、冷蔵庫の奥にあったよ、と母さんに見せた。やっぱり犯人はあんたか、と一瞬でバレた。見抜かれて驚く私に、娘の挙動くらいわからないで母親なんてやっていられない、と片手にプリン、片手にスプーンを持って母さんは勝ち誇った。結果、海外旅行に取り残される私だけが出来上がった。無駄に壮大な話だ。 「ちなみにバーベキューの費用は」 「言いだしっぺのあんたが出しなさい」  要するに母さんは行きたくないのだ。暑い。匂いが付く。面倒臭い。それに最終的には私の準備の手が回らなくなって手伝わされるとわかっている。私も十七歳にもなれば多少は自分を自覚しているので、母さんに絶対手伝わせると確信した。だから余計に強く出られない。 それでも、食事の途中で行儀は悪いが念の為スマホで自宅用のバーベキュー用品を検索してみた。コンロが二万円、テーブルと椅子が二万五千円。払えるか、と画面を母さんに見せ付けた。夏はやっぱりこっちよ、と母さんは涼しい顔で素麺を啜った。  隣を見ると徹が唇を噛んでいた。ごめん、と頭を撫でる。 「お姉ちゃんが大人になったら、徹をバーベキューに連れて行ってあげるからね。だからそんな顔をしないで」  味方側に巻き込んでおきながらがっかりさせて申し訳ない。弟は、いいよ、と真っ白い歯を見せた。ごめんよぉ、と抱き締める。 「いいから、さっさと食べちゃいなさい」  母さんはどこまでもお邪魔虫だった。おのれ。
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