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12-1 新居にて
3月9日、土曜日。午前10時。
静かな住宅街を眺めながら、買い物袋を下げて歩いている。引っ越してきたばかりの近所を散策するためだ。スーパーやコンビニが建っていないから、この住宅街を抜けて、大通りまで出てきた。地図アプリを確認しつつ、家までのルートを覚えているところだ。
一昨日、早瀬が子供の頃から育った家に引っ越してきた。大きな洋館には広い庭があり、高い塀に囲まれている。先月見に来た時には、なんて閉鎖的な家だろう?と驚いた。
早瀬の性格からすると、嫌がる気持ちが分からないでもない。しかし、実際に引越しを進めると、明るい家に印象が変わった。
「ふむふむ。……『一人で平気か?どこを歩いている?』佐久弥の家の前だよー」
こうして一人で出歩くことを、早瀬から止められた。一緒に歩いて道を覚えてからにしろと言われたが、きっぱりと断った。ちっとも覚えられなくなる。今は荷物の片づけをやっているはずだが、こまめにラインが入ってくる。
すると、松の木の匂いが広がった。そばには日本風の家屋がある。表札には”佐伯”と出ている。佐久弥が住んでいる家だ。
ここに引越しが決まった時は、佐伯一家から歓迎された。俺としても心強い。佐久弥からは心配された。裕理から引きずられて来たのか?と。その反対だと答えると、よかったと言いながら笑っていた。
ガチャ……。
早瀬家の門の前に到着した。手際よくセキュリティを解除して、背の高い門の向こうへ入った。暖かな日差しが降り注いでいる。まだ寂しい印象だが、これから変えていけばいい。夏樹という先生がいるから自信がある。
早瀬まで実家を無くしてほしくなくて、この家に引っ越してきた。俺の実家や祖母の家は賃貸に出している。いずれは処分するか決める。思い出の場所が廃れていき、さらに跡形も無くなるのは俺だけでいい。
もしかしたら、早瀬の両親が戻ってくるかもしれない。明るいイメージなら寄り付きやすいだろう。その時は、新しい家へ引越しすればいいだけだ。
この家の半分だけを使う。キッチンが3箇所もあるから不思議に思った。いつの間にかそうなっていたという。マンションのようだ。今回は水回りをリフォームして現在に至る。
不思議な感覚になる家だ。大きな階段を中心にして、家族が顔を合わさなくても暮らせる間取りになっている。それぞれにキッチンとバスルーム、洗濯機置き場、リビングまで付いている。
カチャ!
玄関のドアを開いて、左側へ歩いて行った。俺たちの居住スペースだ。名付けて”8810号室”だ。二人の名前から連想して付けた。
「ただいまー。こっちでいいよね?8810号室……」
「おかえり。こっちにいるぞ」
どこだろう?声がするが、姿が見えない。すると、いきなり身体が後ろに倒れ込んだ。早瀬に抱きつかれていた。
「油断大敵だぞ。誰かが侵入していたらどうする?」
「ここには入れないよ。要塞みたいな塀だもん」
「おかげで外から見えない。ビニールプールで遊べるぞ?メイザラスへ買いに行こうか?滑り台つきのプールを」
「要らないよ。プールへ遊びに行くから」
断っておかないと、本当に買ってきそうだ。すでに新生活グッズを買い込んで、暮らしやすくなっている。マンションよりも広くなったから、なんでも置き放題だと喜んでいた。
一人暮らし時代は物を置いていなかったのにと、早瀬が苦笑していた。それは俺にも当てはまる。家で過ごすのが楽しいから増やしている。引越しの時は、荷物の整理が大変だった。
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