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石丸は優しく囁いてドアを開ける。
すると異常な金切り声が出迎えた。
「ぎきゃああああひいいいいっ!!」
そこは動物園の檻にも劣らぬケモノ臭さが充満する、およそ人間の住環境とは思えぬほどに汚い部屋だった。絶叫の主は空間の隅にうずくまる年端もいかぬ子供で、痩せぎすの体に血と汚物が染み付いた襤褸を着ている。
「かゆぅぅぅぅいだぁぁぁぁっ!!」
尋常でないパニック状態の幼児は白目を剥きながら、欠けた爪で己を掻きむしって新たな血にまみれていく。
「やめよ! 自分を傷つけてはならぬ!」
幼児に駆け寄ろうとする石丸を怪奇現象が襲う。
ペンやコンパスなど先の尖った文房具が浮き上がり、機関銃弾もかくやというスピードで石丸めがけて飛ぶ。石丸は即座に抜き放った愛用の大幣刀で飛来物を払い、閉眼して一歩ずつ前へと進みながら切々と祝詞を紡ぐ。
かけまくも かしこき
いざなぎの おおかみ
つくしのひむかの たちばなの
おどの あはぎはらに
みそぎ はらへたまひしときに
なりませる はらへどの おおかみたち
もろもろのまがごと つみ けがれ
あらむをば はらへたまひ きよめたまへと
まをすこと きこしめせと
かしこみ かしこみも まをす
神事の最初に用いられる祓詞の詠唱を終えた石丸が、幼児の前に立つと同時に大幣刀を勢い良く振りおろす。
「耐えよ! すべての穢れを解き放て!」
「おぼろぉぉぉぉかがぼぉぉぉぉっ!!」
幼児の頭を顎先まですっぽり包む真白い紙垂の束は、たちまち泥色に染まって枯れるように腐り落ちていく。
直後に石丸が目を血走らせて血を吐いたかと思えば、不可視の力に吹き飛ばされて子供部屋を追い出される。
「お祓い屋さん!」
リビングのテーブルに背中から激突して呻く石丸に、杏は寄り添って大きな胸をエプロン越しに押し付けた。
「しっかりなさって!」
「二重の穢れとは恐れ入る」
単なる地味な榊の棒と化した道具を見て石丸が呟く。
大幣刀は対象から落とした穢れの霊子を吸い取らせ、肩代わりさせるための道具で紙垂はいわば記録媒体だ。しかし今回の場合だと引き受ける量が想定以上に多く、その超過分が使い手である石丸の体内に流入したのだ。
「なかなか厄介ですな。危うく殺されかけ申した」
「やっぱり無理なのね。どうしようもないんだわ」
石丸の苦労もお構いなしに杏は勝手にボヤいて嘆く。
「子供の傷は虐待のせいだとかウワサ流されてるし! 夫も仕事を言い訳にしてワタシに押し付けてばっか!」
「奥様……アナタもですね……」
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