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「わたしたちだけの秘密、誰にも話さないって約束できる?」
とある異国の片田舎。その一隅にあるジドウヨウゴシセツのなかに、わたしはいた。
わたしは、日本から来たという同い年のナオミちゃんと、シセツ裏の倉庫の近くでこそこそと内緒話をしていた。わたしもナオミちゃんも白いふくらはぎが目立つチェック柄のスカート姿で、両手でお尻を抑えながらかがみこみ、顔を突き合わせてひそひそと口を動かした。地べたに座らないのは、昨日どしゃぶりの雨がふってぬかるんでいたからだ。
「う……うん」
目をそらさずに返事するわたし。日本で生まれたナオミちゃんは、不釣り合いな眼鏡をかけ、大人びた言葉を苦もなく操ることができる。それもあって常日頃から、彼女を尊敬のまなざしで見ていた。
「約束よ。じゃあ、教えてあげるわ」
ナオミちゃんは戦争で、「真っ黒こげでまったいら」になった日本からやってきた、大人たちの言うセンサイコジである。一昨年の夏の日、ナオミちゃん住んでいた日本にとても沢山のバクダンが落ちて、お父さんもお母さんも亡くしていた。
「いまの日本には、人に化けた鳥しか生息していないって噂だよ」
「えっ、トリ?」
いきなり振られた突拍子もない話に、わたしは思わず呆然としていた。しかしナオミちゃんは構わず話し続ける。
「日本で有名な『鶴の恩返し』はご存じかしら? そのお話では鶴が罠を外してもらったお礼をするために、相手の元へ人の姿を借りておうちにお邪魔するシーンがあるの。あれ、フィクションじゃなくて本当の話で、人に化けられる鳥類は古来から千羽弱ほど存在していたそうなのよ」
「へ……へぇ、そうなんだ」
わたしもナオミちゃんと同じ五歳になったばかり。そのわたしでさえ、流石にナオミちゃんの言ってることは首をかたむけたくなるような内容だった。でもそれを顔に出すまいと努めた。なんたって相手はあのナオミちゃん。同い年とは思えないほど物知りで、大雨のときの傘の雫のようにしゃべりだすと止まらない。彼女のことをホラ吹きという男子もいたけれど、わたしの前では一度もホラを吹いたことがなかった。わたしは「きっとナオミちゃんはわたしをシンライしてくれてる」と思うようになった。ナオミちゃんの話は続く。
「江戸幕府よりずっと昔からいた千羽弱ほどの鳥たちは、少しずつ数を増やしていったの。でも十倍に増えたころかな。令和四年に、あれが起きた」
「れいわ?」
「令和っていうのは日本の元号のこと。ようするに一昨年だよ」
「あれって? ……あ!」
「そう、本土の絨毯爆撃よ。それは何の前触れもなく、はっきりした原因も明らかにされないまま、事前通告なしに日本は爆弾の餌食になった」
「バクダン……」
わたしは息を呑む。なんでもそれに当たると、電車に轢かれたときみたいに痛いと感じる間もなく死んでしまうそうだ。
「千を超える戦闘機が、日本全土をくまなく絨毯爆撃していったの。地上には草一本も生えない焦土と化したわ。むろん、そこにいた日本人も死に絶えた……上空を飛んで爆撃を回避していた一部の鳥たちを除いてね」
ナオミちゃんの話は難しい単語がところどころ出てくるが、話上手なので伝えたいことはなんとなく伝わっていた。にしても、この話は本当に真実なのだろうか。確かめたい衝動に駆られたが、信じてくれる相手を知らんぷりすることもできない。
わたしは首を横に振ると、相手の話に合わせた。
「じゃ、じゃあ、いま日本で暮らしている人って、みんな人に化けた鳥だっていうの?」
「そうよ」
にべもなくナオミちゃんは言った。眼鏡の奥がきらりと光ったようにみえた。
「絨毯爆撃が起きたのは一昨年の夏ごろ。つまりツバメや鶴なんかの渡り鳥はタイミングよく被害を免れることができた。そして残りは悠々自適に鳥生活を謳歌していたやつらよ。こうして残った千羽あまりの鳥人間たちは、本土の惨状を目の当たりにして、一度は絶望したの……でも、やがて立ち上がった」
「飛び上がった、じゃなく?」
「冗談はやめて」
「あ、ごめんなさい」
なんだかナオミちゃんは好き勝手に話しているのに、わたしは好きに話させてもらえないのは不公平だなと思った。だけどしょうがない。
「国としての機能停止に追い込まれた日本は、加害者側からの恩情もあって、これまで溜まっていた借金を免除してくれたの。だってほら、ドイツのように借金だらけになるとおかしくなる国ってあるじゃん。それを考慮したんだと思う。おかげで急激な円安が起きて、鳥人間たちは比較的容易に外貨を得るチャンスが増えたのだけど、肝心の外貨と交換するための生産物がなかった。家も畑も工場もみんな焼け落ちたからね。どうしたと思う?」
「え――…」わたしが思い悩んでいると
「ヒントは、ツルの恩返しよ」ナオミちゃんが援護する。
「あっ、ひょっとして、はたを織ったの?」
「ぴんぽーん、正解っ」
ナオミちゃんは笑いながら続けた。
「残った鳥人間たちは、皆が一致団結して会社を興して、自らの身をやつして自らの羽根を使って布を織ったの。そうしてできた布製品を、近隣諸国に輸出して外貨を得たんだってさ」
「えええ~」あごを引くわたし。今度ばかりは驚きの声を止められなかった。
「そんなこんなで短期間での復興を果たした今では鳥に化けた人間、すなわち鳥人間が支配する国に、あたしの故郷は変わってしまった。日本で流れる地上波では、鳥のエサを主原料にした食べ物ばかりを宣伝したり、鳥の交尾のシーンは規制されていたり、一歩外へ出ればあちこちに白い鳥のフンが散乱してて、移動手段は電車やタクシーだけど、急いでいるときやお金がないときは自立飛行で会社を行き来しているそうよ」
「じゃ、じゃあさ、本物の人間が生活している場所っていったら、戦争に勝った国や、戦争をしなくて済んだチュウリツコクのこの国だけ……ってことなの?」
「いや、日本で暮らしていた鳥人間たちは、もっと自らの生息分布を拡大せんとして、戦勝国や中立国にも家族単位で移住を始めているそうなの。それと両親を喪った子供なんかは、悪い大人たちがそれらの国にわざと置き去りにして、児童養護施設とかに引き取らせて育てさせてるそうよ」
「えっ……それって」
「そう、その子供こそが、あ・た・し」
「…………っ」わたしは心臓が止まりそうなくらい驚いた。しかし少しも動けなかった。
涙をにじませて「ナオミちゃんのばかぁ」と叫んで逃げる余裕さえ、なかったのだ。
大げさな眼鏡をかけ直す彼女。うつむきがちのその顔は闇に覆われている。
「それどころじゃないわ。あなたとわたし、人間のふりをしていたけど、実は人間はあなた一人だけで、養護施設のヒトはみんな鳥。そしてあなた一人をだまして、恩を売って、ゆくゆくは立派な親鳥派に育て上げるために、この養護施設が人間向けの教育を行っているのだとしたら……ふふっ?」
今まで話半分に聞いていたが、ナオミちゃんの告白をきっかけに世界がゆがみだし、その後の思いがけない彼女たちのたくらみを聞いて、わたしは心底ぞっとした。親友だったナオミちゃんも、いつも真剣に接してくれた優しい先生たちも、他のシセツの子たちも、みんなあの何を考えているのかわからない黒目がちで見つめてくる、不気味な「鳥」だっていうの?
ナオミちゃんは話を終えて立ち上がると、後ろ手に組んでくすくす笑いながら、後ろ歩きをはじめた。スカートが風ではためく。わたしはぐるぐるまわる視界のなか、彼女に追いすがろうとする。
「ねえ嘘でしょ? 嘘だと言ってナオミちゃん!」
「もうすぐ三時よ、おやつが待ってるわ」
ナオミちゃんは急に後ろに向かって走り出し、すぐそこの道の角を曲がった。
わたしは全力でナオミちゃんのあとを追いかけた。すると。
曲がった先に、鳩の群れが一斉に、ごわあっと飛び去っていった。
そして――――ナオミちゃんの姿はなかった。
「ナオミちゃん……?」
場が静寂につつまれた。尻餅をついたわたしの目に映ったのは鳥たちが起こした砂けむりと、さんさんと降り注ぐ昼過ぎの陽射しのみ。
彼女は――人に化けていた「鳩」だったのだろうか。
そんなことを思いながら、尻に泥をつけたまま、一人で、いやいやヨウゴシセツに戻った。ここは誰も近寄らない片田舎。鳥の支配から逃げようにも、助けを求める逃げ場所がなかったせいだった。
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