ある男の依頼

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「あとは弁護士とよく話し合え。期間中はパソコンに触れるのも禁止。裁判には死んでも出ること。もしもトンズラしたらハンターに君の暗殺を依頼してやるから覚えとけよ。」 市警察のジェイルから保釈されたルイス青年が、無事に母親と玄関へ入っていくのを見届けてから、マットはまた別の群立刑務所へ車を走らせた。 依頼は立て続けにやってくる。だが忙しさにも波はあり、今はいわゆる繁忙期なのだ。犯罪にもなぜか閑散期と繁忙期というのがある。このバイオリズムの仕組みばかりは謎であるが、冬が終わると一時的に増えるということは分かっている。 この多大なる繁忙期を乗り越えれば、の日々も巡ってくるのだ。仕事をしなけりゃ食っていけないが、食うに困らない程度に働けていれば、マットはそれでよかった。収入が多くてもこんなに忙しいのでは、1度きりの人生においては本末転倒だ。だからレストランのウェイターとか、小さなオフィスの事務とか、劇場のチケット売り場の窓口とか、それで食べていけるのならそれでいい。きっと恋人と過ごせる時間はたくさんあるに違いない。 「あーあ、会いたいよう、テディー。」 出所の日、彼が刑務所に迎えに来てくれたときのことは、今も鮮明に覚えている。まさか本当に7年も待つとは思っていなかった。ハタチそこそこだった自分が、30も目前になるまで。テッドに至ってはまもなく四十路だ。人生のいちばん輝かしいときを刑務所で暮らしたが、彼が捨てないでいてくれたから、自分の人生にはまだ希望の光が射しているように思える。 仕事は確かに忙しくて嫌になるが、自分がこんな立派な仕事に就けたことだって奇跡なのだ。服役していたくせに保釈の手伝いをしている。皮肉なことだが感謝するべきだ。自分は保釈などさせてもらえる余地はなかった。なぜなら人1人を殺めたのだ。テッドの証言と情況証拠によって大いなる酌量減軽を得たが、殺人犯に変わりない。当然自身の来歴など、テッド以外の身の回りの人間は、を除いては誰も知らない。信用第一の商売である。 その夜、まもなく店じまいというところで、駆け込みの客がやってきた。 おずおずとなり、少しだけ開いたドアから遠慮がちに中を覗き込む男性。白髪混じりで、スモーキーブルーのよれたポロシャツにベージュのスラックスという、どこにでもいる中年特有の冴えない格好をしている。歳は50半ばといったところか。 「あの……すみませんが、まだ受け付けてもらえるでしょうか。」 「ええもちろん。どうぞお入りください。」 椅子に促し、「紅茶とコーヒーがありますが。」と笑いかける。依頼人はだいたいが容疑者の家族で、身内がパクられたという負い目から、みなこのように少し萎縮しながらやってくる。この男も大方息子か娘が悪さをやらかし、身柄を拘束されているのだろう。だが依頼人は犯罪者ではない。単に保釈を請求しにきただけの善良な市民である。無下にはしない。 「いえ、おかまいなく。」 「落ち着かない様子ですね。少しリラックスしたほうがいい。ハーブティーがありますよ。無論合法のです。」 「ああ……どうもすみません。ではそれを。」 マットはそのとき、おやと思った。男の冴えないポロシャツの右胸のところに、福祉施設のバッチがつけられていたからだ。 ー「なるほど、そりゃ心配だ。マスコミに嗅ぎつけられたら、施設の沽券にもかかわりますね。」 男は名をロビーと言い、隣の市で教会に併設された孤児院の施設長をしているらしかった。 話を聞きながらネットで調べたら、確かに施設は存在し、トップページには彼の顔写真と簡単なプロフィールが記載されていた。その隣には教会の神父の顔写真も並んでいる。彼はロビーと違い、ずいぶん鋭い顔立ちをしていた。なんとなく告解をしづらそうな面構えだ。 ロビーによると、この施設でボランティアスタッフとして従事している「ウインストン」というアフリカ系の青年が、麻薬所持の現行犯で、買い物に出た先で逮捕されたとのことだった。毎日何件も起こるありきたりな内容だ。うんざりするが顔には出さず、親身なフリを装う。検査の結果使用は認められなかったが、街で見知らぬ人物から脅されて預かったと供述しているらしい。他に情報は無く、彼はそれ以上は黙秘を貫いているとのことであった。 ウインストンはもともとこの孤児院で育ったが、成人してから今度は自分が孤児たちのケアをする側となり、仕事のあとは夜間大学に通っている勤勉な青年であるという。 「いったい誰からそんなものを……話をしようにも、拘束されたままでは満足な話し合いができません。彼は本当にまじめで、いつも周りの人間を優先して、問題を起こしたことなんか一度もないんですよ。私はもう心配で心配で……施設の評判より、彼のことが心配でなりません。彼は本当に……」 「ええ、よくわかりました。ウインストンくんはずいぶん出来た青年だ。信じますよ。大丈夫ですから、少し落ち着いて。」 「ああ……すみません。つい興奮してしまった。……でも本当に、あまりにも心配で……」 「ここに来られる方は誰しもそうです。依頼人の半数以上が親御さんですからね。あなたはウインストンくんの本当の親ではないのに、ずいぶん愛情深い方だ。」 「施設で育った子は、みんな私の子供に変わりありません。」 「なるほどね。」 「とにかく彼とまともな環境で話をしたい。」 「ただの所持なら、初犯ということもありますし保釈は可能でしょう。もしも使用していたら、あなたの施設も家宅捜査されるところでした。」 「家宅捜査など……子供達が混乱するに決まってる。決してあってはなりません。」 ロビーは顔をくしゃりと歪め、肩を下げて大きく息を吐いた。タバコくさい息だった。 「ただし今夜中に警察にかけあうことはできません。必要書類を必ず明日、できれば朝イチでこちらに提出してください。なに、この一晩で彼が不利益を被ることは決してありません。弁護士と接見するまでに余計なことを言わなければね。」 そう言うとロビーは満足げに細めていた目を泳がせ、聞きづらそうに切り出した。 「あの……施設の沽券より、とは言いましたが、やはり他の子供たちに悪い影響が出ることも、私は非常に恐れています。」 「理解していますとも。」 「本当に、代理ですべて請け負ってくださるんですね?ウインストンとその引受人である私の身元が、万が一よそに漏れたらコトです。ゴシップ誌に書かれて、孤児院そのものが糾弾されることになるのは……」 「ご安心を。容疑者とそのご家族の尊厳と権利を守るのが、我々の仕事ですから。ともかく保釈期間中は、ウインストンに普通の生活をさせてください。大学も今までどおり通わせて結構です。裁判で身元を明かされるのは避けられませんが……話のうまい弁護士に、どうにか同情をさそわせるような台本を仕立ててもらえばいい。ただしきちんと反省を促すのもあなたの大事な役目ですよ。彼には必ず真実を明かさせてくださいね。」 「もちろんです。ありがとうございます。よかった、本当に……」 ロビーの車を見届けてから、マットはすぐに電話をかけた。相手は警察署でもジェイルでもない。のオフィスだ。マットの過去を知っている「もう1人」の人物。 「もしもし、アニストン・ベイルボンズの……ああウォルツ博士、ちょうどよかった。実は急用なんですが……」
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