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「ミスター・ライリー……ではなくミスター・フォックス。簡単なことです。どこまで知ってるのか、それだけを吐きさえすれば、あなたをきちんと博士の元にお返しします。」
昨日マットと共に訪れた部屋。ここは執務室のようだ。ジャレットは昨日と同じソファーに腰掛け、両手を結んで膝に乗せていた。昨日ここを出た直後から、すでに自分たちの行動は彼らによって張られていたのだろう。
「ママが困ってるから助けてほしい」という少女に手を引かれるままついていくと、待ち受けていたのは古びた白いバンで、いまここを取り囲んでいる複数人の男たちによって車内に押し込まれ、この部屋まで拉致された。
別の車に乗り込んでいったあの女の子は、おそらくこの施設の子であろう。たとえ形だけでも孤児院という場所に勤めておきながら、何も知らない子供をダシに使うとは、やはりロビーは悪魔のような男である。
携帯電話と、財布から抜き取られた免許証、職員用のIDは、ロビーの机の上に並べられている。家族構成やザックとの関係を尋ねられたが、ジャレットは黙秘を貫いていた。ここに来てから一言も言葉を発していない。
静まり返った室内、しびれをきらした背後の男によって髪をつかまれ、「ナメた態度はそこまでにしとけよ。」と片手で咽喉もとを絞めるように押さえつけられた。
「よさんか。」と止める気もなくロビーが言うが、それでもジャレットは口を割らなかった。
「フォックスさん、怪我をさせるつもりは無いが、こいつらは何せ手に負えないほど気性が荒くてね。頭に血がのぼると私でも止められなくなります。そうなる前に、どうか。」
紫煙の中、ロビーの目だけが鈍い光を放っている。初めて見たときからこの男の印象は変わっていない。やはりこのテの人間というのは、どれだけ取り繕おうが人間性というのが黒く滲むように浮き出てしまうものなのだ。
「取引というのではないですが、あなたはまあ、ご立派なお仕事をなさっておいでですな。私もこの身の上です。お互い、社会的にそれなりの立場にある人間だ。……端的に言うならば、あなたがこれからもそれを保持していくためには、あのベイルボンズを切り捨てなければならない。今はそういう局面に差し掛かっていると言えます。ですが、これだけ身元を握られて、今後我々に対して下手な目論見を抱くような愚か者には見えない。ですから……」
「…………。」
「私とあなたは、ここですべてきれいに終わりましょう。悪いのは、むやみに首を突っ込んできたあのベイルボンズとハンターだけですよ。あなたは彼らのせいでこんな事態に巻き込まれているということも、きちんとお分かりでしょう?私まであなたを巻き込みたくはない、非常に厄介ですからな。」
嘘だ。
ザックのように彼の深層を読むことはできないが、彼がこの身をやすやすと手放すつもりなどないことは容易に分かる。教職という体裁第一の職業に就き、ザック・ウォルツという著名な学者に同伴している自分は、強請るには格好の餌食である。これに加え、世界的に有名なデザイナーである兄のヒース、刑務所の長である友人、アラン・ローレンスの存在まで知られたら、骨の髄まで利用されかねない。
「黙っていても、事態はより悪い方へ流れていくだけです。あなたならお分かりのはずだ。ウォルツ氏を引き連れていたとあらば、それがただの気色悪い蜜月であったとしても、少なからず彼を利用して我々に探りを入れていたはずです。カメラは至る所に仕込めますからね。」
「……彼はおとといのグレートランド・マーケットでのサイン会のためにここを訪れただけです。」
ジャレットがようやく口を開いた。ロビーのまぶたがぴくりと痙攣する。
「……グレートランド?」
「店内に大きなポスターも貼ってありましたが、ご存知ありませんか。あの強風の日です。あなたはそれどころじゃなかったか……。」
ウインストンが失踪した同時刻に、ジャレット達も店内にいた。しかし彼らは書店や衣料品店などが建ち並ぶ別館におり、そこから渡り廊下を越えた食料品売り場にいたロビーは、その催しすら知らなかった。
「そのあとはホテルの部屋で取材を受けたり、原稿を書いたりして過ごしていただけです。サイン会のための出張という名目ですが、休暇もかねて来ていますから、水曜日以降は仕事の依頼を一切受けていません。今朝だって観光をしていましたし、明日もレジャーに行く予定です。依頼されてあなたのことを探ることがあっても、あさっての月曜日からになるでしょう。」
「それなら、あなたは?」
ひたいに幾筋もシワを浮かべ、うすら笑いを浮かべながら淀んだ目を向けてくる。
「あなたはどう言った名目で彼に随伴を?」
「サイン会や取材の手伝いです。」
「同じ会社の人間ではなく、なぜあなたが?」
「僕たちは元々の知り合いです。これまでもボランティアとして彼の仕事の手伝いは様々してきました。」
「ふむ……。」
組んだ腕をデスクに乗せ、瞬きもせずじっと目を見据えてきた。ただでさえ嫌いな目つきだ。大いなる嫌悪を感じ、顔をしかめる。
「それでなぜ、ベイルボンズと接触を?」
「彼とウォルツ博士が友人だったので、紹介してもらったのです。」
「初めからそのように身分を明かせばいいものを、なぜ偽名を使ってまでここにやって来たのです?」
「単純な付き添いです。しかし無関係の身分とあらば同席を断られると思い、彼の部下と偽って伺ったまでです。」
「答えになっていませんな。」
表情を繕うことに疲れるから、きっとこのようにときおり表情を失くすのだ。しかしその無の表情にこそ、この男の底知れない冷淡さと恐怖があらわれている。これ以上のやりとりは彼の苛立ちをよけいに膨らませていくだけだ。本当のことを答えるつもりなど毛頭ない。きっと今は「耐えている」のだろう。いつ怒りが爆発するかわからない。
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