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「……本当に、何と謝ったらいいのかわかりません。」
ラジオの曲が切り替わり、暗い曲調のせいか車内の空気もよけいに重くなったように感じた。今ここでザックに詫びるのは、あまりにも陳腐で無責任に思える。だがこの状況に関しては、とにかく謝らなくてはならない。
車を走らせて10分。ここから孤児院までは、警察に見つからぬよう飛ばして、なおかつ混まなければ20分ほどで着く。しかし休日のせいかいつもよりパトカーの数が多く、路肩に停めて切符を切られているドライバーをすでに2人も見た。そしてこの時間のせいかやや渋滞している。イライラする気持ちと、さらに上回る罪悪感。それらがここ最近の多忙に重なり、いよいよ神経が音を立てて切れそうに張り詰めているのを感じた。
「なぜ謝るのです。」
「不用意に彼をロビーと引き合わせたのも、あなた方を逗留させたのも、すべて僕の独断で為したことです。無関係なあなた方を巻き込んだのは僕の責任です。」
「私たちはもともと明日までこの街に滞在する予定でしたよ。そしてあなたは私に正式に依頼をして、私が自分の判断で引き受け相応の報酬も受け取った。すなわちこれは私の仕事の一環です。」
「でもジャレットさんは……」
「彼はまだ無事でしょう。今すぐ危害を加えられることはない。手合いもそこまで浅はかではないはずだ。あくまでも目的はあなたで、彼に危害を加えるメリットがないですからな。」
「それでも、もしも何かあったら……」
「そのときは大人しく彼の兄貴に殺されましょう。」
口を固く結び、泣き出しそうな顔でハンドルを強く握る。
「……我々は少し仕事を詰め込みすぎました。この一件が片付いたら、あなたも無理にでも休暇をとりなさい。ベイルボンズは他にもある。あなたが不在のあいだ、そこがパンクするだけです。」
「………。」
「私でなくとも、あなたが限界に近いのは誰しも読み取れますよ。あの刑務所を出る面談の際、あなたはアニストン氏のために生きていきたいと言いましたね。自分に出来ることはそれしかないと……だからこの2年、あなたなりに我慢してやってきたのでしょう。」
ルームミラー越しに後部座席のジャッキーをちらりと見やるが、彼はただ窓外の景色をぼんやりと眺めている。
「社会に出ることを何よりも恐れていたのに、あなたは勇気を持ってこの仕事に就き、1日も休まず、休日でも仕事を優先して生活している。私やローレンス看守長に語ったことは嘘ではなかった。でも、彼もあなたのことを心配していますよ。自分は何もできない人間だと思い込んで、人の助けになるために頑張りすぎるところがあるから、とね。世話係としての働きぶりは申し分なかったが、いつかポッキリ折れることがあるのではないかと言っていました。……彼なら平気ですと、私は言いましたけど。」
「博士、今はやめてください。運転中に視界が滲んだら、ジャレットさんを助ける前にお陀仏だ。」
「おっと、そりゃ危険だ。ジャレットより先に死ぬわけにはいかない。」
「あなた、あの人とどういう関係なんです?」
鼻をすすりながらマットが笑った。ずっと知りたかったが、聞けずにいたことだ。
「彼に対する私の表情を見ていればわかることでしょう。彼の深層だけは、私には読み取れませんけどね。」
「へえ、博士にもわからない顔なんてあるんですね。」
「おそらく世界中で、妻とジャレットだけが永遠に解読不能です。」
「不思議だ。……テッドはあんなに分かりやすくて単純なのに。」
「彼はあなたに操縦されているのです。……あとそうだ、もうひとり……」
「なんです?」
「もうひとり、どうにも読みづらい方が……」
「誰?」
「私の後ろでうたた寝をしている方ですよ。」
「ああ……。」
数々の面倒ごとをくぐり抜けてきたせいか、この男には何が起こってもさしたる動揺はなく、真剣なフリだけはうまいがいつも緊迫感が欠如している。彼には愛するビリーのことしか頭にない。もしもジャレットがビリーだったなら、こんなふうに悠長に車になど乗ってはいないだろう。ありとあらゆる手を尽くし、手段など選ばないに違いない。
「いったいこの方は……」
「ただのしがない武器の密売人です。暇をもてあまして僕と浮気をするために、遠路はるばるスコットランドからやって来ただけのね。」
「はあ、なるほど。アニストン氏が帰還するまでに間に合うといいですなあ。」
「どっちと先にヤレるんでしょうね。」
「疲れると無性に性欲は湧くが、年をとるとなかなか思うようには……くたびれたらなおさら。アニストン氏は40近いでしょう?」
「この人も同じくらいです。」
「それなら、勃ったモン勝ちですな。」
「そのとおり。」
「もし2人ともダメだったら?」
「博士と。」
「私は彼らより年上ですよ。」
「でも性欲が強いのは知ってます。それだけは、唯一表情でわかる。」
「どうだか。」
「ジャレットさんと合流したら聞いてみます。ついでに保険で、博士を借りていいかともね。」
渋滞を抜け、マットは一気に速度を上げた。
ちんたらと走るサンデードライバーのあいだをすり抜けるように追い越すと、急な速度の上昇でジャッキーが座席に倒れ込み、短い眠りから目を覚ました。
「うーん……ここは?まだ着かねえのか。」
「あと5分。」
「夢を見てたぜ。」
「どんなの?」
「お前とセックスしてたら、いつの間にかビリーにすり替わってる夢だ。」
「そりゃあ悪夢だな。」
制限速度を優に超えたが、捕まらずに教会前に到着した。一足先に張っていたハンター達と合流し、マットが記憶して紙に控えておいた内部のルートを確認する。
「このまま踏み込む。さすがに施設内でドンパチにはならないだろうが、道具には警戒してくれ。」
少女ジェニーにおびき寄せられ、彼女と共にジャレットもここまで拉致されているはずだ。あくまでも真の狙いは「マット」であるから、ロビーがこの街から離れることはない。
すなわちこの周辺ならば、彼のアジトは此処なのである。市民が向ける善意や慈愛の目を隠れ蓑にした、黒き城塞。
ザックには車中で待機してもらうよう告げたが、自分もマット達に同行したいのだと言い出した。やはりジャレットの身を案じてか、さすがの彼でも多少冷静さを欠いていたようであった。
「博士。」
マットが彼の肩を抱き、自分たちを信じてほしいと訴える。真摯な眼差しを、ザックは重いまぶたで数秒ほど見つめた。そしてジャレットを保護したら即座にここに運んでくると言うと、ようやく飲み込みどうにか了承してくれた。
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