ふたりに訪れた夜

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「奴はいま、まっとうな大人どもの助けを得ている。だから心配はいらない。」 イズミの頬を撫で、トラヴィスは優しく微笑んだ。 「すべてが片付いたら、今度はイズミがウインストンのもとに行くんだ。奴はここを去る直前まで、眠りこけるお前のことをずっと見守ってた。奴に何を吹き込んだのか知らねえが、この人に怪我をさせたら許さないと言ってきやがったぜ。どうにか誤解は解いたが、あいつは今後の自分よりお前のことを心配してたんだ。」 イズミの目尻から涙が伝う。たった1日しか共に過ごさなかったのに、彼はようやく少しだけ信じられる人間に出会えて、自分も必死に信じようとしてくれたのだ。 「……マットなら彼を助けてくれるかな。」 あの公営団地で初めてマットと出会った日のことは、今も鮮明に覚えている。目だけがギラギラと鋭い、みすぼらしくやせ細った子供。まさか自分とそれほど年が変わらないとは思えなかった。親もなく、麻薬の密売人の男と荒んだ生活を送り、生きる気力など微塵も感じられなかった。 だが暇な時間に気まぐれに話しかけてから、何度か顔を合わせて少しずつ打ち解けていくたび、彼がこの生活の中でも決して損なわなかった優しさや思いやりに、やがて自分も懐柔されるようになった。 愛され方をしらないから、かつて優しくしてくれたろくでなしの男の肖像にとらわれ、ついに殺すまで切り捨てることができなかった。何度も男から受けた暴力による傷の治療をして、そのたび早くあの男と別れろと迫った。だが社会を知らず、狭い世界で半ば洗脳状態にあった彼に新たな決断を下すのは、何よりも困難なことであったのだ。 収監されてから面会に行くと、テッドには言えないが、今もデイモンのことを忘れられないと涙ながらに話していた。植えつけられて芽吹いたものは、それがたとえ悪の種であろうが、簡単に根絶できるものではない。しかし彼は彼自身の力でまっとうに刑期を終え、仕事を得て、今も真面目に社会に従事している。 彼なら、ウインストンに寄り添えるはずだ。 自分よりもずっと、ウインストンの気持ちを理解できるだろう。 「トラ、連休がとれたらマットのところに連れてって。」 「わかった。」 「約束だよ。」 「ああ。それまでに早く治さないとな。」 「もう平気さ。全然痛くない。」 「患者はみんなそう言いやがるんだ。」 トラヴィスが笑い、イズミの鼻をつまんだ。 実はあのあとにも「事件」は様々起こったが、目覚めたばかりの彼には話さなかった。 いずれ知ることになるだろうが、このまま知らなくてもいいことだ。 病室のテレビはつけないでおいた。北米東部の、とある小都市。孤児院で育った青少年らを使って、組織ぐるみで麻薬を捌いていた孤児院の施設長の逮捕は、遠く離れたこの国のニュースでも報道されている。故人となったオデールにも疑惑の目を向けられているが、外国で謎の死を遂げた口無しの彼より、今は生きているロビーへの捜査に世間は注目を注いでいる。 ウインストンをはじめとして、運び屋に使われていた少年少女たちが芋づる式に逮捕されていき、彼らの余罪も次から次へと明るみになっている。車上荒らしや運搬用の車の窃盗。少女たちは売春もさせられ、彼らはみなある貧困街に立つ公営団地を根城として、集団で生活をさせられていたらしい。 ウインストンもその中のひとりだったが、やはり彼は「エリート」として見初められていたのか、用心棒も兼ねて常にロビーについて回らされていたようだ。しかしこれまで逆らうことのなかった彼の逃走が、事件発覚への糸口となった。 裁判には相当の時間がかかると見込まれている。イズミがウインストンとの再会を果たせるのも、いつになるのかわからない。
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