美しき世界

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美しき世界

6月。 空はすっかり真夏のように眩しく、まさしく青天白日であった。車を走らせながら、マットは早くもバカンスのことを考えている。ジンとトラヴィスに会いに行った際、今年はぜひ4人で休暇を取って出かけようという話になった。だから今から楽しみでならないのだ。 それまでに、あらゆることを片付けなくてはならない。新しいオフィスも目星がつき、できれば夏になる前には【アニストン・ベイルボンズ】を再開させたいところである。家もいつまでもカップル用の狭い賃貸というわけにはいかない。 直近の問題といえば、やはりウインストンである。仕事の上ではもう彼とは無関係であるが、マットとテッドは、彼のために青少年の犯罪に強い弁護士を手配した。しばらくは公判前の整理があるため、自分たちもこれから何度か呼び出されたり、同じことを何度も確認させられるだろう。取り調べと同じだ。 麻薬所持や数々の車両窃盗の件は、ウインストンの単独の犯行ならばすぐに裁判にかけられて終わるのだが、ロビーの件が絡んでいるせいで、手続きに相当の時間を要するだろう。複雑な案件だ。バカンスまでに片付けばいいが、判決まで何ヶ月かかるかはわからない。 だがウインストンから覚醒剤の反応が一切出ていないことや、彼が置かれた不遇の環境、取り調べに対する素直で真摯な対応から、あまり悪い結果にはならないだろうと弁護士は言っていた。彼と対面できた際、ジンがすっかり回復したことを伝えたときの安堵の表情を、ジン本人に見せてやりたいと思った。ウインストンは自分の身の上より、たった1日しか会っていない「友達」の安否をずっと気にかけていたのだ。 ウインストンが刑務所行きになることは免れない。罪を犯したものは一切の例外なく、どんな理由があろうとも必ず裁きを受けるのだ。その期間が1日でも短くなることを、マットは心から願っている。そのために出来ることなら何でもしようと思っている。 もしもこの先彼が自分の境遇に絶望することがあったのなら、マットは過去のことを明かすつもりだ。保釈保証人である自分が7年も投獄されていたことを知ったら、ウインストンはどういう反応を見せるかわからない。それでも、「自分はまだマシだ」と思ってもらえるだろう。 そしてそのときには、ひとりで逃げられた君は偉いのだと言ってやりたい。自分は人を殺さなければ逃げられなかったのだ。殺さずに済んだかもしれないのに、思考の鈍った頭では、そうしなければ逃げられないのだと思い込んでいた。 デイモンの手をこれ以上汚したくなかったのは本当だ。だがどこかでずっと、ここから逃げなくてはならないとも思っていたのだ。ひとりで逃げられる勇気と判断能力があれば、あの7年は違う生き方をしていたのかもしれない。 考えても無駄だとわかっているが、ともかくウインストンは自分などよりずっと賢い選択をしたのだ。そう伝えてやりたい。 ハイウェイを抜けいくつかの市街地を越えていくと、やがてだだっ広い芝生の中にいくつかの大きな建物がポツポツと点在する異様な空間が広がった。その脇の一本道をひたすらまっすぐに進んでいく。 道はやがて小さな廃れた町に出た。そこには高いビルはなく、老朽化しているのか外壁に亀裂の入った建物が多く、あちこちが落書きだらけであった。歩道にはところどころ鳥や動物に荒らされたらしきゴミが散らばったままになっており、空は蒼天のままなのに、その景色は妙に灰色がかって見えた。 並木道に入ると、木漏れ日によって車ごといびつな模様の影絵に染まる。並木道を過ぎれば、ようやく古びた城塞のようなものが出現する。マットはそれを目にしたとき、まるでオデールの教会にそっくりだと思った。形も色も違うけれど、この独特の黒い雰囲気はまさしくあの教会と同じものである。あるいは、ここにはもう2度と来たくないと思わせるためこのような外観にしたのかもしれない。 仕事でさまざまなジェイルや留置所に赴くのに、「ここ」はやはり別格である。 【サン・ノウルズ群立矯正施設】と記された立て札のところが、職員と面会者用を兼ねた駐車場出入り口となっていた。テッドに迎えに来てもらい、車でここを出た瞬間のあの何とも言えない気持ちを思い起こす。あのとき後ろは決して振り返らなかった。建物など見たくなかったからだ。しかしまたこうしてここを訪れるとは思わなかった。テッドにも言っていない。 駐車場の職員に来訪を告げて中に連絡してもらい、門の近くに停めて車を降りた。初めてからまじまじと建物を眺める。鉄柵の扉はまだ錆びたままだが、こんなところを補修するほど予算には恵まれていないのだろう。近年はどこの刑務所も囚人は定員オーバーで、サン・ノウルズも例外ではないのだ。 出所する者を待つ際には、中には入らず、このまま外で待ち合わせるようになっている。腕時計を見ると、約束の時刻まであと5分。道が混んだせいで到着がギリギリだった。すると門扉の奥の出入り口の扉が開かれた。 マットは少し緊張して、組んでいた腕をおろす。 しかし出てきたのは1人だった。それもマットが人物ではない。その男は看守の制服を着ている。それもこの施設内で、たった1人にしか着用を許されていないものだ。 「ローレンス看守長………」 カードキーを差し込んで、ギイギイと耳障りな音を立て鉄扉を開く。現れたのは、相変わらず生意気な面立ちをして、若さに見合わぬ威厳をまとう男。この施設の長、アラン・ローレンスであった。
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