のろのろ先輩

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のろのろ先輩

「これでよし……っと」  僕は両手に抱えていた楽譜の入った段ボールを音楽室の床に置き、ぐっと伸びをした。   「えぇー、先輩ったらまだダンボール運んでたんですか?」  合唱部の一年生で、ソプラノパートである後輩、希美(きみ)が、僕の横に立ちながら文句を言う。長い黒髪を、高くツインテールにした子だ。動くたびに毛先が胸元でちらついている。邪魔じゃないのだろうかと思う。 「そうだよ、なにか悪いか?」 「先輩は行動が全部のんびりなんです。まあいつものことですけれど。毎回遅いなーって思いまして」 「君は後輩なのに、ズバズバ言うんだな」 「先輩ったら二年生で、私より一年も長くいるのに、まだ合唱部のお仕事、慣れてないんですか?」  仕方がないですねぇ、と希美が腰に手を当ててため息をつく。 「後輩の私よりも部活の仕事が遅いとか、ほんと恥ずかしくないですか? のろのろ先輩ー?」  この呼ばれ方をすると、ふつふつと無性に腹が立ってくる。  僕は中学に入学した一年生のときから合唱部で歌っている。男にしては高い声のため、女性ばかりの部活で唯一、男性としてのアルトパートを担当させてもらっている。  そんな僕のコンプレックスは、動きが他の人よりのんびりなこと。つまり、人よりもマイペースなところだ。  以前はそんなこと全く気にしていなかったのに、一年生が入学してきてから、顧問からも部活仲間からも「もっとキビキビ動け」と言われるようになってしまった。  最近では、僕の苗字の「野呂」とのろまの「のろ」を掛け合わせ、「のろのろ先輩」という、なんとも屈辱的なあだ名で呼ばれるようになってしまった。  同学年や先輩ならまだしも、後輩からもそんなあだ名で呼ばれるのは、僕の自尊心が許さない。「二度と言うな」と言いたい。といっても、それを言ってなにか言い返されても折れないような強靭な心を、僕は持っていないのだけれど。  そんな悩み多き僕の最近増えた悩みは、今年入学してきた後輩の希美のことだ。  一学期の初めは僕に対して丁寧に接していたくせに、僕が「のろのろ先輩」と呼ばれていることを知った途端、自分が上にいるかのような言動をし始めた。  そのくせ、僕の取り巻きのようにくっついているのだから面倒臭い。見た目は取り巻きだが、中身は陰湿なアンチだ。全く腹の立つ。  けれどまぁ、とにかく面倒臭いだけだ。なにか僕に対して害があるわけではないし、よく見ればかわいいし。まだ我慢できるレベルなのだ。
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