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第四話
『あっくんー、ここ分かんないっ』
『んだよ! こんな簡単な問題も解けねぇのかよ、バカ咲妃』
『バカでいいもーん。あっくんの説明の方が先生より分かりやすいし、あっくんと一緒にいれる時間が増えるし!』
『なっ!? お、お前なぁ……!』
顔を真っ赤にしながらも丁寧に説明をしてくれた彼。
勉強が全くできなかった咲妃は、咲妃の母の頼みでよく新に宿題を教えてもらっていたのが、つい最近のように思い出せる。
当時小学六年生だった新は、クラスでも頭が良くて運動もできて、他の同年代の男の子たちよりも大人っぽい雰囲気があった。
咲妃にとっては、自慢のお兄ちゃんみたいな存在だったが、当然周りの女の子たちがそんな才色兼備な彼を放っておく訳がなかった。
バレンタインにはいつも大量のチョコを持って帰って来ていた。食べきれなくて、よく咲妃も分けてもらっていたこともある。
そんなある日、たまたま新が同じクラスの女の子と二人で一緒に帰っているのを見かけた。
今でも覚えている。
その時に見た、相手を大切に思っているのが分かる優しい新の眼差し。
その眼差しは咲妃には向けられたことのない、初めて見る表情だった。
何故か急にモヤモヤとした気持ちになり、胸が苦しくなった。上手く説明できない突然の感情に咲妃自身も困惑して、それ以上彼らの姿を視界に入れてはいけないと思い、二人とは反対方向に走り出した。
後になって、その時のモヤモヤの気持ちが”焼きもち“だったのだと少女漫画を読んで知ったのだった。
「……き。おい、咲妃! 聞いてんのか?」
「へっ!? な、なに?」
新の声で我に返る。
「だから、お茶でいいかって聞いてんの」
「ご、ごめん! お茶でお願いします」
リビングには、コーヒーの芳ばしい香りが漂っていた。
カウンターには二つのマグカップが並んでいて、片方は新の愛用マグカップで、どうやら香りの元はそこからのようだ。
「あっくんって、コーヒー飲めるの?」
「まあな。ガキ咲妃とは違って、俺は大人だからなっ」
「いやいや、そんなに歳は変わらないし」
つい、いつもの癖で突っ込みをいれてしまう。
だんだん昔のような距離感に戻ってきた気がする。
台所で準備をしている新の背中を何とはなしに見つめ、ぽっと心に炎が灯った。
―――そうだ。新を意識するようになったのは、あの優しい眼差しを見たときだ。
自分にだけ、向けてほしい。
そう強く恋願うようになってしまってから、彼との距離が変わってしまった。
普段の意地悪な彼とは打って変わり、優しく相手を大切に想っていることが一目見ただけで分かる、あの眼差しに目を奪われた。
生まれて初めての“恋”をしたのだ。
けれど、すぐにその灯りはすっと消えていく。
誰にも、本人にさえも言うことのできない、この想い。
決して実ることのない、まるで苦味のあるブラックコーヒーのような、ちょっぴり大人な恋―――。
それは、自分の中だけのヒミツ。
誰にも言えない代わりに、今、この時間だけは一人占めしてもいい……よね?
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