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体験すればわかるんじゃない? アタシはそんなの、御免被るけどね。
——起き上がった? 俺はバッと後ろに飛び退く。
何故起き上がれる? 出鱈目なまでに鎖で身体を雁字搦めにされているのに、どうして起き上がれる? 何故その身体から鎖が外れていっている? どうして着ている質素なワンピースが黒いドレスへと変わっていっている?
「あーあ、朝が来る」
彼女は革命軍に捕まった時に切られた自分の髪の毛を撫でた。ナイフで乱暴に切られたその髪が一瞬にしてサラリと伸びて、元々の長さまで揺れる。
「なっ、なに、なにが……!?」
「朝が来るから、ミネルバは死ぬ。いや、正確に言えば消える」
「悪魔だ!! 本物の悪魔が……!!!」
「——黙れ、下等生物が」
恐怖に引き攣り叫ぼうとした俺の背中を、誰かが蹴った。俺は地面に無様に転がって、慌てて起き上がり蹴りつけてきた張本人を見る。
その男は綺麗な身なりをした美丈夫で、一目で高貴な身分の騎士だということが分かる。
「マリア様、お迎えが遅れて申し訳ございませんでした」
「待ってないよスカーレッタ、お喋りをしてたから退屈でもなかったし」
燃えるような赤い髪の男は、何事も無かったかのように檻の中からするりと鉄格子をすり抜けて歩み出てきた娘の前に傅く。しかし彼女は気にした様子も無く騎士の謝罪を受け入れた。そして俺の方に歩いてくると、腰が抜けて動けない俺にニンマリと笑う。
「自己紹介、ちゃんとしてなかったね。アナタが遮ったから」
そして彼女は一度目を閉じる。次の瞬間、彼女の瞳の色が変わった。
「アタシはマリア。マリア=ダントルトン。ママのお腹の中で死んだ、“ミネルバ=ダントルトン”の双子の妹」
「妹……? 死んだ……? なにが……?」
「ミネルバは死んだ。正確に言えば消えた。この肉体は間違い無く“ミネルバ”のものだった。でもアタシが乗っ取った。だってミネルバ、死ぬって言うんだもん。この国と運命を共にするって。馬鹿みたい!」
彼女は大袈裟なまでに肩を竦めると、悲しそうに俯く。
「言ったでしょ? 妹はずぅっと、姉であるミネルバを見てた。ミネルバの肉体で、ミネルバの身体の中で、ミネルバのもう一つの人格として。ミネルバのことを愛していたから。
だからなんだってした。ミネルバの嫌がる汚れ仕事は全部請け負った。初夜だってアタシが代わりにやった。ミネルバをあんな男に汚されたくなかった。
だって、……だって、この世界でたった二人きりの姉妹なんだもの。
それなのに! ミネルバは妹よりもこの国と心中することを選んだ!! 許せると思う? 許せないわよこんなこと!!
——だから、消したの。ミネルバの人格を。アンタ達に殺される前にアタシが殺したの。だって、たった二人きりの姉妹なんだもん。お姉ちゃんを殺すのは、妹の特権でしょ?」
どう解釈しても支離滅裂なことを話し続けるこの女に、俺はただただ戦慄する。
「冥土の土産に良いことを教えてあげる。“王”という舵を失ったこの国は彷徨い続ける帆船よ。風が吹く限り進むのに、陸に辿り着けやしない。辿り着こうと藻掻く度に、人が死ぬでしょうね。昨日の味方は今日の敵。民衆の中でも意見が割れて、少数派は処刑される。そんなことが繰り返される恐怖の時代が始まる。革命とはそういうものよ。そうして弱った所を他国に攻め落とされてこの国は死ぬわ。アナタ達も全員死ぬわ。そんなアナタ達と運命を共にしようとしたのがミネルバ。それを阻止したのがマリア。
あともう一つ言っておくなら、アタシ悪魔じゃないわ。神様よ、少なくともスカーレッタ達にとってはね」
マリアがパチンと指を鳴らすと、何も無い地面に炎が広がった。その炎に包まれて、彼女とその騎士の姿とが消えていく。
「さよなら麦農家さん。明日の処刑台に上がるのはアナタよ。捕らえておくべき王女を逃したアナタは“罪人”になってしまうのだから」
くすくすと、最後まで彼女は笑っていた。俺はただそれを呆然と見ているしか無かった。
彼女の予言は当たった。俺は翌日の朝、牢屋に王女が居ないことを咎められ、しかも無理矢理逃げ出した形跡が無いから俺が逃がしたのだと濡れ衣を着せられて絞首刑に晒されることになった。
きっとマリアの予言通り、この国は混沌に満ちていくのだろう。そして民は死んでいくのだろう。ならばどうすれば良かったのだろう。我々は何を消せば良かったのだろう。分からないまま、俺は絞首台の階段を上がった。縄はすぐ、目の前にぶら下がっていたのであった。
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