7人が本棚に入れています
本棚に追加
SNSは私の城だった。キサラで居る間は自由で、何でも言葉にすることが出来た。
それなのに、あれから何も呟くことが出来なくなってしまった。ミルキーが、キサラを通り越して私の現実に介入してくる。それは疑いようもない事実だった。
確かに、あの後上司も同僚も体裁が悪く退社して、私の願いは叶った。けれどその後ミルキーから、一枚の写真が送られてきたのだ。
暗くて見えにくい写真だが、倒れたような人間のシルエットと、画面の端に映り込んだ派手な柄が目についた。
あの日私に仕事を押し付けた、彼女のネイルだ。
『キサラ@あなたが突き飛ばしたの？』
『ミルキー@わたしは、あなたの願いを叶えたいだけ』
「白々しい……傷害にストーカー、ただの犯罪者のくせに」
この写真を持って警察に行けば、ミルキーは逮捕されるだろうか。
けれど、そうすると私の発言内容が知られてしまう。これだけ燃えているアカウントなのだ、私が教唆したと疑われかねない。
「だめだ、ミルキーは決定的な発言もしてない……これじゃあ、私に変な疑いがかかって終わる」
これ以上関わってはいけないと感じた私は、すぐにブロックすることにした。
今までと同じ、都合の悪いものは消してしまえばいい。
けれど不意に、アイコンの写真を撮るのに部屋の中まで侵入されている以上、下手に刺激してはまずいと思い当たる。
今までのアンチとは違う、ブロックして終わりの相手ではない。現実に何をされるかわからない。
『ミルキー@わたしはあなたの本当の願いを叶えたい。そのために生まれたの』
私はふと、キサラのアカウントを消すことを思い付く。愛着はある、キサラはもう一人の私だ。大切な居場所で、アンチに負けず守り抜いてきた唯一の宝物だ。
それでも、このままでは自由でいられたはずのキサラですら、現実の私のように恐れて言葉を発せられなくなってしまう。そんなの、嫌だった。
「ごめんね……キサラ」
そして私は、もう一人の私を自らの手で消すことを選んだ。
私にはキサラだけだった。大切だからこそ、誰かに壊されるくらいなら、自ら終わらせる。
私はアカウントの消し方を検索して、震える指でそのボタンを押した。
「……え？」
私は、キサラとしてしかSNSをしていない。キサラがいれば、何だって呟けるのだから。
だから普段意識したことのなかった、アカウントを切り替えるための一覧ボタン。そこから消すアカウントを選んで、個別に削除をすることができるシステム。
なのに、キサラだけが表示されるはずのその一覧には、数えきれない程たくさんのアイコンが並んでいた。
「は……？」
操作を間違えたかと動揺しながらスクロールしていくと、そこに並んでいたのはかつてキサラがブロックしたアンチ達だった。
ブロックリストを開いてしまったのかと、一旦戻ってもう一度アカウント一覧を表示する。けれど結果は変わらなかった。
「どうなってるの？」
ブロックを繰り返してきたせいで、フォローもフォロワーも居ない無名のアカウント。それなのに、度々粘着されては炎上してきたのが、そもそもおかしかったのだ。
「待って、じゃあ……今まで攻撃してきたアンチは、全部、私自身……？」
無意識の内に、構って欲しさに自作自演でもしていたというのだろうか。それとも、誰かを攻撃する欲求でもあったのだろうか。それを知らず知らずの内に作った捨てアカで行っていたのだろうか。ちゃんとプロフィールの設定や、呟きのあるアカウントもあったはずなのに。
キサラで居る間は、別の自分になれた気がした。けれど、もしそれが、本当はキサラだけで足りなかったとしたなら。同じような存在を、たくさん作っていたのなら。
「……嘘」
今まで信じてきた世界が壊れてしまったような感覚に、呼吸が浅くなり指先が震える。
そして、やがて私は、その数多のアカウントの中に見つけてしまった。
何度も見た名前と、真っ暗なアイコン。
「……ミルキー」
恐る恐る、私はミルキーのアイコンをタップする。すると、今まで他者を見るように覗いていたアカウントが、投稿や編集ボタンのある自分の物として表示された。
「はは、何それ」
敵も味方も、はじめから居なかった。全部、私の作り出した幻だったのだ。
ミルキーは、私。だからアイコンの写真も、私の部屋で何の問題もない。桃の酎ハイが好きなのを知っていても、おかしくない。
言いたいことひとつ言えない鬱憤を、日々のストレスを、たくさんのアカウントを使い分けることで、無意識に発散していたのだ。
脅威が存在しないと知り安心したと同時に、自分の精神状態が想像以上に危ういことに気付き、私は呆然としながら笑うしか出来ない。
「あれ、じゃあ、ミルキーの言ってた私の本当の願いって……」
『ミルキー@知りたい？』
突然操作した覚えのないメッセージが届き、ぎょっとする。思わず画面を凝視していると、次々とミルキーの呟きが投稿されていった。
『ミルキー@キルミー』
「……え？」
『ミルキー@わたしは、何も言えない現実に耐えられなかった』
「ちょ……」
『ミルキー@さっき、キサラを自分で消す判断をしたのと一緒。わたしは、現実の如月唯を自らの手で終わりにしたかった』
「何で！？ 私、こんなの打ち込んでない……！」
『ミルキー@だから、わたしが生まれたの。願い叶えるために、あなたが一歩踏み出せるように』
恐怖に耐えきれなくなり、私は衝動的にミルキーのアカウントを削除した。
他のアンチの捨てアカウントも、次々削除していく。こんなの、知らない。私じゃない。
最後にキサラのアカウントだけが残って、私の知る現実がそこにあることに安堵する。
そうだ、これはきっと、何かの悪い夢。そう信じて、私はキサラのホームを開く。
『キサラ@消えたい。もう嫌だ、逃げ出したい』
『キサラ@どこにも逃げ場なんてない。私の言葉は、誰にも届かない』
「……え？」
表示されたのは、打った覚えのないたくさんの弱音。キサラは、いつだって私が表立って言えない本心や不満を語ってくれた。
私は、いつの間にこんなに追い詰められていたのだろう。
自分の心に向き合いきれずに、こんなことになってしまったのか。
「キサラ……」
現実味のない感覚の中、不意にチャイムが鳴って、心臓が跳ねた。宅配でも頼んでいただろうか。それともセールスか何かだろうか。
いつもなら対面が怖くて居留守を使うのに、今は現実を、誰か他の存在を確認したくて、インターホン越しに私は震える声で応答する。
「はい……」
「北警察署の者です。少しお話を伺いたいのですが、お時間よろしいでしょうか？」
「……警、察？」
そこでようやく、はっとする。あの夜同僚を突き飛ばしたのが、ミルキー……つまり残業終わりの私だとしたら。そして他のアンチ達も私で、キサラ以外にも誹謗中傷を繰り返していたとしたら。
警察が訪ねて来た理由は、ひとつしかない。
「……い、嫌っ」
「如月さん？ どうされました！？」
警察がドアノブを回す音が私を捕まえるための手錠のようで、恐怖から私は玄関と反対方向に逃げる。
『逃げ出したい』
『願い叶えるために、一歩踏み出せるように』
そんなキサラとミルキーの言葉を思い出しながら、私は五階のベランダから、大きく一歩踏み出した。
＊*＊*＊
「如月さん、飛び降りだって。最近特にやばかったもんね。よく虚ろな目してたし、独り言とかもさ……コンビニで挙動不審過ぎて近所の人が通報したらしいけど」
「何か思い詰めてたのかなぁ。話せる相手とか、居なさそうだったもんね。昼休みとかスマホばっかり見てたし……あんなにずっと、何やってたんだろう？」
「さあ？ でもスマホ弄ってる時はころころ表情変わって楽しそうだったし、心の拠り所があったのかもね……」
最初のコメントを投稿しよう！