7人が本棚に入れています
本棚に追加
『キサラ@世の中生きてる意味のわからんクズが多すぎる』
仕事のストレスが最大限に溜まって、職場でも殺意だけが沸々と胸の内に溢れた日。
昼休みにそんな呟きをし、いつも以上の過激発言に炎上するかと思いきや、予想に反して返信は一件だけだった。
『ミルキー@お疲れ様でした。確かに嫌な人が居なくなった方が、世の中良くなりますよね』
「……ミルキーでも、こんな風に思ったりするんだ」
いつも私の味方をしてくれて、優しいメッセージをくれるミルキー。愚痴を溢すだけの自分とは違って、余裕と慈愛に満ちた印象だった。けれど、そんな人でも誰かに居なくなって欲しいと願うことがあるのかと、親近感と共に好感度が上がる。
私は他に誰からの反応もないことを確認して、初めてミルキーに返信することにした。
『キサラ@SNSだとブロック出来るのに、現実だとそうはいかないもんね。本当に、皆消えればいいのに!』
すぐにいいねが返ってきて、ミルキーも今この現実で頑張っているのだと、勝手な仲間意識が芽生えた。
*****
翌朝、主なストレスの原因だった上司が体調不良で休みだった。
昨日まで元気に怒鳴り散らしていたものだから驚いたけれど、皆も安心しているのは明白だった。
「今日は、怒鳴られなくて済む……」
ネット上でのアンチはしかたない。過激な発言をしている自覚はあるし、寧ろ剥き出しの感情に誰かの反応があるのは新鮮だった。キサラの物怖じしない性格は現実の私とはかけ離れているから、何か言われても他人事のように感じる。
なのに現実の私で居る間は、そうはいかない。何とも難儀なものだ。
「如月さん。これ今日中にやっといてくれる?」
「え? あの、でもそれ、私の担当じゃな……」
「あたし予定あって今から半休なんだ。資料作って先方にメールで送っといてくれたらいいから!」
「あ、あの……」
「よろしく!」
現実の私は、SNSのように文句ひとつ言うことの出来ない気弱な性格。職場では周りの機嫌を損ねないよう気を遣って、面倒ごとを押し付けられる役割。
こんな自分が嫌で生まれたのが『キサラ』だった。
キサラギのギ。偽りを捨てた、本当の私。そのはずなのに、いつからか私とキサラは乖離してしまった。
キサラが嫌われる度、こんな言動をすると疎まれるのだと、苦しくても今の私の在り方が正しいのだと、自分に言い聞かせた。
キサラが過激な発言する度、我慢してきたもやもやが何だかすっきりする気がした。
キサラは自由で、何ものにも揺るがない。自分の立ち位置すら危うい私とは別物で、けれど紛れもない私自身で、憧れにして苦手で、強くて弱い、対照的な存在。
最初はストレス発散目的で始めたものだったけれど、今となっては私にとってなくてはならない心の支えで、唯一無二の特別な存在だった。
『キサラ@仕事押し付けられたの怠い……あんな派手なネイルして会社来んなよ』
自分の仕事と押し付けられた案件を何とか終わらせ、私はデスクで一息吐く。結局残業になり、一人きりのオフィスでSNSに愚痴を呟く自分が、何だか惨めに思えた。
『キサラ@パワハラ上司明日には戻ってくるだろうし、マジ鬱。あの女と纏めて辞めればいいのに』
私も予定があると言えば良かった。脅されたり強制された訳じゃない、上手く断れなかった自分が悪い。気弱な自分が嫌いでそんな風に思うのに、他人にヘイトを向けないと心が押し潰されそうだった。
きっと、キサラを叩く連中も同じなのだろう。誰かに悪意を向けないと自分を守れない、弱い人間なのだ。
『ミルキー@お疲れ様です! 皆酷いですね、きっと罰が当たりますよ!』
「……ミルキーだけだよ、優しくしてくれるのは」
自分の代わりに何でも言葉にしてくれるキサラと、本心を肯定してくれるミルキー。
二人の居るSNSは私の心の拠り所で、大事な居場所になっていた。
*****
翌日、上司も仕事を押し付けてきた同僚も休みだった。
彼女は早々に帰宅した後、男と飲み歩いた帰り深夜に歩道橋で足を滑らせ転倒し、手足の骨を折ったらしい。
しかしその飲みの相手が、体調不良を理由に仕事を休んでいた上司だというのだから、二人のことはたちまち社内で話題となった。
「ねえ聞いた? あの子、女に突き飛ばされたとか言ってたらしいよ。どうせ酔って転んだんだろうけど……まあ、事実なら修羅場だし面白いけどさ、相手奥さんとかかな?」
ネットでも現実でも、噂や陰口は蔓延っている。狭いコミュニティの中では、醜聞は一気に駆け巡るのだ。そして、今まで表面上仲良くしていた面子の方が、事情に詳しい分掌を返すと凄まじい。
気に入らなければ直接メッセージを送ってくるだけ、アンチの方がまだ陰湿ではないのかもしれない。
上司は既婚者ということもあって、同僚達の憶測による陰口は飽きることなく昼休みにも続いていた。
『キサラ@邪魔者二人共消えるとか、偶然にしてもすごくない? 今夜は祝杯!』
『ミルキー@祝杯はいつもの桃酎ハイにしましょう!』
晴れやかな気持ちで祝杯用のお酒をコンビニで選んでいた最中、そのメッセージに思わず手が止まった。
「何で、いつも桃って……」
お気に入りの桃の酎ハイを、今まさに籠に入れたばかりだ。
ふと、あらゆることがあまりにも都合が良すぎないかと考える。
過去にアンチから生活圏を把握されたこともある。職場の特定に近いこともされたことがある。
もしかするとその情報から、ミルキーが何かしたのではないか、なんて変な想像をしてしまった。
そして私の後をつけて、桃の酎ハイを選んだところを見てメッセージを送ってきたのかもしれない。私は思わず、辺りを見渡す。
こちらを見ているような怪しい人影は、近くにない。けれど私は何となく、酎ハイを棚に戻した。
そして狭い店内を何周もして、不審人物が居ないことを確認する。
「……」
結局買い物はやめて、私は早々に帰路につく。その間にも、一度思い浮かんだ考えは消えない。
上司の体調不良がアリバイ工作のための虚偽なのか、本当に朝は具合が悪かったのかはわからない。本当だとしても、その後飲みに出られるような軽微な体調不良。
それを人為的に起こせるとして、例えば薬か何かでの腹痛だろうか。それならミルキーは、薬を盛れる距離に居た?
それから、深夜に酔った同僚を突き飛ばした女が居たという。それが、ミルキー?
全ては、私が二人の愚痴を溢したから?
「……まさか、ね」
そんなミステリーのような空想をして、首を振る。
それからも、ミルキーは度々私の愚痴に対して優しい言葉をくれた。私の不満や弱さを、受け入れて肯定してくれる。けれど、一抹の不安は消えることはない。
『キサラ@最近アンチからのメッセなくなったな……ブロックし過ぎたかな』
『ミルキー@わたしが居るから寂しくないです!』
ミルキーは私の味方。アンチは私の敵。わかっている。それなのに、どうしたって嫌な想像をしてしまう。
ミルキーが、アンチ達を物理的に消したりしていないだろうか。そうでないにしろ、何かの工作をしているのではないか。
でなければ、ブロックの度捨てアカを作ってメッセージを送ってくる程粘着してきた奴らが、こんなにもあっさり消えるとは思えなかった。
あんなにも嬉しかったはずの肯定が、私の言葉ひとつで取り返しのつかないことになりそうで、怖くなった。
私へのメッセージや反応以外呟きもなく、素性もわからない相変わらずの黒アイコン。
ふと、そのアイコンが全くの無地ではないことに気づいた。それはどこか、暗い部屋の中で撮影したもののようだ。
何かミルキーに関するヒントになるかもしれないと、私はその写真を保存して、画像編集で明度を弄ってみた。
「!?」
真っ暗な部屋の、見覚えのあるソファーとテーブル、無造作に置かれた桃の缶酎ハイ。
ミルキーのアイコンは、私の部屋で撮られたものだった。
*****
最初のコメントを投稿しよう!