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当然といえば当然なのかもしれない。
SNS映えしそうなくらいそびえたった生クリームと、それに格子を描くように掛けられたチョコソース、添えられた少量のフルーツの下には厚みのあるパンケーキが二枚重なっている――そんな糖分の塊と、濃厚なミルクを使っているというカフェラテを平らげた碧は、胃の奥からせり上がってくる気持ち悪さに耐え切れなくなって、知温にそれを伝えた。
「ほら、頑張れー、碧」
「む、り……きもち、わる……」
自宅に向かって車を走らせていた知温は、碧の言葉にすぐに行先を変更し、道の途中にあったホテルへと入った。
今は部屋のトイレの前にうずくまる碧の背中を擦ってくれている。
「吐いたほうが楽になるって」
それは碧も分かっている。けれど気持ち悪いばかりで食べたものは全く出ていこうとしない。出るのは涙ばかりだ。
「吐けないー」
どうすることもできなくて碧が泣き始める。このままパンケーキに殺されてしまうのだろうなんて思った、その時だった。
「ちょっと我慢しろよ」
知温はそう声をかけると、碧の口の中に指を入れた。舌の奥をぐっと押されると嗚咽が漏れる。その勢いで、碧は胃の中のものを吐き出していた。
「よしよし、いい子いい子。そのまま全部吐いちゃえ」
碧の口から指を出し、もう一方の手で碧の背中を撫でる。
胃の中のものを吐き切った碧が顔を上げると、吐しゃ物で汚れた手をペーパーで拭いながら知温がこちらに優しい顔を向けた。
「楽になった?」
知温がペーパーで碧の顔を拭う。碧はそれに頷いた。
「じゃあ、せっかくだからシャワー浴びておいでよ。すっきりするはずだから」
知温が立ち上がり洗面所へと向かう。トイレから出た碧はそれを追った。
「ごめん、知温くん……」
「いいから、キレイにしておいで」
手を洗った知温が碧にタオルを手渡す。碧はそれに頷いた。
「……大失敗……」
言われるがままにシャワーを浴び始めた碧は、バスルームに響くほどのため息を吐いた。
まさか自分の体が糖分を拒否するとは思っていなかった。確かに得意ではないけれど、食べられないことはこれまでなかったから、自分でも今の状況に驚いている。
しかも一人で対処することもできず、知温の手を借りてしまった。吐いてるところなんて醜いものも見せてしまった。これでは益々知温の気持ちを掴むなんてできないだろう。
三カ月を待たず、なんならこの後すぐ別れを切り出されるかもしれない。
せめて何か挽回できそうなものはないか、と考える。碧は目の前の鏡に手を滑らせた。
今碧が武器にできるものは、自身の体だけだ。碧はことさら入念に肌を洗い始めた。
バスローブだけを着て部屋に戻ると、知温が、おかえり、と微笑んだ。ソファに座っていた彼の傍に碧が座る。
「気持ち悪いの治った?」
その質問に碧が頷くと、良かった、と碧が肩に掛けていたタオルを手に取り、碧の髪を乾かすように拭く。
「濡れたままじゃ風邪ひくよ。それに、ちゃんと服着ておいで。家まで送るから」
「あ……うん。分かった」
このままここで抱かれるのだと思っていた碧は、その言葉に拍子抜けしたように頷く。それを見て小さく笑った知温が、着替えておいで、と微笑んだ。碧はそれに従い、立ち上がって洗面所へと入る。
「……もう、飽きた……?」
別れを告げられなかっただけ、まだ良かったのかもしれないけれど、ホテルで二人きりで据え膳の碧を抱くことなく、服を着ておいでと追い返されるなんて想像していなかった。碧の部屋でいきなりセックスに持ち込んだ知温が抱かないなんて、飽きたのか、幻滅したのか、どちらかに違いない。これでは計画は台無しだ。
碧は着替えながらため息を吐いた。胸がちりちりと痛い。これは悔しいからなのか残念だと思っているからなのか、それとも少し傷ついているのか、それすらも分からずにただ、その小さな痛みを受け入れるしかなかった。
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