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「別にさ、初めてを大事にしてたわけじゃないんだけど、なんか悔しい」
その翌日、休みだった碧は知温が寝ている間にホテルを出て自宅へと戻った。
あんなに情熱的に口説かれて初めてを捧げたその数時間後、実は遊び相手にされたと知った。現実を全く受け入れられなかった碧のスマホに『碧休みだよね、お茶しない?』とメッセージが入ってきたのは、正直ありがたかった。
「こんな店でも付き合うって珍しく言うから何かと思えば……碧も大人になったか」
タルト専門のカフェは白を基調にした可愛らしい店だ。インテリアもゴシック様式で、頭上にはシャンデリアまである。普段、碧は甘いものもあまり食べないし、こういった空間もなんだか気恥ずかしくて苦手なので誘われても断ることが多い。
目の前に座る親友の波音だから、そんなわがままも言えるのだ。そして、昨夜あったことを包み隠さず話すことも、波音になら出来る。
「そんなに夢抱いてたわけじゃないけど、せめてちゃんと付き合ってる人としたかったなあって」
「まあ、そりゃそうよね。あたしは高校の時だったけど、初めてはちゃんと当時の彼氏にあげたわけだし、貰いもしたけど」
ふふふ、と向かいで当時を思い出して笑う。碧はその笑顔を怪訝な顔で見やった。
「波音ちゃん、『なおと』くん出てきてる、しまって」
「え? やだー。当時思い出したらなんだか楽しくなっちゃって。だって当時の彼、奥手で可愛かったんだもん」
「ゴリゴリの男子校の頃ですか?」
「碧、声が大きい。あたしの見た目でそんなワード出てくるわけないでしょ?」
聞いた人が混乱しちゃうわ、と波音が巻いた長い髪を耳に掛ける。白いパフスリーブのシャツに落ち着いた黄色のロングスカートはどちらも碧の店で買ってくれたもので、よく似合っていると思う。ただ、それを着ているのは正真正銘男だ。
今は女装クラブのホステスとして働いていて、本人が言うように昼間見ても女性そのものだが、波音との出会いは、男子高校だった。同じクラスで席も近かったので自然と話すようになり、お互いにゲイだと知った後はぐっと仲良くなった。恋愛に発展しなかったのは、二人ともネコだからだ。
「で? 碧はどうしたいの?」
「どうって?」
いちごのタルトをフォークでつつきながらこちらをまっすぐに見やる波音に、碧が首を傾げる。波音は、だからー、とフォークをこちらに向ける。
「このまま泣き寝入りで別れる? 報復してから別れる?」
確かに三ヶ月後には捨てられることは決まっているのだ。結末が『別れ』しかないのならこのままはやっぱり腹が立つ。
「報復……とまでは言わなくても、やっぱり爪痕は残してやりたい」
暇つぶしに付き合わされるだけじゃ悔しい。せめて、ひとをバカにしたら報いは受けるのだということを教えてやりたい。
「じゃあさ、逆に惚れさせたら?」
え、と聞き返す碧に波音は嬉しそうに微笑む。
「だから、碧に惚れさせて、三か月後も離れたくないって思わせたところで、碧から『遊びだったから』ってふってやるのよ。気持ちよさそうじゃない?」
「……おれにそんなことできるかなあ?」
こちらから惚れさせるなんてしたこともない。相手を誘うなんてことすら恥ずかしくて出来ないのに、好きになんてなってもらえるだろうか。
「だって向こうは、碧を気に入ったから遊び相手にしたわけじゃない? ゼロスタートよりは勝算あると思うけど」
「まあ……可愛いとは思ってくれてるらしい」
昨日の飲み会でのことを思い出しながら碧が頷く。優菜が小動物みたいと思ったのに対し、知温は別の意味で可愛いと思っているようだった。実際に抱きたいと思って抱いたのだし、波音の言う『勝算』は多少あるのかもしれない。
「碧、確かに見た目はアイドルみたいで可愛いもんねー。中身は男っぽいけど」
「そんなことないでしょ。家事得意だもん、女子力高いじゃん」
「食の好みはおっさんだし、趣味はゲームだし、あたしとのデートにバッセン選ぶようなヤツだし」
もったいない、と波音がため息を吐く。とはいえ、仕事帰りに食べる牛丼は最高だし、ゲームやバッティングセンターはいいストレス発散になる。好きなものは好きなのだ。
「じゃあさ、碧。三カ月好きなもの封印して。その間『外も中も可愛い碧』になりきるの。可愛いってところに惹かれたならそういう子が好きなんじゃない?」
「封印? いやー、無理でしょ。牛丼禁止とか絶対無理」
今だって食べたいのに、と碧が首を振る。けれど波音はそんな碧にイチゴを刺したフォークを向け、やるんだよ、と『なおと』の声で告げた。
「このままあまーいシロップでコーティングされたイチゴを口の中にねじ込まれたくなかったら、やるって言いな」
まっすぐ、眇められた波音の視線からそれが本気なのが伝わる。碧はイチゴから目を逸らして、はい、と頷いた。
「鋭意努力、します……」
「うん、困ったらこの『愛の伝道者』波音にいつでも相談して」
ふふふ、と笑ってイチゴを頬張る波音は、碧よりもずっと楽しそうだった。
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