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数日後のその日、遅番だった碧は、他のスタッフが帰った後、本部への報告書を入力してからスタッフルームを出た。
「お疲れ様、碧くん」
その声に驚いて顔を上げると、裏口へ続くバックヤードの棚にもたれて立っていた知温が見えた。碧が驚いて駆け寄る。
「さっき、みんなと帰ったよね……?」
最後の報告書の記入は社員がひとりでできる仕事なので、社員が持ち回りでやっている。今日は碧の当番だ。
「うん……忘れ物したって言って戻って来た」
優しく笑んだ知温が、一緒にご飯行こうかと思って、と碧を見やる。碧はそれに頷いた。
「戻ってきてくれて、ありがと。何食べようか」
知温に微笑み返し、碧が裏口へと歩き出す。知温はそれに付いていきながら、そうだな、と首を傾げた。
「碧くんは?」
逆に聞かれ、碧が、うーん、と唸る。かつ丼、ラーメン、焼肉……と思い浮かべてから、そうじゃない、とその考えを打ち消す。
「……パスタ、とか?」
よく店の女性スタッフがランチのメニューにあげているものを咄嗟に口にする。知温は、いいね、と笑った。
「そういえば駅からの道によさそうなお店あるよね。行ったことある?」
裏口の鍵を掛けてから歩き出した碧の隣を歩きながら知温が、この先にある店、と遠くを指さす。
「おれは行ったことないけど……スタッフの女の子がよくランチに行ってるよ」
「じゃあ、行ってみない? この時間なら店の人たちもいないだろうし」
「うん、梶田くんは、パスタでいいの?」
碧が隣を見上げ尋ねると、その表情が少し不機嫌になる。碧が言ったから合わせようとして食べたくもないパスタを選択したのだったら、嫌だと言ってほしい。碧はちょっと面倒だなと思いつつ、あの、と口を開いた。
「知温って、いつになったら呼んでくれるの?」
その瞬間、知温からそんな言葉が出る。碧は、え、と首を傾げた。
「二人きりの時くらい、名前呼んでほしいな……碧」
いくら性格が歪んでいてもイケメンが甘えるように発するその言葉の破壊力は相当なもので、この時の碧も心臓がリズムを忘れたように速く打っていた。
「そ、そうだね……知温、くん?」
碧が緊張しながら返すと知温は、くん付けか、と小さくため息を吐きながらも、及第点、と笑った。
「お腹空いたな、碧」
知温がそっと碧の手に触れる。そのまま少しだけ手を繋いでから、すぐに離す。その行為だけで碧の顔は真っ赤になってしまった。
――三か月後にフラれるって分かってなかったら、もう惚れてるかもなあ
隣から見上げる横顔も、本当にカッコいい。すれ違う女性がこちらに視線を向けてしまうその気持ちも分かる。そんな知温が今だけは自分のものなのだと考えると、悔しいけれどやっぱりテンションは上がる。
三か月間色々なことを我慢するのだから、こんな楽しみがあってもいいだろうなんて思いながら知温に付いていくと、彼がふと、こちらを見やった。
「碧、ご飯食べたら、俺ん家に来ない? 俺明日遅番だから泊まっていってもいいし」
「え、っと……おれ、明日早番なんだ。今日は帰るよ」
碧が眉を下げて、ごめんね、と謝るが、知温は浅くため息を吐いて、そう、とだけ告げた。あからさまに不機嫌になる知温に、碧も心の中でため息を吐く。
家に泊まりに行くということは、間違いなく碧を抱きたいということだ。断ったということはそれも拒んだことになる。都合のいい三カ月だけの恋人の仕事は、ただ知温がやりたいときにやらせてあげることなのだと分かっている。でも、碧はそうなるつもりはなかった。
けれどこのまま不機嫌になってすぐに捨てられるのも面白くない。
「知温くん、ちょっと、こっち」
碧は知温の腕を引いて、狭い路地へと入った。その壁際に知温を追い込み、つま先立ちになってこちらからキスをした。短いそれを終えると、そっと知温の片手を取る。
「ホントは行きたいんだけど……仕事も大事だから」
ごめんね、と碧が知温を見上げる。すると幾分機嫌を直したらしい知温が、そうだね、と碧の腰に腕を廻した。そのまま軽く抱き寄せる。
「次は、期待してもいい?」
知温が碧の耳元でささやく。碧はそれに頷いた。
「今度、うちに誘うね」
知温を見上げ微笑むと、知温がそのままキスをする。それから、楽しみにしてる、と機嫌を戻して頷いた。
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