冬のすき焼きをより美味しく食べる

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冬のすき焼きをより美味しく食べる

「ハル、今夜はすき焼きだぞ」  雪姉ぇがダウンジャケットを羽織りながらいった。 「やったぁ楽しみ!」  嬉しい、すき焼き大好き! 「ハルの入学祝いとウチへの居候(いそうろう)開始の記念を兼ねて」  春休みが明けると私は中学二年生になる。こんなタイミングで転校、友達と別れるのは悲しいけれど、仕方ない。  だってお父さんとお母さんが仕事の関係で中国に転勤に。国際経験と中国語を学ぶ機会だぞと言われたけど、無理! 向こうのパワーに圧倒されて萎縮しちゃいそう。  私は日本に残ることを決めた。  だって夢の一人暮らし、マンガの主人公みたいじゃん!って気楽に考えていたら「岩手の雪子叔母さんところで預かってもらうから」だって。  発展した外国か淋しい田舎か、究極の選択だったけれど、私は大好きな「雪姉ぇ」のいる田舎ぐらしを選んだわけ。  そんな私に雪姉ぇは今夜ご馳走を用意してくれるみたい。 「すき焼きたのしみー」  雪姉ぇの家のコタツに身体を半分食われたまま二日目。もはや動く気力はない……。  夜は美味しいすき焼き。あぁダメ、体重だけが増えそう。 「美味しいすき焼き、食べたいべ?」  男みたいな話口調でときどき訛(なま)る。 「うん、よろしく」 「ハル、よろしくじゃねぇんだよ。美味いものが食べたきゃ手伝え」 「えぇ? 何を」 「とりあえずコタツから出ろ」 「嫌だぁ!?」 「出ろ」 「やぁぁああ」  ぐいぐいと腕を引っ張られた。  ヤドカリが貝殻から引っこ抜かれる感じってこんなかな?  雪姉ぇ、つまり「雪子お姉ちゃん」はお母さんの妹だから叔母にあたる。  金髪っぽく染めたロングヘア、綺麗でチャキチャキしていて子供の頃から大好きだった。夏休みも風休みも雪姉ぇの家に来るのが定番で一番楽しみ。それは中学になってもかわらない。まさかお父さんとお母さんが中国に転勤になって、日本に残った私がお世話になる日がこようとは人生とは不思議ね……。  ちなみにここは東北の岩手と秋田の県境、山の中のとある町。  一言でいえばとにかくすげぇ田舎。  コンビニどころか集落にはボロ屋みたいな商店しかない。  普通にタヌキやキツネ、シカと出くわす。絶対ポケモ●GOよりエンカウント率高め。  春になると「人食い熊が出るから注意しろよ」と脅されている。  注意って何をどう注意すればいいの?  マジやべぇ。まるで異世界みたい……。 「えー子供に働かせる気?」 「甘えるな、もう中学生だろ、あたしなんて化粧しとったわ」 「ヤンキー」 「いいから来い」 「ひいっ」 「ウチで預かる以上、ハルには肥えて育ってもらわにゃ、痩せて帰すわけにはいかないからな」 「いやぁああ!?」  なにその理屈。  思春期の私を肥えさせようとか、逆の意味で虐待では!?  胸はほ確かに全然育ってないけどさ。雪姉ぇみたいに大きく育ててくれるなら別だけど。  何はともあれ。  冬い食べる温かいすき焼きは大好き。  柔らかい牛肉に、熱々の豆腐。煮込まれて汁を吸った白菜に、香りのいい春菊。ぐつぐつと音を立てる鍋からつまみ上げて、溶き卵にちょっと浸して食べる。口いっぱいに広がる濃厚な醤油の香りに、素材の旨味。  あぁ考えただけでもお腹が減る。  今夜はスマホでメシテロ配信しようかな。  ネット激遅いけど。 「ダウンジャケット着て表にでろ」 「ごめんなさい」  反射的に雪姉ぇに謝る私。ついヤンキーだなんて言ったから怒ってる? 「謝るな。外に出て『すき焼きの準備』をするんだよ」 「あ、買い物?」  それなら行きたい!  車で30分移動した先にある隣町のオアシス、都会の風を感じられるイオンスーパーセンター。  服や小物を眺めて、フリーWiFiも嬉しい。 「いや、雪を掘るんだ。畑の雪をかきわけて掘るんだよ」 「かまくらでも作るの?」  アウトドアで『すき焼き』するとか映えるじゃん。  それもイイね! 楽しそう。 「さぁいくぞ」 「寒い……」  三月の半ばだというのに、外はまだ一面の雪景色だった。  田んぼが雪原になった一面の銀世界。 「広い」  こんなの都会じゃなかなか見れない。先日ここに来たときは嬉しくて。買ってもらったばかりのスマホで写真を撮りまくった。  でも喜んだのは最初だけ。出歩けないほどの地吹雪は「命にかかわる」凍結地獄。  コンビニは周囲十キロ圏内には無くて、ネットさえ繋がりにくい。  雪姉ぇの家は極寒の収容所みたいな場所にある。なんて言うと怒られちゃうかな。でも実際、このあたりは豪雪地帯として知られていて昔は本当に冬は隔絶されていたみたい。  一晩で1メートル積もるのなんて当たり前。最初は雪かきさえ不慣れだったけど、雪かきは慣れてきた。  雪姉ぇは何が楽しくてここで暮らしているのかな。都会なら楽しいことがいっぱいあるのに。  春休みが終われば中学二年の新学期。私はこの町の新しい中学に転校する。  二年生での転校なんてメッチャ目出つけど仕方ない。イジメられないかな、馴染めるかな。  不安とドキドキ、楽しみ半分。でもやっぱり憂鬱なときもある。  きっと雪姉ぇはこんな私を応援しようとしてくれているのだろう。 「気合い入れて掘れ、雪は重いぞ」 「うぐぐ!?」  私はアルミ製のスコップを手に、雪を掘る。じつは雪は意外に重い。春先の雪は少し溶けて湿っているせいもある。  スコップ1杯分持ち上げるのも辛い。 「キリキリ働かないと飯にありつけねえぞ」 「これ……捕虜とか囚人がするやつじゃ」 「口を動かさず手を動かせ、腰を入れろ」 「ひぃ」  これ児童福祉法違反だよきっと。  コタツで鈍った身体にはつらい。  雪姉ぇが指し示す雪原――庭の畑だったあたりに私は両手で持つ大きなスコップを突き刺して、雪を掘りおこしかき分ける。  1メートル四方の範囲を、深さ50センチほど掘り起こし、膝まで隠れるぐらいの雪の穴ができた。「ふぅ」  なんだか楽しくなってきたところで、雪姉ぇに作業をバトンタッチする。 「よし、そこまで」 「つかれた」  腰を伸ばし呼吸を深くすると冴えた空気が心地よい。空は青くてとても広い。  雪原の中に私は立っている。  白と青、二色に分かれた世界。  なんか、エモい。   「ここからは慎重に……こうやって」  雪姉ぇは穴の中に身体を屈めると、手で雪をかき分けた。やがて、緑の塊が雪の中に見えてきた。  淡い黄緑色のそれは、丸い白菜の一部だと気がついた 「あっ、これ白菜! 雪の下に埋まってたの!?」 「あぁ雪が多い山間部では、こうして冬の間の保存用として、畑で育てたまま雪に埋もれたままにしておくのさ、ほれ収穫だハル」 「うんっ!」  軍手をした両手で白菜をつかんで持ち上げると「ぼふっ」土から抜ける音がした。  白い雪の上に根についていた黒い土が散る。  とても大きな白菜だった。雪の中なのに凍ったりカチ子にコチになったりもしていない。 「凍ってないの?」 「外の葉を何枚か剥くと、中は大丈夫なんだ。外の気温がマイナス10度でも、雪の中は零度前後ぐらいで一定、雪の中ってのは意外と暖かいんだ」 「へぇ……!」  まるで宝物を掘り出した気分だった。  トレジャーハンター、白菜を掘り当てる。  なんてね。 「これは雪下白菜(ゆきしたはくさい)って呼ばれてる。収穫して埋めておいた野菜は寒さに耐えようとして甘みや栄養分を閉じ込める。まぁ見た目がイマイチだから市場には出せないな。あくまでも自分の家で食べるのさ」 「知らなかった、こんなのあるんだ」  いろいろと目からウロコな話だった。スーパーに行けばいつでも、どんな野菜でも買えるのに。昔から雪の多い地方ではこうして保存することもあるなんて。  雪姉ぇは白菜の外の葉を剥いて、三分の二ほどになった白菜を私に手渡した。ずしりと重くてひんやりと冷たい。 「綺麗な白菜……冬眠してたんだね」 「ぎゅっと甘みが濃縮されて、美味しい白菜になってるんだ。さ、家に入ってすき焼きを作ろう」 「うんっ!」  ◇  鍋の中ではグツグツ……と煮込まれた具材たちが湯気を立てている。  部屋中に立ち込める美味そうな匂い。白いご飯も溶き卵も準備はオーケー。  さっき収穫した『雪下白菜(ゆきしたはくさい)』は柔らかくなり、茶色く汁を吸い込んで食べごろだ。 「いっただきまぁああす!」 「よっしゃぁ! 食べるぞ!」  私と雪姉ぇはすき焼きに襲いかかった。  もうお腹はペコペコ。外で穴掘りの強制労働のお陰で何倍も温かいものが恋しい体になっている。  すき焼肉としんなりした白菜を溶き卵に浸して口運ぶ。 「……んっ、まぁああい!」  舌の上でとろけるほど柔らかい白菜と、野菜の自然な甘みが口の中を満たす。そして醤油とみりん、割り下の風味が牛肉のうまみをふわっと引き立たせている。  とっても幸せ言うことなし。 「美味いか?」 「やばい、おいひい」  はふはふ、熱い。自分で収穫した白菜が特に美味しく感じちゃう。明日になるともっと味が染み込んで美味しいやつだこれ。  でも主役は肉だよね、牛肉最高! 「姉ぇさ、奮発していい肉を買った?」  だって柔らかくてとろける感じだもの。  雪姉ぇは大口を開けて肉を思い切り頬張ると、もしゅもしゅと噛み。そして缶ビールで流し込んだ。  大人の女は皆こうなるのかな……。 「ぷっはぁ、肉はイオンで特売の米国産肩ロース百グラム148円だよ」 「マジッスか」 「でも美味いべ?」 「うん!」 「肉は一時間前に砂糖をまぶしておいて、舞茸と煮込むと、タンパク質分解酵素の働きで柔らかくなるんだよ」 「すごい主婦の裏技的なヤツだね」 「主婦じゃねーけどな」  雪姉ぇは笑うけど、結婚しないのかな。 「おいしい」 「しっかり食べろ」  高級なお肉じゃなくてもいい。工夫と、自分で少し苦労するだけでこんなにも美味しい。  白菜も寒い雪の中でがんばって春を待って耐えていたのかな。  甘い白菜を味わいながら、私はひとつ大人になった気がした。 <つづく>
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