第一章:暗黒譚始動

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「いい子ちゃん気取って何の得があるってンのよ」 「で、でも。あたしは……その」 「だぁかぁらぁ、言いたいことがあるならはっきり言えっつってンだよ、この隙間女!」  ギャルの(かかと)が机を蹴り飛ばす。「ひっ」という少女のか細い悲鳴は、けたたましい金属音にかき消されてしまう。  他のクラスメイトは無反応だ。暴力の嵐が吹き荒れる前兆を前に、ある者は遠巻きに傍観し、またある者は無関心を決め込んでいる。  いじめを苦々しく思うも動かない、動けない。あるいは動く気すらない。それがこのクラスの日常茶飯事。あるいはこの学園全体が、だろうか。  あの時と同じだ。  ここに来る羽目になった、あの時と何も変わらない。 「いつも思うんだけどさぁ。隙間女のくせに、この乳は何ってかんじなんだけど?」  遠慮も躊躇(ちゅうちょ)も一切なく、ギャルは少女の乳房を鷲掴(わしづか)みにする。胸元のリボンが激しく揺れて、紺青(こんじょう)の制服が歪むほど握りしめられる。 「い、痛っ」 「無駄におっきいモンぶら下げちゃって。隙間に入ったら押し潰されちゃうでしょ」 「えっと、それは……その。あはは」  苦悶(くもん)で涙目になりながらも、少女は困り眉毛(まゆげ)で愛想笑いばかり浮かべている。 「だったらさぁ。あーしが潰しちゃってもいいんじゃね?」  嗜虐(しぎゃく)的に口元を釣り上げると、ギャルは彼女固有の呪文を呟き、その手にマンホールの(ふた)を構築する。直径は約六十センチメートルほど、重さは四十キログラム以上の代物だ。ギャルはそれを細腕で軽々と持ち上げている。 「ほら、これでもまだ笑っていられンの?」  振り上げられるマンホールの蓋。一般人であれば、その重量で殴られれば致命傷になる。たとえここの生徒でも重傷は避けられないだろう。悪ふざけの脅し程度のつもりかもしれないが、一歩間違えれば大惨事。それでも少女は愛想笑いを絶やさずにいる。否、よく見れば顔が引き()っている。  何故(なぜ)逃げない。  何故抵抗しない。  理不尽を前に全てを諦めてしまったのか。 (なんだ、つまるところ同類じゃないか)  俺だって同じだ。  諦観して流れに身を任せて、挙句の果てがこの現状だ。人のことをとやかく言える立場じゃない。  これからもずっと、そうやって惰性(だせい)で生きていくつもりなのか。  体の奥底、魂の内側よりどす黒い瘴気(しょうき)が湧き上がる。  張り裂けんばかりの自己嫌悪。  次の瞬間、弾かれたように動いていた。無意識だった。  これ以上我慢できない。  眼前で展開する非道行為にも、自分の意志を抑え込み続けることにも。 「いい加減にしろ」  マンホールの蓋と少女の間に割って入る。  予想外の横やりに、いじめっ子ギャルは目を白黒させている。被害者側の少女も突然の救いの手に困惑気味だ。あわあわと両手を胸元で震わせている。 「な、何だよ転校生。文句でもある訳?」 「そーだそーだ」  狼狽(うろた)えながらもギャルに退く様子はない。腰巾着も強気で賛同の意を示している。  どうやら、一度痛い目に遭わないと分からないらしい。 「やめろと言っているんだ」  黒光りする蓋に向けて真っ直ぐ右手を(かざ)す。  一触即発。火薬庫は引火の瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。  それでもギャルは(ほこ)を収めない。むしろ渡りに船とばかりに、 「あーしに指図すんじゃねーよッ!」  俺の脳天へとマンホールの蓋を振り下ろした。  刹那(せつな)、弾ける。  (かね)をつくような重厚な音が鳴り響く。(ほとばし)る衝撃波。天井から木屑(きくず)がはらはら舞い落ちる。  ギャルの体が回転し、教室の引き戸を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、(うめ)く間もなく昏倒する。  不可視の連撃。  マンホールの蓋を()ぎ払い、いきり立つギャルを無力化した。 「え、え?」  腰巾着は何が起きたか理解できずにいるらしい。主人が吹き飛んだというのに茫然(ぼうぜん)としている。  一秒にも満たぬ間に状況が逆転したのだ。呆気(あっけ)にとられるのも無理はない。 「て、てめぇ。よくも俺の女に手を出しやがったな!」  椅子が床を転がり、怒り心頭を絵に描いたような男が躍り出てくる。これまた柄の悪そうな見た目だ。マンホール女の彼氏というのも納得できる。  ギャル男が呪文を唱えると、その頭部はみるみるうちに膨れ上がる。繰り出されるのは勢い任せの頭突き攻撃だ。  恋人の敵討ちのつもりらしい。逆恨みも(はなは)だしい。先に仕掛けたのはその恋人の方だ。身内の非を認められないのか。  頭の大きさの割に器が小さいこと。辟易(へきえき)する。  半眼で見据え、迫る男へと右手を向ける。 (敵の力量を推し量れないとは。単細胞の行動は度し難いね)  弾ける衝撃。  目にも止まらぬ一撃が(ひらめ)く。  男の体が回転し、もう一つの扉を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、カップルは二人仲良く沈黙した。  残響の中、クラスメイト達は誰もが微動だにしない。拍手喝采(はくしゅかっさい)罵詈雑言(ばりぞうごん)も起きず、ただただ静謐(せいひつ)へと移り変わっていく。  あり大抵に言えば、ドン引きしているのだろう。  ああ、またやってしまった。  事が終わってから、どっと後悔が押し寄せてくる。  これで二度目だ、感情に任せて力を行使してしまうのは。  同じ(てつ)を踏むなんて。己の学習能力のなさに頭痛を覚える。  この力は使いたくない。使ってはならないのに。  まったく、どうしてこうなってしまったのだろうか。  
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