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「いい子ちゃん気取って何の得があるってンのよ」
「で、でも。あたしは……その」
「だぁかぁらぁ、言いたいことがあるならはっきり言えっつってンだよ、この隙間女!」
ギャルの踵が机を蹴り飛ばす。「ひっ」という少女のか細い悲鳴は、けたたましい金属音にかき消されてしまう。
他のクラスメイトは無反応だ。暴力の嵐が吹き荒れる前兆を前に、ある者は遠巻きに傍観し、またある者は無関心を決め込んでいる。
いじめを苦々しく思うも動かない、動けない。あるいは動く気すらない。それがこのクラスの日常茶飯事。あるいはこの学園全体が、だろうか。
あの時と同じだ。
ここに来る羽目になった、あの時と何も変わらない。
「いつも思うんだけどさぁ。隙間女のくせに、この乳は何ってかんじなんだけど?」
遠慮も躊躇も一切なく、ギャルは少女の乳房を鷲掴みにする。胸元のリボンが激しく揺れて、紺青の制服が歪むほど握りしめられる。
「い、痛っ」
「無駄におっきいモンぶら下げちゃって。隙間に入ったら押し潰されちゃうでしょ」
「えっと、それは……その。あはは」
苦悶で涙目になりながらも、少女は困り眉毛で愛想笑いばかり浮かべている。
「だったらさぁ。あーしが潰しちゃってもいいんじゃね?」
嗜虐的に口元を釣り上げると、ギャルは彼女固有の呪文を呟き、その手にマンホールの蓋を構築する。直径は約六十センチメートルほど、重さは四十キログラム以上の代物だ。ギャルはそれを細腕で軽々と持ち上げている。
「ほら、これでもまだ笑っていられンの?」
振り上げられるマンホールの蓋。一般人であれば、その重量で殴られれば致命傷になる。たとえここの生徒でも重傷は避けられないだろう。悪ふざけの脅し程度のつもりかもしれないが、一歩間違えれば大惨事。それでも少女は愛想笑いを絶やさずにいる。否、よく見れば顔が引き攣っている。
何故逃げない。
何故抵抗しない。
理不尽を前に全てを諦めてしまったのか。
(なんだ、つまるところ同類じゃないか)
俺だって同じだ。
諦観して流れに身を任せて、挙句の果てがこの現状だ。人のことをとやかく言える立場じゃない。
これからもずっと、そうやって惰性で生きていくつもりなのか。
体の奥底、魂の内側よりどす黒い瘴気が湧き上がる。
張り裂けんばかりの自己嫌悪。
次の瞬間、弾かれたように動いていた。無意識だった。
これ以上我慢できない。
眼前で展開する非道行為にも、自分の意志を抑え込み続けることにも。
「いい加減にしろ」
マンホールの蓋と少女の間に割って入る。
予想外の横やりに、いじめっ子ギャルは目を白黒させている。被害者側の少女も突然の救いの手に困惑気味だ。あわあわと両手を胸元で震わせている。
「な、何だよ転校生。文句でもある訳?」
「そーだそーだ」
狼狽えながらもギャルに退く様子はない。腰巾着も強気で賛同の意を示している。
どうやら、一度痛い目に遭わないと分からないらしい。
「やめろと言っているんだ」
黒光りする蓋に向けて真っ直ぐ右手を翳す。
一触即発。火薬庫は引火の瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。
それでもギャルは矛を収めない。むしろ渡りに船とばかりに、
「あーしに指図すんじゃねーよッ!」
俺の脳天へとマンホールの蓋を振り下ろした。
刹那、弾ける。
鐘をつくような重厚な音が鳴り響く。迸る衝撃波。天井から木屑がはらはら舞い落ちる。
ギャルの体が回転し、教室の引き戸を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、呻く間もなく昏倒する。
不可視の連撃。
マンホールの蓋を薙ぎ払い、いきり立つギャルを無力化した。
「え、え?」
腰巾着は何が起きたか理解できずにいるらしい。主人が吹き飛んだというのに茫然としている。
一秒にも満たぬ間に状況が逆転したのだ。呆気にとられるのも無理はない。
「て、てめぇ。よくも俺の女に手を出しやがったな!」
椅子が床を転がり、怒り心頭を絵に描いたような男が躍り出てくる。これまた柄の悪そうな見た目だ。マンホール女の彼氏というのも納得できる。
ギャル男が呪文を唱えると、その頭部はみるみるうちに膨れ上がる。繰り出されるのは勢い任せの頭突き攻撃だ。
恋人の敵討ちのつもりらしい。逆恨みも甚だしい。先に仕掛けたのはその恋人の方だ。身内の非を認められないのか。
頭の大きさの割に器が小さいこと。辟易する。
半眼で見据え、迫る男へと右手を向ける。
(敵の力量を推し量れないとは。単細胞の行動は度し難いね)
弾ける衝撃。
目にも止まらぬ一撃が閃く。
男の体が回転し、もう一つの扉を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、カップルは二人仲良く沈黙した。
残響の中、クラスメイト達は誰もが微動だにしない。拍手喝采も罵詈雑言も起きず、ただただ静謐へと移り変わっていく。
あり大抵に言えば、ドン引きしているのだろう。
ああ、またやってしまった。
事が終わってから、どっと後悔が押し寄せてくる。
これで二度目だ、感情に任せて力を行使してしまうのは。
同じ轍を踏むなんて。己の学習能力のなさに頭痛を覚える。
この力は使いたくない。使ってはならないのに。
まったく、どうしてこうなってしまったのだろうか。
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