第一章:暗黒譚始動

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第一章:暗黒譚始動

 この世はとかく理不尽だ。  清廉潔白に生きようとも、たゆまぬ努力を積もうとも、報われる人生を送れるとは限らない。崇高な志だけではどうにもならぬ、不条理な世界が広がっているのだ。  突発的な事故か。  回避不可能な自然災害か。  あるいは、心ない者の魔の手にかかるか。  それらであればまだ良い方だろう。単なる不運と諦めがつくし、明確な悪意が相手となれば徹底抗戦の選択だってある。  だが、より性質(たち)が悪いのは、善意による理不尽だ。  国のため。  街のため。  人のため。  あなたのため。  聞こえの良い大義名分が幾重にも積み重なり、望まぬ世界が構築されていく。  差別、偏見、迫害。  もっともらしい理屈を並べて、目の敵にして、追い立て居場所を奪っていく。その手を嬉々として汚すのは、弱きを(くじ)いて強き者の威を借る(きつね)。あるいは飼いならされた猟犬(りょうけん)か。  飼い主も、それに付き従う者も、誰も彼もが醜く歪んでいる。  それが世の縮図なのだ。  生まれた時から、そんな理不尽が蔓延(まんえん)した環境。抗う力も知恵もなく放り出され、幼き身はあっという間に踏みにじられていく。  だからこそ、俺は理不尽を嫌悪する。  誰にも縛られない、何人たりとも奪わせない。  絶対に、だ。  などと仰々しく息巻いたところで無力、無価値、無意味だろう。現に権力を前にして、俺は歯向かうこともできない言いなりでしかない。  結局のところ、俺も醜く歪んだ一人に過ぎないのだ。 「……という訳で、今日から梅組の仲間に加わる巴坂(ともえざか)魅命(みこと)君だ。みんな、仲良くしてやってくれよー」  担任教師の声色はやる気なく間延びしている。新たなクラスメイトの紹介にしてはあまりにもぞんざいだ。教師の見た目も、スキンヘッドにサングラスと異様に厳つい。(おおよ)そ教育者とは思えぬ身なりと体たらく。不安ばかりがこみあげてくる。  春。  桜吹雪舞い散るこの時期、転校生は風物詩と言えるかもしれない。新年度開始のこのタイミングなら、新たな環境に飛び込むのにちょうど良い時期だろう。  しかし、俺の場合は違う。  偶然、春先に転校する羽目になっただけだ。  それに、ここは普通の学校ではない。クラスのメンバーは常に不動、生徒の年齢はバラバラで、小学生から高校生まで多様性に富んでいる。男女比は女子が少し多い程度でほぼ半々。俺を加えて全部で十三人。不吉な数字の完成だ。机は縦四列横三列で並んでおり、俺の席は飛び出す形で窓際にぽつんと置かれている。  きっと、この学校にも居場所はないのだろう。  特段、席の配置に文句がある訳ではない。経験則に基づく直感だ。短い半生、誰からも必要とされず、(うと)まれ避けられ爪弾(つまはじ)きにされ続けてきた。いかに環境が変わろうとも、それは不変の摂理なのだろう。  もはや溜息をつく気力さえ起きない。  そういう星の元に生まれてしまった。どうしようもない。自分一人の力では抗いようがないのだから、全てを諦め放り出してしまった方が楽だ。  もはや息をしているだけの死体。  流されるままに生きるだけの、刹那主義にも満たぬに成り下がっていた。  入学早々死んだ目の俺を気にも留めず、担任教師は授業を進めている。 (なんだ、もう知っていることばかりじゃないか)  新学期が始まったばかりだからか、座学の内容は至って緩い。飛び交うのは既に記憶した知識ばかりだ。馬鹿正直に受ける必要はないので、目立たない程度に漫然と聞き流す。  授業が終わるのに、そう時間はかからなかった。  チャイムが鳴るよりも早く、担任教師は教室から去っていく。途端にざわざわと騒がしくなり、各々休み時間を満喫し始める。  しかし、俺に話しかけてくる者は皆無だ。転校生に群がりあれやこれやと質問攻め、などというのは幻想に過ぎない。誰も俺に興味などないのだ。悲しいかな、これが現実である。  暇潰しになりそうな趣味もない。手持ち無沙汰(ぶさた)、虚無の休み時間だ。  初日から灰色一色の学校生活か。  先が思いやられる。  溜息一つ。半眼でなんとなしに教室を見渡していると、前方から芳醇(ほうじゅん)なきな臭さが漂ってきた。 「ねーねー、隙間女さぁ。ちょ~っとあーしらの相手してくんない?」  表向きは猫なで声。しかしその端々からは、有無を言わさぬ威圧が漏れ出している。  素行の悪そうなギャルとその腰巾着の女子。二人は教室一番前の席に座る、気弱そうな女子生徒に(ひじ)を押し当て絡んでいた。  俺と同い年くらいだろう。可哀想に。彼女も災難だな。  ふんわりと春風に揺れるボブカット、()せ過ぎず太過ぎず適度に健康的な肉付き。見た目の印象としては、どこにでもいそうな少女といったところだ。敢えて特筆すべき特徴を挙げるとするなら、同年代と比べて発育良好な胸回りか。 「そんな、相手って言われても」 「細かいことは気にしなくていーから。あーしらのサンドバッグになってくれればいいんだって」 「そーそー。難しくないよー」 「え、えぇ……それは困る、かなぁ」  到底受け入れられないだろう誘いを前に、ボブカットの少女は語気を不明瞭に(にご)らせる。無理難題は断るべきなのに、笑って誤魔化(ごまか)せば逆効果だ。火に油を注いでいるのと変わらない。  彼女は真面目なのだろう。しかしその実態は、自分の意志を表明できない引っ込み思案。いじめの標的にされやすいタイプだ。 「うわ、出たよ。そーいう曖昧(あいまい)な言い方マジでイラつくんだけど」 「ホントそれ」  案の定、いじめっ子二人はネチネチと責め立てる。  もっとも、この手の連中は無理矢理因縁をつけてくるものだ。箸が転んでもクレームの嵐だろう。
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