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第二章 捜査開始 5 情報交換
同日 19時47分
六本木グランドタワー51階 レストラン ムーンライト 特別個室
室長室でシャワーを借り、黒のシックなドレスを用意してもらった私は、入念に化粧をし、髪を整え、渡されていた予約チケットの場所にやってきた。ヒルズまでは神蔵に送ってもらったわけだが、車に乗る前から不機嫌そうにしており、車内では最低限の言葉しか交わさなかった。なんだかんだ言いながら、私が哲也と二人きりで会うのが気に食わないのだろう。
個室から見える東京の夜景がとても素敵だ。一つ一つの明かりが、色々な人が生きている平和な証のようにも思える。
CODE:AW。それは一体何を指すのだろうか……
当てはまる綴りは色々と思い浮かぶが、Wに関しては恐らく魔女を指すウィッチだろう。Aは絶対的という意味のアブソリュート、古代という意味のエンシェント、色々と当てはまるが……
意味合いとしては、絶対的な力を持つ魔女。それがAWなのだろう。ただ、本当にそうなのだろうか……
「――麻美。元気にしていたか?」
時計の針が19時55分を指したとき、個室のドアが開き立派な黒のスーツ姿の哲也が現れた。爽やかな少し長めの髪型に、しばらく見ない間に、随分と鍛え上げられた体つきになっているように思える。
「哲也、随分と立派な体つきになったじゃない。学生の時は結構細身だったのに」
「まあ警察学校がなかなかハードでね。日本に戻ってからは柔剣道にも励んでいる。いちおうこれでも警察だからな」
「今日は誘ってくれて有り難う。あと警視正への出世、おめでとう」
「有り難う。久しぶりの再会だ。俺も嬉しいよ」
哲也は嬉しそうだった。大学卒業後、連絡はよく取っていたように思う。ただNYPD、FBIへと進んでいく中で、ゆっくりと話す時間が無くなっていったのも事実だった。哲也は警察官僚、そして私はFBIのNSB所属。お互いに職業柄気軽に話せる立場では無くなったというのもある。
「――それでは再会を祝って。乾杯」
グラスに注がれたシャンパン。お互い目を合わせ、グラスを合わせた。
優しく微笑む哲也。
「しばらく見ない間に、また一段と綺麗になったな。神蔵がうらやましいよ」
「ごめんね。本当は3人で祝いたかった所だけど。神蔵は時間が合わなくて……」
「――まあ、来ないことも十分予測出来たから問題ない。あの手紙をそのまま見せたわけでも無いんだろう?」
「まあね。直接見せたら当分口きいてくれないと思うわ。あの文面は」
神蔵に手紙を要約して伝えたのはそういうことだ。
それからしばらく、シャンパンとコース料理を楽しみながら、哲也と楽しい思い出話に花を咲かせた。主に学生時代の話だ。哲也と神蔵は意外と趣味などが共通しており、仲は良かったように思う。
――あの頃は、本当に楽しかった。
3人でよく勉強もしたし、スポーツをしたり映画やコンサートにいったり。
ずっと一緒にいたように思う。
「麻美。この東京の夜景は、君にとってはどう見える?」
「どうしたの急に」
シャンパンを口に含みながら、哲也が夜景を眺めそう問いかけてくる。絵になる構図だが、今は酔いに任せて見とれている場合では無い。
「――そうね。ひとつひとつの明かりが平和の証。私達は、この美しい個々の幸せを守るためにも、職務を全力で全うしなければならない。それは常に思ってるかな」
この世界は幾多の人々が密接に関わり合うことで成り立っている。それぞれが様々な仕事をすることで、この社会は構成されている。そこに優劣は無い。人と人の関わり合いが気薄になっているとよく言われているが、たった一人で生きていける人間などいない。皆何処かで繋がりを求めているのだと強く思う。
「俺は――、この東京の夜景が、偽りの平和そのものに思える。明るく綺麗に見えるが、よく目をこらせば光が届かない箇所も多い。夜景というものは闇の中に光があるから綺麗に見える。闇と光のコントラストが、日々増しているような気がしてならない……」
「――本国でも日本でも、格差は広がるばかりで弱者は増え続けているわ。政治が腐敗し、国というシステム自体が破綻を来し始めているのは、私も日々感じてる……」
酔っているのか、それとも何か思いがあるのか、哲也はグラスを片手に夜景を眺めている。哲也の父は大物政治家、母は世界的に有名企業でもある霧峰重工の役員だ。色々な思惑を持った人間が、日々纏わり付いてくるのに嫌気がさしていると、以前口にしていたような気がする。
それを思えば哲也の言うとおり、この夜景は仮初めの平和なのかもしれない。
「――すまない。少し酔っているようだ」
哲也はそう言って優しく微笑む。コース料理も終わり、締めのデザートが運ばれてくる。可愛いプリンアラモード。哲也はコーヒーゼリーにしたようだ。ほのかに酔った体に、冷たいプリンと甘すぎない生クリームが幸福感を上げる。そろそろ頃合いだろうか。
「――哲也。そろそろ本題に入りたい所だけど」
ハンカチで口を拭う。そういうと哲也は微笑んだ。
「――分かった。飲み直すとしよう。とっておきの場所がある」
まあ、こうなることは予想済みだ。ここもある程度はセキュアな場所なのかもしれないが、こちらとしても隠密に聞きたいことが色々とある。酔いもある程度冷めてはきていた。万が一押し倒されそうになっても対処は出来る。
そして私達は、レストランを出た。
同日 23時47分
東京都港区麻布 某所
「ゆっくりしてくれ。とりあえず飲み直すか」
六本木から車を出し、付いた先は哲也の家だった。もっともここは数あるセーフハウスの一つらしい。自動運転レベル4以上が実装されている車では、飲酒をしていた場合もオートパイロットを起動していれば飲酒運転にはならない。もっとも運転席に一人で座っていてはダメだが。
質の良いソファに案内され、哲也がブランデーとツマミのチョコレートを持ってくる。
「麻美とこれを飲みたかった」
特徴的なボトルですぐに銘柄が分かる。高級ブランデーのレミーマルタン。ルイ13世だ。淡い間接照明に照らされたボトルがとても綺麗に見える。哲也はムード作りも上手だ。静かな音量でピアノクラシックが流れている。
「――哲也。色々と聞きたいことがあるわ」
「――いいだろう」
軽くブランデーを口に含み、チョコレートをひとつ。流石に何十万もするルイ13世だ。口の中に芳醇な味わいが広がる。チョコも甘すぎず上品な味だ。
「――単刀直入に聴くけど、何処まで掴んでるの?」
「そうだな…… 白骨化事件についてはこちらも手がかりが全く掴めていない状態だ。今回の会食は確かに麻美と再会したかったこともあるが、UCIA日本支部との連携を深めたいというのは事実だよ。室長ともよくミーティングをしている」
「哲也は…… この事件の背後にいる黒幕について、どういう見解なのかしら?」
「……この手の神隠し的事件は遙か昔から日本では起こっていた。八百万の神がいると言われているこの国だ。霊的な事件というのは確かに存在する。霊的事件専門の捜査組織も密かに存在するからな。最もこの事は極秘事項だが」
(霊的事件専門の捜査組織…… それを哲也が公安七課として立ち上げたものと思っていたが、別の捜査組織が存在するということなのか?)
「その捜査組織って、哲也の公安七課とは別組織ということかしら?」
「……表向きには公表されていないが、公安六課にあたると言われている。もっとも俺の権限ではまだ六課の実態すらよく掴めていないが。公安七課は――」
哲也がブランデーを口に含む。そして私の目を見て口を開いた。
「対AW、専門の捜査組織。それが公安七課だ」
哲也はそう言うと、チョコレートをひとつ口に運ぶ。
「元々は『魔女』そう呼んでいたが、ハーディ室長とミーティングを重ねる内に、こちらでもAWという呼称に統一したほうが良いだろうと思ってね。七課の立ち上げには国内の色々な組織が関わっている。UCIA日本支部のグラウンドベース建設も、米国防総省と警備局との密接な打ち合わせがあった。あの施設は治外法権で日本の法律が適用されない特別エリアになっている」
グラウンドベースに関しては、確か神蔵も気になることを言っていた気がする……
「グラウンドベースだけど。建設資金は日本側が全て捻出したっていうのは本当なの?」
「事実だ。土地と建設資金を提供する見返りとして、あの場所にはある秘密がある」
再びブランデーを口に含む哲也。
「これを見てみるといい。麻美ならもう分かると思うが」
そう言うと哲也は地図を出したタブレットを私に手渡す。地図は東京周辺のものだ。そして国会議事堂の場所がマーキングされている。
「これって…… まさか……」
国会議事堂からグラウンドベース、それを線で繋ぐ。そしてその線の先にある施設は……
「そう、その先にあるのは米軍横田基地。超大型地震等の大災害発生時、グラウンドベースは日本政府の一時緊急避難先としても機能する。そして秘密裏に建造された地下鉄で横田基地へ。国外へ脱出する緊急避難ルートになっている」
なんということだ……
「じゃあ、自分たちの緊急避難ルートを確保するために、新宿の地下深くを米国に差し出し、費用も出したってこと?」
「――そういうことになる。俺もこの話を知ったときは、流石に怒りを覚えたがな…… ただ日本政府も協定でアメリカ軍の基地提供要請を断れない。大震災が起こった際、政府機能が麻痺する可能性は十分にある。最悪のパターンを想定しての避難ルートというわけだ。戦後今でも続く占領政策の闇でもあるがな……」
第二次世界大戦が終戦し、徹底的な占領政策が行われた日本。高度経済成長期は良かったが、バブル崩壊後は緩やかに衰退の一途を辿っている。もちろんそれは本国も例外では無いが、世界的に不安定な情勢がそれに拍車をかけている。途上国の人口増加、それに続く移民、貧富の格差等、問題は山積み。特に日本では政府の腐敗が著しく、外国勢力によるスパイ工作もあり国内は酷い状況に陥っているのが現状だ。
「次は俺から質問するが、アルサード女学院で収穫はあったか?」
やはり動きは掴まれていたようだ。
「……北條鮎香という生徒が、AWについて色々と知っていた。彼女の口ぶりから教会でも被害者が出ている可能性がある。その先は教会も知られたくなかったようで、面会が突如終了となったわ」
「……なるほどな。アルサード教会にインターンとして赴いている6人についてはこっちでもマークしている。その中に霧峰重工の令嬢の姿もあったのには驚いたが」
哲也が数枚の画像を見せる。
「霧峰結衣花。霧峰重工の代表取締役社長、霧峰貴之の一人娘だ。いつも北條と一緒にいるのが目撃されている。その可憐な美貌もそうだが成績優秀、スポーツ万能、下級生からも慕われている非の打ち所が無い学生だ」
明るい栗色のロングヘアーが綺麗なスレンダーな女の子だ。髪は腰くらいまである。北條さんと仲良く通学路を歩いている写真が微笑ましい。
「他の4人についても掴んでいるの?」
「この6人については帰りにデータを渡そう。アルサード女学院の在校生データなら、警察内で比較的入手が容易い。教会内のデータとなると、一筋縄では行かないがな」
さすがは公安部。だが教会内のデータとなると、流石にこの口ぶりからだと難しいだろう。
「ちなみに―― ここ最近で捜索願が出されている人間はどれくらいいるのかしら?浜野由奈の件以外に、女学院周辺で行方不明になった人間などは?」
「生活安全局のデータも参照したが、特異行方不明者(事件性が高く緊急性が求められる分類)でそれらしき該当者は無かった。教会内での行方不明者は、内部からの情報が無いと特定は難しいだろう」
「そっか…… いずれにせよ、教会内の情報を何とかして手に入れないとね……」
ブランデーを口に含む。教会内部の情報を何とかして入手する必要がある。この6人の誰かから情報を聞き出したいところだが、こちらの動きも教会は警戒しているだろう。面会許可が再び通るとは思えない。通ったとしてもその辺りの情報は箝口令が敷かれているはずだ。となると、クリスの情報攻勢がやはり必要なのだろうか……
「アルサード教会に関しては、色々と疑問を持つ部分がある。公安でも随分と前からマークしているが…… 麻美もNSBにいたのなら分かると思うが、何処にも付け入る隙が見当たらない。影響力は日々増しており、弱者層からの支持が圧倒的だ。こちらとしても下手な動きが出来ない。そのための協力体制でもある」
「そうね…… UCIAとしても公安と協力出来れば心強いわ。満月の夜に新たな被害者が現れる。次の事件を未然に防ぐためにも、今後は協力して捜査しましょう」
公安の力を借りられれば、色々と助かる。教会に出入りしている6人のデータが入手できた事は今後の捜査にも生かせるだろう。哲也は頭も相当に切れる。本当に心強い。
それと同時に、最も警戒しなければいけない人物でもある。最大の味方が敵側に通じていたというのはよくある話だ。もっともAWと通じている事は無いだろうが、あくまで哲也は日本の公安の人間。完全な味方では無い。米国捜査機関としての自分の立場がはがゆい。
「神蔵は…… 元気にしているか?」
グラスを傾けながら、哲也は言った。
「――相変わらず、だけど…… 1年半前にFBIから忽然と姿を消した時、すごく心配をかけてごめんね……」
当時、哲也に酷く心配をかけたのを覚えてる。哲也は私を気遣い、頻繁に電話をくれた。その優しさに、全て身を委ねてしまいたくなる程に。
「あの時のことなら、礼には及ばない。麻美が再び立ち直ってくれて俺は嬉しいよ。こうして日本に来てくれたこともね」
「その、神蔵の事なんだけど……」
この事を相談できるのは、哲也しかいない。UCIAはおろかFBI時代の仲間も、何処で誰が繋がっているか分からない。皆遠回しに『神蔵の事は詮索するな』と忠告していた気がする。
「私達が知っている神蔵じゃないの…… 笑顔が消え失せて、何かに対して強い憎悪を抱いたオーラを放ってる。誰もが近寄りがたい程に。神蔵はFBIからある機関へと転属し、そこで重傷を負い、一命を取り留めた後にUCIAへ配属となっている。空白の一年間、それが極秘事項になっていて、分からない……」
自然と声が震える。何が神蔵から笑顔を奪ったのか――
「部下から聞いた。非常に無愛想な人間だったとな。室長からUCIAに彼が配属されると聞いたとき俺も驚いたよ。面会も頼んでみたが、神蔵には応じる意思はなかったらしい……」
「哲也…… 神蔵の空白の一年間。何があったのか私は知りたい。それが分からない限り、彼は救われない気がするの。――あなたの力を貸してほしい」
不思議だ。どういう訳か涙声になる…… それがどれだけ危険なことなのか、第六感的に体が分かっているのだろう。そして哲也をそれに巻き込もうとしている身勝手な弱さに、心が痛く苦しくなる。
「麻美……」
哲也が私の横に静かに座る。そして彼は、私を抱き寄せる。
「神蔵の事は、俺もずっと気になってはいた。俺も出来るなら、また学生時代のように3人で共に笑いたい。俺に出来る事は何でもする。俺はずっと、どんな立場でも麻美の味方だ。だからどんな時でも、俺を頼ってくれ」
哲也の言葉…… その優しさに、私の感情が…… 一気に溢れ出す。
涙が溢れ、何かを喋ろうとするも、言葉が出ない。私は只、何かにすがりつくように泣き出してしまった。哲也の温かい胸の中、色々な感情がぐちゃぐちゃになって、自分でもよく分からない……
「麻美…… 頑張りすぎるな。お前は昔からそうだ。辛いときは泣いていい。人は涙するからこそ、前を向いて生きていける。麻美に何があっても、俺はお前を想い続ける。ひとりじゃない。俺はいつでも側に居る」
哲也の気持ちが痛いほど分かっていた筈なのに…… わたしはそれを利用し、哲也を巻き込んでしまった…… もう後に引くことは出来ない……
良心の呵責に苦しみながら、私は只、哲也の温かい胸の中で泣いた……
泣いて泣いて、泣き続けることしか出来なかった……
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