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どーも自分が人間じゃねーと、中二病的気づきを得たのはいつからだったか。
まあ、股から血が出てきた時だな、ひどいことに。
まず最初は両親の仲が良くなったのがきっかけだった。
別にそれ自体は、喜ばしい限りじゃんと思わんでもないけれど、そうは問屋がおろさない。
だって、仲のよくなり方がね、ちょっとおかしかったもん。
もちろん、思春期のガキンチョの私には、普通に仲良くなるだけでだいぶ気持ち悪い話なんだけど、両親だって私の親である以前に男と女なわけだ。つまり、そういう仲のよくなり方だった。
まあ、かつてのその仲良さの果てに私は、父親の精子と母親の卵子が結合して生まれ落ちたわけだけど。だからまあ、そこに文句はつけないよ、綿密に想像するとそれなりに気持ち悪い気はするけど。
元々そういう関係だった人達が、何かしらのきっかけで戻ることは別におかしいことじゃない。
でも、なんというか、それはそういうのじゃあなかったんだ。
性欲を、獣欲なんて表現することがあるけど、あれはまさにそういう感じだった。人っていう、理性と妥協を覚えた生き物からは、すっかりかけ離れてしまった獣の欲だ。
貪り、猛り、なりふり構わず、相手や周囲への配慮すら、なにもかもかなぐり捨てて。
人が、獣に、堕ちていく。
そして、どうやらその破綻のきっかけを握っていたのが、自分だったと知ったのは。
―――両親の矛先が変わったときだった。
※
私の唾液―――まあ体液だったらなんでもいいらしいんだけど―――はヒトにとって、強烈な媚薬になるらしい。
身体は興奮して血流が巡り、目の前の相手が魅力的に見えて、脳は性的なこと以外にまともに動かなくなる。
まあ、一般的に媚薬なんて呼ばれているものは、本来、性的な興奮を作る効果なんて全然なかったりするらしい。ただやみくもに興奮させて、それを身体が勝手に性欲だと勘違いするだけっていうのが、よくあるオチみたい。
だけど、私のそれは、そういうのをガン無視して、ピンポイントに性欲だけ興奮させる。対象問わず、老若男女ほぼ満遍なく効果をもたらす。本来こんな効果、生理学上ありえない、っていうのが売人の野郎の弁だったかな。
まあ、私が生まれて十数年そういうことがご無沙汰だった両親が、私の初潮を境にとんでもなく盛りあったていうんだから、効果はお墨付きなんだろう。なにせ文字通り獣みたいだったわけだしね。
他にも、そもそも、その気にならない人、機能的に不能な人、さらには性別の垣根を超えさせることなんかにも便利だそうだ。
そうやって売人の奴が下卑た笑いで、私の『効能』をぺらぺらと喋ってきたときは、腹立ったから股間を思いっきり蹴り上げてやったけど。
つまるところ、私は虫を誘う花のようなものだと、売人の奴は言っていた。身に危険が迫っていると解っていて、それでもなお抗えない、生物としての根源的な誘惑そのもの。それはもはや花の蜜っていうよりは、食虫植物とかの毒みたいなものじゃないかなあって愚痴った記憶がある。
まじでロクな話じゃないと、そう想う。
「もらい」
そんな売人にまつわることを想い出したらなんだか腹が立ってきたので、なぎさんの手元に置いてあったコーヒーが入ったマグカップに手を付ける。なぎさんは甘党でもないのでがっつりブラック。苦くないと、飲んでる気がしないらしい。
しかし、苦い、砂糖どころかミルクも入ってないからマジ苦い。
「淹れてあげるから、自分の飲みなホームレス娘」
私がうげえと顔を歪めてコップを返したら、それに呆れたような顔をしてなぎさんは私を見ていた。それから、特に気にした風もなく、そのブラックに口をつける。
当然だけど、間接キスで。当然だけど、これでなぎさんの身体には私の唾液が多少なり取り込まれる。
当然、売人の奴が言っていた効能は、これでなぎさんにも発揮される。
……はずなんだけど。
なぎさんは特に、変わった様子もなく自分の分を飲み干すと、電気ケトルにスイッチを入れて棚からインスタントコーヒーを取り出した。
「砂糖とミルクは—?」
「私に注ぐ愛の如く、たんまりと淹れてください」
「おーけー、私、愛情が欠如してるから、スズメの涙くらい淹れてあげるわ」
「はーい、ごめんなさい、冗談でーす。ミルクはコーヒーの半分と、砂糖はスプーン二杯分で」
「え、何それ、あっま、これが若さか?」
「いえ、シンプルに味の好みですよ」
どうやら、なぎさんに私の毒は効かないらしい。
多分、この人の感覚があまりにも疲弊して磨耗しているからじゃないかと思う。
趣味はたばこ、帰るのはいつも深夜、職場ではストレスにさらされ、友人らしい友人もいないらしい。独身で三十路近い、健康診断でコンビニ飯ばかりの食生活を医者に言ったら、生きる気があるなら改善しなさいと怒られたとか言っていた。
つまりまあ、人間としてなんというーか、色々とやばい人。不健康で感覚が鈍化してて、最近じゃあご飯を食べても美味しいとかよくわからんないらしい。私も医者と同じようにコンビニ飯ばかり食べてるからじゃないですか、って言ったけど、なぎさんは特に改める気はなさそうだった。
でも多分、そんな人だからこそ、私の体液がうまく機能してないみたい。絶望的に感覚がやられちゃってるから、私の毒すら効かなくなってるわけだねえ。既に病気になっている人に、多少の毒を与えても、病状が悪いのは、結局あんまり変わらないみたいな話かな。
なかなかに愉快ではあるけれど、随分と可哀想な話だとも、正直想う。
だってそれって、この人の不幸を糧にして私が安心を得ているのとおんなじだし。
もしなぎさんが健康的な生活と安心できる職場環境を手に入れたら、きっと私の毒が効くようになってしまうんだろう。
そうなったら、また私の居場所は無くなっちゃう。寒空の下、猫だけが私の友達になってしまう、また少し前みたいに。
ただ、それでなくても、長いことお世話になるわけにもいかないし。ここにいる期限は冬が明けるまでとそう決めた。なぎさんもそれは了承してくれた。
……まあ、毒のこととかはなんにも説明とかしてはいないけど。
とりあえず、冬が明けるまでは、私はここにいて大丈夫。そんな、吹けば消えてしまいそうな、安っぽい安心で今日も私は居候を続けている。
あなたは何も知らずに、金曜日だからと久しぶりにチューハイの缶を開けて、秒で眠りこけてしまった。缶の半分も飲んでないんだけど、アルコール弱すぎでしょ。
そうして、不憫なあなたは何も知らずに眠ってる。あなたの不幸せを糧にして、私が安心してるなんて、露ほども知らないまんま大きく口を開けて寝息をかいてる。
ネコと一緒に、ねこぱんちでその寝顔をうりうりといじめてみる。ふがふがと、鼻息が邪魔されてるのがちょっと面白い。
そんな深夜の頃のことだった。
ピンポーン、と、インターホンが鳴った。
宅配便……にしてはやけに遅い。なぎさんは友達もいないから、訪ねてくる人もほとんどいない。警察、だけは、ちょっとまずいかなあと思ったけど、インターホンの画面に映る姿は、どうにも違う感じだった。
若い、男の人。部屋着だけど、どことなくソワソワしてる。どっかで見た覚えがあるなあって考えて、ああ、隣の部屋の人だと、ようやく合点がいった。
そっか、そろそろか。
スマホを手に取って録画画面を適当に押す。ちゃんと映るかは微妙だけど、まあ撮ってるぞってポーズがとれるなら問題ない。膝に乗っていたネコを退けると、あっちにいけと手を払って離れさせる。
ピンポーンと、扉の向こうから急かすように音が鳴る。
私は軽く息を吐いてから、ドアを少し開けてみた。
手が。
向かってきた。
私の首元めがけて。
あらかじめ、動きがわかってたから、首を思いっきり振って避けて、そのまま手元に隠していたスタンガンを打ち込んだ。
バチッって、弾けるみたいな音と光が明滅する。
目の前の身体が震える、膝から下が崩れ落ちる。
念のため、抑えている腕にもう一度打ち込んだ。
短くて、犬か何かを踏み潰したような、醜い声が鳴く。
いやあ、それにしても、なんで襲ってくる人って、みんな一様に首を狙うかね。
ま、こっちとしては、わかりやすくていいけどさ。
ドアの隙間で蹲る大人の身体を蹴って飛ばして、外まで転がす。足に人間を蹴ったとき特有の重く、柔らかい、気味の悪い感覚が伝わってきた。
この隣の男の人は、私達の生活圏のたまたま近くを通っていた。
だから、例えば廊下を出る時か換気扇の近くを通った時にでも、私の毒に当てられたんだろう。
きっかけは、たったそれだけ。でもそれだけで、おしまいだ。
そうなってしまった以上、もう誰かを犯すことしか、考えられない。私の毒がそういう風に作用する。こういう輩は何人も見てきたから、嫌でもわかる。
痛みで呻いているそいつの髪を掴んで、顔を無理矢理こちらに向き直させる。
「撮ったから、あんたが私を襲おうとしたところ」
男の眼が見開かれる。痛みで多分、一時的に毒の効果が止まってるんだろう。気の毒だけど、私の安全のためだから、容赦も情けもかけてあげられない。逆上されないよう、徹底的に心を折らないといけないから。
「三日あげる。その間に、このアパートから出ていけ。三日経って残ってたら警察に通報する。あんたの職場と家族に動画を全部ばらまいてやる。言い訳は聞かない、二度と私たちの傍に近づくな。わかった? わかったら、さっさといけ」
男は顔面が真っ青に染まると、がくがくと頷いて、大慌てで自分の部屋に戻っていった。
バタンッと、深夜にしてははた迷惑な音をたてながら、隣の部屋のドアが閉まる。
軽く息を吐いたら、白い息が口元から漏れていく。
寒さとは別の要因で震えている身体を抱きながら、鍵を閉めてチェーンを掛ける。
「っ~~~っぁぁぁ」
喉から漏れ出る音か何かもよくわからない、それを感じながら、どうにか折れそうな膝を立たせて、部屋に戻った。鍵もかけて、チェーンもかけて……後で念のため窓も閉めて、雨戸も閉めちゃおう。
大丈夫、慣れてるから。問題ない。
リビングまで戻ってきたら、隣の部屋からバタバタと音がしている。今頃、大慌てで部屋から逃げ出す準備でもしているのだろうか。そのまま部屋にいたら、強姦未遂で捕まるかもしれんのだ。そりゃあ、慌てもするだろなあ。
私の毒が原因だから、申し訳ない気もするけれど、こっちも十数秒前に強姦されるかどうかの瀬戸際だったし。慮ってあげる余裕は、あんまりない。
息を漏らして、こたつに身体を滑り込ませて、なぎさんの近くまで戻ってくる。
大丈夫、もう、大丈夫。
そうやって震える自分に言い聞かせて。
そうしていたら、もぞっと目の前のあなたの身体が、少しだけ揺れた。
アルコールで少し赤くなったあなたの瞳が少しだけ、私を見る。
「……ん、あこ、どうかした?」
息を吸った。それから、少しだけ、ほんの少しだけ短く吐いた。
「―――いえ、なんでもないですよ。なんか音がしてますけど、お隣さんが、深夜に明日の出張でも想い出したんじゃないですかねえ」
「おおうあわれ、急な出張はねえ……、ほんと大変だよねえ……」
「はは、実感がこもってますね。もしかして経験がおありで?」
「そりゃあ、もう。宿代だせないから、始発で出ろなんてざらだからねえ……。しかも前日の夜に決まったりするからねえ……」
寝ぼけ眼のあなたはそうやってぼやいてから、また眼を閉じて、ゆっくりと寝息をたて始めた。
そんな姿を見て、独りくすっと笑ってた。
あなたは何も知らないの。
でもそれでいい。
冬が明けるまで、ただそれまでの間だけだから。
どうか、あなたは何も知らないで。
寒さに背を丸くしながら、私はゆっくり眼を閉じた。
大丈夫、大丈夫と、小さく自分に言い聞かせたまま。
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